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2025年11月01日10:28

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欧米社会では、エスコートとは一つの言語

Akiko Hori

日米首脳会談というフォーマルな場で、トランプ大統領が高市総理の前に腕を差し出す。その一瞬に込められた意味は、”女性を軽視して扱う”ことではありません。
それは「敬意を差し出す」という文化的コードなのです。
欧米社会では、エスコートとは単なる作法ではなく、一つの言語です。
階段を降りる時、ドアを開ける時、廊下を並んで歩く時。女性が安全に、美しく、そして堂々と歩けるように導く。
その振る舞いこそが、“尊重”と“信頼”の象徴であるのです。

海外の小学校で音楽を教えていた頃に関わった男子生徒たちを思い出します。
まだ小さな男の子でさえ、女性や年長者をエスコートすることを「マナー」としてではなく「思いやり」というエチケットとして身につけている。
それは特別な所作ではなく、文化としての“当たり前”なのです。
理解が難しい障害を持つ子どもを除いて、誰もが自然に身につけていくもの。
それほどに、欧米では「仕草」が人格を映す。

ところが日本では、高市総理がトランプ大統領にエスコートされた場面を見て、「媚びている」「軽率」「はしたない」といった声が意外にも女性から多く上がったということを知り驚きを隠せませんでした。
あの瞬間こそ国際マナーの文脈において“完璧なやり取り”でした。
笑顔で応じ、肩を抱かれ、退場の際に米兵たちとハイタッチを交わす総理。それを見て喝采する人々。そこには、国際社会が重んじる「親しみを通じた敬意」と「プロの信頼」が確かに存在していました。
外交の現場における笑顔やスキンシップは、単なる演出ではありません。
それは、信頼を“築く”ための言葉を超えた表現なのです。

日本は戦後、欧米の「形」だけを輸入してきました。
けれども、作法の背後にある「哲学」や「精神」までは学んでこなかった。
ブランドは知っても、ブランディングの魂は知らない。
文化の“所作”は取り入れても、その“心”までは理解しない。
その結果、いつの間にか表面的な礼儀に囚われ、世界の舞台に出た場合に通用する“本物の品格”を忘れてきたのかもしれません。
日本国内の常識だけに閉じこもるのではなく、世界が求めるマナーと表現力を知ることで視野や視点はもっと成熟して正当な判断が理解できるようになる。
国内で求められる慎みと、国際社会で求められる自己表現を巧みに扱うアピール力。
両者を理解し、使い分ける力こそ、真の教養と言えます。

インターネットも旅行も普及して、世界は身近になった。
それでも“大人の嗜み”を知らない人が多いという現実を、あちらこちらから聞こえてくる高市総理への批判が改めて浮き彫りにしたという厳しい日本の現実を見る機会ともなりましたね。

高市総理が初のトランプ大統領との公式対面で放ったあの少し関西のオバちゃんを思わせる愛嬌ある笑顔とそんなノリありきの人情味すら感じずにはいられなかった意欲的なリアクションのシーンの数々。
それは岸田や石破では到底成し得なかった”日本再生”への意欲を世界に印象づけた瞬間にも見えました。
だからこそ、敬意をもって善意を差し出すこと。
それこそが、わたしたち日本人日本が逞しくこの国を存続させる為に必要なことなのではないでしょうか。
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