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2024年04月07日05:54

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黒澤明『夢』は、「夢」ではない。反原発映画としても失敗している。

u‐next を見ています。病気療養で暇ですから。

『影武者』以降の黒澤映画は、どれも大きな欠点を持っています。しかし、長所もとても大きいから、見れます。『影武者』と同様、『夢』もそうです。
(この日記では批判しますが、一面では非常に美しい良い映画です)

学部卒業後、数年で友人たちは五月雨式に結婚しました。
ぼくよりも早かったtが子どもを儲けました。曰く、
「あれは、体験だ。おかげでオレは人間になった。」と。
「そーかあ〜」と返したら、
「獣に理を説いてもわかるまい」と。

その後、ぼくも子どもができて、年賀状に、『徒然草』を引用してひっかけたことがあります。tは大学の勉強をまるっきりしていないからです。
「子ゆゑにこそ、よろずのあはれは思い知らるれ」
とだけ書いて送ったら、
「そうだろう。オレの言うとおりだだろ。ギャハハハ。」
「その直前に、「心なしと見ゆる者も、良きひと言は言うものなり」とあるからな。」
「何、オレが情趣を解さないと…」

…その後忘れていましたが、子どもの出生は、確かに体験です。
体験とは、否応なしにその状況に巻き込まれていくことだと思います。
子育てはその本質は、途中で下りられない、ということでしょう。

夢も、体験です。

柄谷行人が、「距離感がなく、起きそうにないことだけが起きている、現実そのものの過酷な世界」と述べている通りです。
客観視できない過酷な世界。言い換えれば、否応もなく自分を巻き込んでいく意味がよくわからない世界が、夢です。

だからこそ、黒澤明の『夢』は夢ではありません。
「ひな祭り」「ゴッホ」「鬼哭」のエピソードが象徴していますが、対世界である異界を徘徊し通り過ぎるだけです。

だからこそ、反原発映画、反近代科学映画としても失敗していると言わざるを得ません。
「そういう可能性もあるのだな…」で終わり。「原発を爆発しないように管理すればいい…」という感想を持たれたら終わりです。

この作品は、明らかに漱石の『夢十夜』を敷いています。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

さすがは、漱石。
『夢十夜」の現実とのリンクの形が、夢というものでしょう。自分の生の具体的な何かを指示しているのだが、その何かが分からない。
自分の生が、すっかり…ではなく、半分忘却されている。意味が分からないのではなく、わかったと思ったらわからなくなる。アバラスターのように不透明である。
そして、
半分、消え去った生をなぞりながら先に進むことを強要され、逃げることは許されない…

それこそが、現実そのもの、すなわち、「夢」でしょうね。
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