イメージは咆哮。
ある日、先生がロゴスとミュトスについて話してくれた。
一緒に聞いてたマミちんはノートに書いてたけれど、あたしはちんぷんかんぷんだったから先生が喋る口元をボケーッと眺めていた。
時々舌が跳ねて詰まるのは先生が聾唖者だった名残りだ。小さい頃祈祷師にこの子は七つになるまで喋れないと言われたそうだが、その場で榊の葉っぱでもって頭を撫でてもらう前から喋っていたらしい。
でもまだコトバになっていなかったので、先生のおじいちゃんは名札シールをいっぱい使ってコトバをイメージとして叩き込んだという。
これは「たんす」です。
これは「つくえ」です。
これは「こたつ」です。
これは「てれび」です。
これは「ほんだな」です。
これは「たたみ」です。
これは「ろうか」です。
これは「ほんどう」です。
これは「きょうづくえ」です。
これは「ぶつぞう」です。
これは「かんのん」です。
そしてこれは「まっくらやみ」です。
耳が不自由な先生は耳でコトバを覚えたのではない。目で覚えたのだ。目を閉じてもそこにコトバがあることを知った。
そうやって目から入ったコトバは口からどんなカタチで出るのだろうか?
そんなことを思いながら先生のクチビルを凝視。
今気づいたけど、先生のベロって人一倍長いのね。コンビニで買ってきたプリンにスプーンをつけてもらえなくっても、そのままベロでスミズミまでキレイになめとっちゃうんだもん。
そのベロでコトバがカタチを変えて咆哮。
おまんこをナメ回したら、そのまま女のクチから通り抜けて絶叫。
こいつは使える。早速おうちに帰っておなにーのネタにした。後でマミちんからメール。ロゴスとミュトスについて聞き逃したことを聞かれたんだけど、あたしはマッタクきーてませんでした、ゴメンナサイと返信した。
あたしは文房具屋さんで名札シールを買い、マッパになって自分のカラダのあちこちに自分の名前を書いたそれをペタペタ貼った。クチビルの上にはマミちんの名前。おまんこには先生の名前。そうしてギャーギャーワーワーと盛り上がってベッドの上へダイビング。ママに怒られてもやめられなかった。
いつの日かこれは「ミナコ」です、と書かれた名札シールが先生の部屋に貼られる時がきますように。
さて。
あたしは喋り方が独特だからという理由で――多分感極まると語尾をいいいいいとかあああああと伸ばす、自分でもイラつくあれだ――詩の創作をすすめられた。先生はミナコ(この段階でやっとキミ呼ばわりからミナコと呼び捨てになった、マジうれしい)に向いてるとキャシー・アッカーの「血みどろ臓物ハイスクール」を貸してくれた。
詩ではないんだけれど、こいつはガッツンガッツンキた。
子宮に響くコトバとはまさにこれだ。咆哮、絶叫。
国語で習った宮澤賢治とか夏目漱石なんて宇宙の彼方へ消えちマッタ。すべてのコトバが消滅し、内なる炎から溶岩を滴らせながら新しいコトバが再生。
「血みどろ臓物ハイスクール」のなかでジャン・ジュネを知った。
私の知り合ったビッグ・メン。感情を持ち合わせず、私を傷つけた男たち、愛情をかけておいて、私が手を差し出すや踏みつけにした男たち、目の前で巨根を振っておきながら、触らせてくれと懇願するとせせら笑った男たち。共謀を必要とする裏切り者よファシストよ、この素晴らしい街に住むおまえたち全員。私はおまえたちを崇拝する。おまえたち以外とはヤレない。それはおまえたちの巨根ではない、それは、人が道を歩くのと同じくらいに易々と実行され、混乱を引き起こすおまえたちの巧みな不正、企み、虚偽なのだ。私はこれを冒険と呼ぼう。それ以外はすべて死だ。おまえたちの誰かとともにいる時、私は生を得る。あとのことなどかまいはしないのだ。
シーツの間に少年を招き入れることを、私はセックスとは呼ばない。年若い、あるいは品のいい少年たちに惹かれることはめったにない。飽きるのがわかっているからだ。私はおまえの生の感触、裏切りと危険によって出来上がった複雑さが欲しい――私は、自分をいためつけてくれる男たちが好きだ。なぜなら、しばしば自分を見失う私のエゴイズムを断ち切ることが出来るから。私はぶたれ、いためつけられ、ブチ込まれるのが好きだ。このセックス――私がセックスと呼んでいるもの――は、私の人生を手引きしてくれる。裏切り者、異常者、カス、精神分裂症患者のこのセックスが存在することを私は知っている。彼らこそが私の求める男たちなのだ。
サイコーだ。
ジュネと一緒に歩くジェニーに感情移入しながらあたしのおなにーは捗った。
文学少女ってーとどんな娘を想像する?
三つ編みのおさげにメガネちゃんなカンジかしら。
で、読んでるのはチェーホフとか?
そんな娘は残念ながら絶滅しました。
代わりにはびこってるのはあたしのようなイカレぽんちのメスガキ。
あたしこそが新しい文学少女のアイコン。
髪振り乱して泣きはらしたオメメむいてギャーギャーワーワー吠えまくりながら。
ジャン・ジュネとナサニエル・ホーソーンを読み耽る。
本を読むってつまりそういうこと。
先生いわく、読みもしない本を本棚に並べる輩はクソだ。死ぬべき恥知らずだ。脳みその代わりにゴミを詰め込むやつら――そんな連中とつきあって人生をムダにしてはいけない。読んで、読んで、読みまくって、自分自身の内部風景を広げるのだ。
本を読まなかった頃のおなにーは思えば全然つまんなかった。
読めば読むほどサイコーに盛り上がる。
セックスも多分盛り上がるだろう、そして迎えるであろうオーガズムをたくさんのコトバで表現したい。誰かが口走ってるよーな、さざ波がわーっと広がっていくよーなとか、そんなクソ面白くもない表現より、グッと生々しいやつをクチにしたい。
愛は絶叫、
愛は咆哮、
ほんとの愛はちょっぴりの恥じらい。
ちんぽこまんこ言ってるけどさー、あたしだって女の子なんだぜ?
ホホをピンク色に染めることだってあるっつうの。
マッパを見られるよりソレを見られる方が恥ずかしいっていう。
そういうのを心を脱ぐっていうんだそうだけど、あんたはどう思う?
脱げ脱げ脱げ脱げ脱げ、ぜんぶ脱いじゃえ
乳首もおへそも
おまんこもケツの穴も
ぜんぶさらしちゃえ
その上で
マッパになった上で
もう一枚脱げ脱げ脱げ脱げ脱げ、ぜんぶ脱いじゃえ
アタマもナイゾーも
ココロもユメノセカイも
ぜーんぶさらしちゃえ
後に残るのはホホをピンク色に染める何か
ただ恥ずかしがっている何か
そのピンク色の物体をあんた、食べろ!
ジュネが言う愛とはつまりそういうことだった。
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