mixiユーザー(id:689360)

2022年03月10日17:23

52 view

日系人強制収容所から80年。ドキュメンタリ。

今日は、勝手に友人とも思っている不動産業者さんとランチ会食。
お茶の水の山の上ホテルの中華 新北京でランチを食べました。
不動産状況など仕事の話もしながらの歓談。
私にとっては、不動産の状況などを知ることができる有益な時間でした。
お茶の水の丸善本屋で新書2冊購入しました。

日系人強制収容所から80年。ドキュメンタリを見ました。
アメリカの2世であったカワテさんの息子がアメリカに行って、父親の状況やアメリカの日系人の実態を調べたドキュメンタリです。

父親は、1913年にカルフォルニアで生まれた日系2世。
父親と共に5歳で日本に戻っていたが、1928年15歳の時に再び渡米。
アメリカで働きながら、夜間学校で勉強し、アメリカの一流大学(CAバークレイ)を卒業し、弁護士になろうとしていた父親。大学の優秀生徒の記録が残っていた。
日本に戻って、日本で生活していた父親がアメリカの市民権回復の申請をした理由を明らかにするために、息子がアメリカに行った際のドキュメンタリです。

真珠湾攻撃以後、日系アメリカ人は強制収容所に送り込まれた。
その時には、周囲の迫害などがあり強制収容所に入る方が安堵だった。
強制収容所では、日系人に対する忠誠登録の質問状。
「アメリカの戦争で最前線で戦うか?」
「アメリカ国家に対して忠誠を誓うか?他のいかなる国への忠誠を放棄するか?」
などがあった。
その署名を拒否してアメリカの裁判にかけられ市民権を放棄させられた。

アメリカでは、弁護士ウエイン・コリンズさんは、日系人の市民権回復のために活動していた。
カワテさんの父親は日本に住んでいたが、その弁護士にアメリカ市民権回復の依頼をしていた。

ウエイン・コリンズの息子さんも父親の遺志を継ぎ弁護士となり息子さんと面談。

アメリカ人にとって「市民権」は、アメリカ人に対する全ての権利を代表するモノ。
市民権をはく奪された日系人2000人は日本に帰り、3000人は残った。
カワテさんの祖父は、強制収容所で自殺。
そんな不幸もあり、父親は、日本の再建に貢献する意志もあって、日本に帰った。
日本では軍の通訳をしたが、それも反米を理由にクビになった。
それでも生活は、食べ物などアメリカ人そのものだった。

ウエイン・コリンズさんは、裁判で戦っていたが、
1959年に日系人の市民権を回復させる。と発表。裁判も意味をなさなくなった。
1988年、レーガン大統領が、市民権はく奪のことを正式に謝罪。

日米の不幸な戦争故、間に挟まれた日系人の過酷さを感じるドキュメンタリでした。

それでも、歴史を遡って裁判や謝罪などができるのがアメリカの良さだと感じます。
3 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031