米国は建国以来、民主主義者を根本理念として、英国とともに模範的な議会政治を行っています。だが、世界の縮図といわれる国だけに人種問題、特に黒人差別の問題ではその解決に長い間悩まされてきました。
南米戦争の結果、奴隷解放を主張する北軍が勝利を収めて、黒人奴隷は表面的には一応解放されることになりましたが、その現実は真に複雑で厳しいものがありました。リンカーンが弾丸で倒れた後、憲法修正第15条で黒人の選挙権が承認されました。
南部では黒人の代表が政界に進出したのですが、一方で白人優越主義のK・K・Kが南部を中心に盛んになり、黒人に対するリンチが増大しました。隣地によってむごたらしく殺された犠牲者の数は1880年から1910年頃までが一番多かったのです。
1883年に、戦後3年にして実施された黒人への市民権を与える憲法修正第14条に対して、州の権限の方を優先させるという判決が先ず下りました。これは大変な決定でした。このように憲法には違反しないで、しかも実際には差別侍遇の効果を上げようという法律が南部各州に案出されるようになりました。
かつての北軍将兵たちが抱いていた情熱的な理想主義やロマンチックな信念は、たいていの戦争の場合と同じように、やはり戦場で消えてしまったのです。フランクリン・ルーズベルトはニューディール政策で大不況の克服とともに社会公正の実現を目指しました。
さらに戦争においてはドイツのナチズムと日本の軍国主義に対する民主主義の戦い説いていました。だが、ルーズベルトの言う「アメリカの理念」には最初から黒人は入っていなかったのです。1941年12月7日、真珠湾・日米開戦の口火となった敵国日本によるこの攻撃を、開放への光明と喜んだアメリカ人たちがいました。
ブラック・アメリカン、つまり黒人たちです。黒人の中には、この戦争『人種戦争』だと公言し、日本はアジアを白人支配から解放した英雄であるという者すら出てきたのです。優位の神話を根底から覆しのはた日本人です。そんな日本人と闘うくらいなら、監獄に行った方がましだ。この考えが、黒人の間を駆け巡っていたのでした。
ならば、日本の国益にとっても、アジア及び世界の平和や発展にとっても、日本国は未来の子供たちに対して 正しい歴史観に基づいた教育を行わければならず、どんな形であろうとも白人の植民地支配から解放した事を誇りに思わなければならないだろう。大東亜戦争で結果的に多くの白人による植民地支配から解放したのは事実でしょう。
いまだに謝り続ける日本国は侵略戦争を行った悪の枢軸で片づけられるのであろうか。大東亜戦争から、科学は目覚ましい進歩を遂げ武器性能を高めていくと石原莞爾は語っております。燃料も石油や石炭などから新たなエネルギーに変ってゆくのです。石原莞爾平和思想研究会としてもエネルギーは平和利用に限られることを祈るばかりです。
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