金沢メンネルコールのセカンドテナーの先輩(77歳)の訃報が流れた。
12月の定期演奏会ではオンステしていたし、1月の地区の新春互礼会のお座敷でも歌っていたのである。
金沢メンネルコールは1976年、二つの男声カルテットが合体して誕生した。1978年に第1回定期演奏会を開催し、その翌年、自分は大学を卒業して入団した。先輩はその創立メンバーである。現在も団で歌っている創立メンバーは3人で、その一人が先輩であった。
先輩は仕事の関係か、一時期休団していたことがある。だが、自分が一昨年、10年ぶりにオープン参加でオンステしたときには、すでに復帰して歌っていた。
若い頃から話術が巧みで、ポピュラーステージの司会は絶品であった。それを楽しみに来場するファンもいたほどである。打ち上げの宴会でも「マイク村田」と呼ばれる軽妙な司会ぶりで、いつも場を笑いで包んでいた。そういうことが不得手な自分にとって、実にうらやましい才能であった。
12月の定期演奏会。本番前日のゲネプロに姿が見えなかったのでどうしたのかと思ったら、「今日はゴルフ」との連絡があった。他の人も「今日は晴れてるしな」と。さすが大先輩だ。もっとも、ゴルフもオンステも、病気ではできないことである。妻は「前にお話ししたとき、顔色が悪かったから少し気になっていた」と言っていた。すでに兆しはあったのかもしれない。
今日は母校合唱部の合同練習の後、お通夜に向かい、その足で明日の門下生発表会のピアノ合わせに行く予定である。
本当に寂しくなるのは、来週の練習のときかな。
ログインしてコメントを確認・投稿する