http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=71609&media_id=4
このニュースを聞いて、私は別に驚きはしなかった。
むしろ、そりゃ隠さざるを得ない事情があって、今になってやっと告白する気持ちになったんだなって思った。
少年ギュンターの当時を察するに、誰がナチス入りを止められたであろうか?
そして、作家ギュンター・グラスとして生きる上で、誰がナチスだったことを告白しえようか?
誰にも責める権利はない。
これは、ギュンター・グラス本人の問題なのだ。
だからこそ、その苦悩と懊悩を察することが出来て、私の中ではますます「ブリキの太鼓」のオスカルが輝きを増してきた。そして、オスカルを迎え入れた小人のべブラの言葉がますます重く響いてくる。
「オスカル君、経験を積んだ仲間の言うことを信じなさい。われわれのような者はけっしてお客にはなれないのだよ。われわれのようなものは舞台や演技場に出なければならないんだ。われわれのようなものは人前で芸を見せ、筋書きを決めねばならない。そうしなければあそこにいる人たちにあしらわれてしまう。あそこの人たちはわれわれを虐待するのが好きなんだ」
・・・・・・
そう、決して、舞台の前に立つな。
常に舞台の上に。
なにものにも惑わされぬために。
そこに立って、自分の目でしっかりと見よ。
ギュンター・グラスは作家として初志を貫徹した。
後は人間として、自分自身をしっかりと見据えるために、今回のような告白をしたのだろう。
いまだにナチスの亡霊に悩み苦しむドイツにおいて、このような告白をした勇気と姿勢に私は尊敬の念を覚える。
そして、イスラエルもまた、いずれ自分自身の亡霊に悩む時が来るのだろうかと想像する。それは何十年先のことになるのか分からないが。
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