mixiユーザー(id:7170387)

2020年10月23日05:39

148 view

画策された湾岸戦争

イランでのイスラム革命は、中東諸国に波及する可能性があるので、イラン・イラク戦争では、アラブ諸国はイラクを指示したのです。だが、1988年に停戦になると、イラクが米国やアラブ諸国から援助していただいた武器・弾薬や資金が脅威になりだしたのです。この延長から起きたのが、1991年の湾岸戦争です。

湾岸戦争の原因といえば、1990年、イラクが過去の歴史では自分の領土だったクウェートに侵攻したことでしたが、これは日本に報道された筋書きとは別の現実があるのです。湾岸戦争の公式のシナリオは、イラクが突然クウェートに侵攻したので、イラクの侵略行為を許せない米国がクウェートの依頼をうけて反撃した、というものです。

ところが実際は、クウェートがイラクを挑発して、米国は中立的な立場を表明したため、昔から英国が作ったクウェートの独立を認めていないイラクのサダム・フセイン大統領がクウェート侵攻を実行したのです。フセインは米国とクウェートの策略にはまってしまったのです。

イラン・イラク戦争中、クウェートはイラクに金を貸していたのですが、戦争が停戦したので、クウェートは貸した金を直ぐに返せと要求しました。フセインは「イスラム革命がアラブ諸国に広がらないよう代表してイランと戦った」として、金は借りたのではなく貰ったものだと反論しました。

これに対しクウェートは国境地帯にあるルメイラ油田で、油井をイラク側に伸ばし金を出さないなら石油で返してもらうことにした。イラクは怒って、軍をクウェート国境に結集させたのです。イラク外相はアメリカ大使と会い、イラクがクウェートに侵攻すると伝えたところ、大使は「米国はアラブ諸国間の内戦には関与しない」と答えたのです。

イラク側はイラクが侵攻しても米国は手を出さないと理解しました。イラク領内での石油発掘をやめろとクウェートに最後通告したところ、クウェート政府代表が、フセインが私生児である事をバカにする発言を行なったため、激怒したフセインは翌日クウェートに侵攻したのです。

クウェート政府と王室は、侵攻直前に国外に避難しており、侵攻時にクウェートに残っていたのは、大半が市民と外国人労働者達だったのです。イラク軍はクウェート国境に大軍を結集させたため、米国は事前にこれを察知していました。イラクに諜報網を持っているロシアがイラク軍の動きを米国に伝えましたが、米軍は何の動きも見せなかったのです。

イラク軍はクウェートに侵攻し政府の情報省のビルを占領して内部を捜査すると、1989年11月中旬にクウェートの情報省が、アメリカCIAと会議をした議事録が出てきたのです。そこには「クウェートは、フセイン政権を転覆させるためCIAの作戦に協力して、イラクに圧力をかける」という内容が書かれていたのです。

会議が開かれたのは、イラクがクウェートに侵攻する9ヶ月前で、ベルリンの壁が崩壊したまさにその月だったのです。米国は冷戦が終わると仮想敵国としてフセインを選び、湾岸戦争を画策したのです。

その後の動きはご存じのとおり、フセインは悪魔だという残虐行為など世界を騙す映像を配信して全世界でイラクに攻撃を始めたのです。もちろん、日本も戦争に加担していました。こんなことがあってもいいのだろうか。まるで、過去、日本人がアメリカにやられたことと同じではないだろうか。

5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年10月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る