今朝、茶の間で父の学生時代の話を聞きました。
税関時代の話は耳タコ

だから、遠慮したいけれど、それ以外なら、興味あります。
父は中学時代は五島に住んでいて、戦後の食糧難のころだったので、学業よりも農作業ってかんじだったらしい。
だからほとんど勉強していなかった。
高校は瓊浦高校に入学。
たぶん転勤族だったので、公立の入試に間に合わなかったのでしょう。
歩いて通学していたそうです。
最初は卓球部に入部。
しかーし、高校はとても貧乏で、卓球台は1台しかない。
部員は30名も。
素振りばかりで面白くないと思った父は、隣の15人のバレー部を見て、ここなら楽しめる!と思ったそうです。
卓球部を辞め、バレー部に入りなおし。
すると、左のアタッカーとして抜擢されたそうです。
それからは、左手を鍛えるため、ごはんも左で、何でも左で。
毎日左手のトレーニングに励み、めきめき実力をつけた父。
1年生から試合に出るようになったそう。
国体にも出られるくらいの実力となりました。
でも、とてもビンボーな学校だったので、優勝とかしたら大変。
勝っても県外に試合に行くお金などありません。
だから部員同士で「そろそろ負けとくか・・・」とわざと負けていたそうです。
市内には金持ち高校の海星高校があります。
ここのバレー部は体育館で練習。
(瓊浦は外で練習)
なので、土曜日によく試合を申し込んでいたそうです。
瓊浦にとっては室内で練習が出来るメリット。
海星にとっては強い瓊浦と試合が出来るというメリット。
お互いウィンウィンな関係だったそう。
その関係を作ったのが父らしい。
勉強のはなし。
数学が大好きだったそうです。成績も良かったはずなのにある日、先生が「みんなの成績が悪すぎる!40点ばかりだ」と激怒。
おかしいなぁ、自分は良かったはず・・・という顔をしていたら、クラスメイトの誰かが「徳永くんは違うという顔をしています!!!」と先生に申告。
調べたら86点、クラスで一番と判明。
先生の見る目が変わったそうです。
その後、弁論大会に出ろと言われ、原稿を書きたくない〜と拒否したら、国語が大得意な秀才君が「俺が代わりに書いてやる」と言って書いてくれたらしい。
それが「世界情勢と宗教」みたいなお題。
それをそらんじて、弁論大会に出たそうです。
優勝。
今もその原稿を覚えているみたいで、とうとうと一節を弁じていましたね。
70年も経ってるのに(*^-^*)
今回、知らない父の話を聞き、興味深かったです。
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