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2024年08月08日08:25

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見   2024年8月08日(木曜日)

『五島慶太』

「昭和」は遠い昔ではなく、昭和生まれの方々の心の中には、今もあの良き時代を懐かしく思われる人も多いことでしょうね。

私ね、人との出会いほど不思議なことはない、と思っているのです。
大正から昭和へと時代が移ったあの頃、日本経済界の大御所の渋沢栄一が、田園都市株式会社をスタートさせました。
その時手を組んだのが、時計王の服部金太郎と第一生命の創業者の矢野恒太でした。そして、この時登場するのが、宝塚や箕面を開発し、そこに阪急電鉄を通した小林一三でした。

渋沢から鉄道導入を頼まれた矢野は小林に会い、顧問を引き受けてもらったものの、小林は忙し過ぎ、そこで矢野が目を付けたのが五島慶太だったのです。
この五島慶太は、工学博士の久米民之助の長女・五島万千代と結婚して、本姓の小林から五島になっていました。
もし、小林の名のままなら、阪急電鉄の小林一三と東急王国を一代で築いた小林慶太が誕生していました。

人の人生はどのようにつくられるのだろうか。
五島慶太の生き方を知ると、自分がとる行動に人生物語をつくるポイントがあるのがわかります。
もし、嘉納治五郎に頼み込むことをしなければ、五島慶太は名を残すことはなかったでしょう。
それより、目的を持つとまっしぐらに進む勇気の持ち主だったからだと思います。

五島慶太が目指すのは、東京帝国大学政治学科。
ここに辿り着いた時、彼は24歳、普通なら大学を卒業する歳でした。
それと、人脈作りも彼が根を残したひとつの答えでもあります。

岩崎弥太郎も、彼の人生に登場します。
小林一三との縁が大きかったのも事実ですが、彼にも又試練が待っていました。
関東大震災、そして世界恐慌がやって来たのです。

彼は折れることなく危機をしのぎきり、京浜、小田急、京王を手にし、大東急を形成、日本の鉄道王になったのです。
8月14日はもうすぐやって来ます。
昭和34年8月14日、五島慶太は77歳でこの世を去りました。
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