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2017年06月25日10:50

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「左キラー」で一時代を築いた、福岡時代からのライオンズ戦士のセットアッパーだった。

西武などで活躍、永射保氏が死去 中継ぎ左腕先駆け
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4637126
永射保(ながいたもつ)と言えば、昭和50年代を中心にクラウンライターライオンズ(当時)→西武ライオンズを中心に特徴的なフォームの横手投げ左腕投手として先発やセットアップで活躍、特に西武ライオンズの時代には劣勢で登板し相手の主軸打者を一人抑えて流れを引き戻すこともあったようで、Leron Lee、門田博光ら当時のパ・リーグを代表する左打者に“天敵”と言わしめるほどの存在となった人ですが、実働18シーズン、リリーフ登板数566試合(歴代3位)、年間リーグ最多登板試合4回を記録するキャリアの割りに、その全盛期があまり長くないイメージがあり、いつの間にか消えた印象がありましたね。現役後年に大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス(当時)とチームを転々としたということは記憶になく、クラウン時代からのライオンズでの背番号31の左投手としての活躍の印象が強いですね。
元々、NPBでのキャリアのスタートは広島東洋カープ(鹿児島県の指宿商業高校から昭和46年のドラフト3位)で、昭和49年に当時の太平洋クラブライオンズにトレードされたのですが、なかなか一軍定着とはいかず、昭和52年に先発左腕として9勝を挙げたあたりでブレイクしたようですね。調べると、ある時、理髪店の鏡に映し出されたテレビの野球中継での山田久志(当時の阪急ブレーブスの主戦投手。右のアンダースロー投手として名球会入り)の投球フォームを見てヒントを得て、それを参考に左のサイドスローのスタイルを確立していったとのことで、安田猛(当時のヤクルトスワローズの主戦左腕投手)にヒントを得て遅い球を投げることを志すなど、自身でそのスタイルを開拓してキャリアを重ねてきた人なのだなと認識しましたね。
今年の初め、サンケイスポーツのWeb記事
http://www.sanspo.com/smp/baseball/news/20170131/npb17013105000001-s.html
で、ダンカンが「昭和の侍」を訪ねる連載企画があり、そこでこの人の近況が紹介されていたようですが、既に癌に犯されていた中、自身の店でインタビューに応じたのかもしれませんね。この話もその記事で語られていましたが、監督やコーチの指導が絶対的とされる環境のチームにいたら、こうしたキャリアを重ねてはいなかったのではと思いますね。
享年63、ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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