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2019年01月13日13:11

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『ヘラクレスの死』第2話

『ヘラクレスの死』第2話

 トラキス地方にあるヘラクレスが借りている館では、戦場からの伝令が到着していた。ヘラクレスの妻デーイアネイラがリカスというその伝令を出迎えた。
「奥方様!ヘラクレス様は見事にオイカリアを攻略なされました!」
 夫の勝利の報にデーイアネイラは喜んだ。
「ああ、嬉しいこと!十五か月も遠征されていたから、心配だったのよ。我が夫ヘラクレスはご無事なのでしょうね?」
「はい、もちろんでございます。ご主人様は雄々しく戦われ、エウリュトス王ほか彼の息子たちもすべて討ち取られました。素晴らしい勝利でございます」
「ああ、良かった!」
 歓喜するデーイアネイラは、さらに夫の様子を尋ねた。
「それでヘラクレスは、今はどんなご様子なの?いつ帰ってこられるのかしら?」
「は…」
 リカスはそこで言いよどんだ。
「どうしたの?」
「いえ…」
「お言い!」
 デーイアネイラに厳しく言い渡されたリカスは、ヘラクレスの近況を報告した。
「ご主人様は、エウリュトス王の娘イオレーを捕虜にされまして…」
「……」
「どうやら、その女に並々ならぬ思い入れがあるご様子。『イオレーを結婚させてやらんとな』などと周囲にこぼしておられます」
「……」
 硬い表情になったデーイアネイラは重ねて尋ねた。
「どんな女なの?年は私より若いの?」
「は、奥方様よりは若いようです(ほんの一、二歳だけど)」
「…そう、私より若いのね」
 リカスの返答を聞いたデーイアネイラは硬い表情のまま彼を下がらせると、館の奥のほうに駆け込んだ。
「ばあや!ばあや!」
 自分の乳母を呼ぶ。
「デーイアネイラ様、どうなされました?」
「大変なのよ、ばあや!夫が…私を捨てるかもしれないわ!?」
「なんですと!?」
 年老いた乳母が目を白黒させる。
「例のイオレーとかいう女…ヘラクレスが捕虜にしたのですって!しかもリカスの話では、並々ならぬご執心ですって!もともとオイカリアを攻めたのも、その女と結婚できなかった腹いせだったというし…夫は今でもその女が好きなのよ!『イオレーを結婚させてやらねば…』って、きっと自分がその女と結婚する気に違いないのだわ!」
「まあ、まさか、そんな…。長年、連れ添った奥方とお子様方を捨てようだなんて…」
 乳母は慌てるデーイアネイラを落ち着かせようとした。
「その女がどんな美女かは知りませんが、もうかなりの年でございましょ?デーイアネイラ様だって、かつてはアイトリア地方で一番の美女と言われたお方じゃございませんか。あの河の神様のアケローオス様がご自分の妻にと望んで、ヘラクレス様と争ったほどの!決して私の姫様が、そのイオレーとかいう女に見劣りするとは思えません」
「そんなこと分からないわ!それに私だって、若くて美しかったのは昔の話。今はもう五人もの子持ちですもの。イオレーとかいう女は、子供を産んでない分、私より若々しくて美しく見えるに違いないのだわ!」
「そういうこともあるかもしれませんが…」
 さらにデーイアネイラは力を込めて言った。
「それに、その女、私より年は若いのですって!結局、男は若い女のほうがいいものなのよ!あのアケローオス河神だって、もともとは私の叔母のステロペを愛人にしてたのに、ステロペ叔母様が年を取ったら、今度は若い姪の私に乗り換えようとしたのよ!男なんて、みーんなそう!信用できないわ!」
「まあ…確かに…。殿方は浮気性なものですからねぇ…」
 乳母もとうとうため息交じりにデーイアネイラに同意してしまった。
「ああ、どうしたらいいのかしら?この年になって夫に捨てられるなんてごめんよ!子供たちはどうなるの?下の子たちはまだ小さいのに…継母になんか任せられないわ!」
 デーイアネイラは部屋の中を落ち着きなく歩き回った。
「…そうだわ!」
 そして彼女はあることを思いついた。
「ばあや。私の部屋からあの青銅の壺を取ってきて」
「あの壺でございますか?」
「そうよ。前に話したことがあるでしょう?」
 デーイアネイラと結婚した後、しばらくは彼女の故郷であるカリュドンで暮らしていたヘラクレスだが、宴会の際にうっかりと人を殺してしまう事件を起こし、結局、その地を立ち去ることになった。妻のデーイアネイラと息子ヒュロスを連れて旅に出たヘラクレス一行は、エウエノス河を渡ることになった。その河では半人半馬ケンタウロスのネッソスが渡し守をしていた。ヘラクレスが先にエウエノス河を渡り、肩にデーイアネイラを乗せて河を渡そうとしたネッソスだが、彼女の美貌によからぬ思いを抱いて、手籠めにしようとした。妻の悲鳴を聞いたヘラクレスはすかさず弓を取り、振り返ってネッソスを射た。だが瀕死の床で、ネッソスはデーイアネイラに言ったのだ。
『オイネウスの娘さん、あんたにはすまないことをした。だからお詫びに良いものをあげよう。何と言っても、あんたはわしの最後の客だからな。この傷口から流れる血とわしの精液を混ぜて取っておくといい。あんたの夫の心をつなぎとめる媚薬になるよ。どんな女もあんたより好きになることはない』
 ネッソスの言葉を信じたデーイアネイラは、言われるとおりに彼の血を青銅の壺に入れ、今まで保存していたのだ。
「今こそ、あの媚薬を使うときよ。夫の下着に塗って、あのリカスにヘラクレスのもとに届けさせましょう。それに息子のヒュロスも夫のもとに送りましょう。父親の様子を探らせなくてわね」
「はい、ではさっそくご用意を」
 こうしてデーイアネイラは、夫の愛をつなぎとめるため、ネッソスの血を塗った下着を、それが夫への呪われた贈り物になるとも知らず、ヘラクレスのもとに届けさせたのだった。

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