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2022年05月29日22:43

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来年、「日本におけるテレビ放送開始70周年」を、「テレビ放送開始に立ち会った人物」として迎え、その年に90歳になるという事実。それだけでもかなりスゲー話だ。

黒柳徹子、“カメラマンになろうと思っていた”20代過去ショット レンズのぞき込む真剣な横顔に「まあ…ブス」と辛口
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6975239
黒柳徹子(88歳)のWikipedia日本語版の紹介記事の書き出しは、「日本でテレビが放送を開始した1953年2月1日(日曜日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である」とあり、「日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える」と続きます。1953年とは昭和28年、つまり来年で日本におけるテレビ放送開始から70周年となるのですが、まだ19歳だったその頃からテレビ(やラジオ)に関わり続けているわけで、まさに日本のテレビの歴史とともにある人と言えますね。初期からそのヘアスタイルが「玉葱」なのではありませんが、その早口の独特な口調と個性的でオンリーワンな世界を持っていることで、今なおテレビの第一線に立ち続けているわけで、それだけでもかなり“凄い人”だと感じますね。
NHKラジオ第1のラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』のトン坊役(昭和29年〜)が実質的なデビュー作で、大人の女性が子供の声を演じる作品の嚆矢と言え、以降、『チロリン村とくるみの木』や『ブーフーウー』と言った子供向けの番組でさまざまなキャラクターの声を演じ、「声優」のジャンルでも初期に足跡を残した人で、古い記憶のある人にとっては、そのイメージを持っているかもしれませんね。
同い年で、長く“盟友”的存在だった永六輔(1933〜2016)が作家として関わっており、「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などの「六八コンビ」(永六輔作詞・中村八大作曲)の名曲が世に出た番組でもある『夢であいましょう』などの人気番組に数多く出演、永六輔のラジオ番組に「無断で出演」して話題をさらうこともありましたが、その時期に米国留学をし、帰国してそれほど経っていない頃(昭和51年)、当時のNET(日本教育テレビ。テレ朝の前身)で放送が始まった『徹子の部屋』が今なお人気番組であり続け、「同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として記録更新中」というのも凄い話ですが、「どんなことでも生でやる」初期のテレビの世界を知る黒柳徹子であり、若手お笑い芸人がゲストの回に「無茶振り」をすると言われることも、その「アドリブ力」とかでも試すくらいの意識なのだろうなと思います。
「実は私、カメラマンになろうかと思ったくらい写真に夢中になっていた時期がありました」と、Instagramで告白したというのが記事の内容ですが、YouTubeにしても何にしても、新しいことに果敢に取り組む気概はさすがだと思います。身体の機能の衰えなどが言われるようですが、きっと90代になっても、まだまだ話題を提供してくれると思います。
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