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2020年10月10日08:00

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石原莞爾リヤカーに乗って出廷

東京駅を発った八輌編成の特別寝台列車が仙台、青森、秋田経由で酒田駅のプラットホームについたのは、翌日の7時3分です。この特別列車は皇室御用列車で、食堂車輌、応接室もあります。また各車輌が寝台になっていて、裁判中はホテル代わりに利用しています。

乗客は極党軍事裁判調査委員会が派遣したエリア・ノース・フロスト判事、ダニガン検事、国際検査断調査員のエリック・フライシャー検事、弁護側は、板垣征四郎担当のマタイ弁護士、星野直樹と南次郎担当のジョージ・ウィリアムズ、土肥原賢二担当のフランクリン・ウォーレン弁護士、鈴木貞一担当のレプイン弁護士です。

日本人弁護士は、板垣担当の弁護人、南次郎当で今回の首席弁護人の岡本敏男弁護人、大川周明担当の金内弁護人。それに法廷執行官のハーレク中尉、言語裁定官のアートピー・ドレター少佐。その他裁判連記者、執行官、フランス料理のコック数名とボーイ、それに日系二世の通訳間たちです。

報道関係はAP、INS、米軍紙『スターズ・アンド・ストライプ』紙、中華民国・中華通信社、中央日報、全国紙では朝日、毎日、読売、東京の記者、カメラマンなど総計23名です。東京では列車に乗れず事故死する人も出る終戦直後にして、豪華な列車旅行でした。一行を本間市長が出迎えました。

一行は酒田駅から迎えのバスで商工会議所についた。2階に上がると、ハガードの指示でレイアウトしたテーブルと椅子を確認しました。判事のノース・クロフトは、並べられたテーブルと椅子を確認すると、小さく頷きました。

彼にとっては最も小さな法廷だったのですが、明日から争われる尋問と、まだ見ぬ石原莞爾という、たった2万の兵で22万の張学良軍を破って満州全土を征服した軍略化に、早く会いたいものだと思った。判事らの一行は、その後、本間市長の案内で、日本海を見下ろす湯の浜温泉に出かけ小休止し、温泉気分と料理を味わい酒田駅へ戻りました。

尋問委員や判事たちが湯の浜温泉に行ったのを見届けると、日本の記者たちは石原莞爾にあって取材したくてタクシーをチャーターし吹浦に出ました。そこから月光橋を渡り、砂山を歩いて西山農場へ急ぎました。すでに午後4時前でした。

石原莞爾はリヤカーに乗り、酒田へ出かけるところでした。ベルリンで買ったウール地でつくった自称ドテラに羽織を着、頭には古い戦闘帽をかぶっていて防寒しています。顔はこけて細く、青白い。顎には白い山羊ヒゲが伸びていました。

開腹手術から3か月たっていましたが、尿の出が多く、15分おきに鮮血混じりの尿を出していました。左手首には大事にしている古い腕時計を巻き、左腕を処置器具の入ったトランクの上に預けるようにしていておいている。この日も38.9度近い熱が出ていて、寒気がした。尿瓶は膝にかけた毛布の下に隠し、いつでも用たしができる状態でした。

出発前に、中央日報の張記者が、「あなたは中国語が話せますか?」と訊いた。石原莞爾は張記者を見上げると、鋭い目で見つめて、得意のジョークで、「まあ、中国語より日本語のほうがよくしゃべれる」といった。この一言で、記者たちはどっと笑い、その場が和んだ。カメラマンたちがシャッターを切る。そのたびに、石原莞爾は話すのを中断しました。

石原莞爾を乗せたリヤカーは、旧制酒田中学を出たばかりの仲條立一と小松健作にひかれて、月光川にかかった木製の月光橋を渡った。風が吹き、人数も多かったせいか、木橋がぐらっと動いた。付き添いの看護婦の小野克枝は父親が福島県棚倉の医者で、一家で石原莞爾の病を見ていました。

小野克枝は山形新聞の記者に聞かれて、石原莞爾の病状をこう語っています。「療養第一です。好きな読書をやる気力も見えないようです。医療としては、乳嘴腫のワクチン注射、主治医蓮見博士特製剤になる肝臓ホルモンの注射など、それぞれ日を違えて5日目毎にやっています」。 

「腹部切開の大手術による貧血がひどく、長時間の会話などできません。昨日も血尿が出たほどですから」その体で、リヤカーで月光橋を渡り、酒田警察署長が独断で差し向けた署の車に乗り換えました。明日からの長い尋問に備え、酒田ホテルに入ったのです。早瀬利之先生よりこの文面を石原莞爾平和思想研究会同志へ伝えるようにと指示がありました。

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