『海皇様の海龍愛玩大作戦』第3話
カノンの書類仕事は午前中で片付き、昼食の時間になった。本日のメニューは塩タラとオリーブのリゾット、引き割り小麦入りのミートボールのトマトソース煮、豆とカリフラワーとズッキーニのサラダであった。
「そら、シードラゴン、食すがよい」
スプーンにリゾットをすくったポセイドンが、同じ寝椅子に座るカノンの口元にスプーンを運ぶ。古代ギリシャの伝統を受け継ぐポセイドニアでは、正餐は低いテーブルに料理を並べて、机を囲む寝椅子に寝そべって食べる。寝椅子には、二、三人が横たわることが可能であった。たださすがに朝食と昼食は手軽に座った姿勢で食べるのが一般的だ。古代ギリシャでは調理場で使うものをのぞけばスプーンやフォークのような食器を使う習慣がなかったため、食事は指先でつかんで食しており、パンで作った匙を使ったり、安いパンをナプキン代わりにして手を拭いて犬に食べさせていたのだが、さすがに海界でもカトラリーのたぐいはもう入って来ている。
「…ポセイドン様…」
「それ、あーん、するがよい」
幼児カノンの食事を世話するポセイドンは実に嬉しくも楽しそうだった。
「ポセイドン様、人に食べさせてもらうほど私も幼くありません。自分で食べられます」
「良いではないか。私が楽しいのだ。それ、あーん」
周辺にハートマークを飛ばしそうなくらいに上機嫌なポセイドンがカノンをせっつく。やむなく、カノンは口を開いてスプーンをぱくりとくわえた。
「おいしいか?」
「…はい」
「うむ、良かった」
カノンが米をもぐもぐと咀嚼していると、ポセイドンは自分の分を食べた。そして再びスプーンにリゾットをすくって、
「それ、あーんvvv」
とカノンに言った。にこにこと微笑むポセイドンの顔を見ながら、なぜおれがこんな真似を…と心の中で泣きながら、カノンは海皇に昼食を食べさせてもらったのだった。カノンが子供になったことを秘密にするために、召使なども極力遠ざけていたため、見物する人間がいないのがカノンにとっては救いだった。
外出や面会の予定がすべて流れたおかげで、カノンの午後はフリーだった。とはいえ、幼児の姿では遊びに出歩くわけにもいかない。おとなしく本でも読んでるか…とカノンが思っていると、ポセイドンが言った。
「シードラゴン、ゲームをするぞ」
「…は?」
目をぱちくりと開いたカノンにポセイドンが続ける。
「子供はゲームで遊ぶものであろう?海界でも可能なゲームを調べてきたぞ」
胸を張って自慢するかのように海皇が告げる。
「ポッキーゲームだ」
「…なんでしょう、それは?」
初めて聞くゲームの名前にカノンが問い返す。
「日本のゲームだそうだ。ジュリアンの奴はアテナに惚れているせいか、いんたあねっととやらでよく彼女が住んでいる日本の文化について調べておるのだ。それで私も知ったのだが、ポッキーゲームというゲームが日本にはあるらしい」
「どういうゲームですか?」
「ポッキーという菓子を使うのだ」
ポセイドンが手を宙にかざす。すると、菓子の紙箱が彼の手の中にぽすんと落ちてきた。
「これがポッキーだ」
「…手回しがよろしいですね」
「通販で手に入れた。お前と遊べるかと思うと楽しくてのぉ。ヨーロッパでは『ミカド』の名で売っておった」
菓子の紙箱を海皇がうきうきと開ける。
「棒状にしたクッキーをチョコレートで包んだ菓子だそうだ。これの端と端をくわえて…」
ポッキーを一本、ポセイドンが袋から取り出す。
「二人が両端から食べていくのだ。ポッキーを折ったり、先に口を離したほうが負けというものだ。簡単であろう?」
「……」
それ絶対に子供がするゲームじゃない、ラッキースケベを狙うゲームだ、とカノンは一瞬にして本質を看破した。ジュリアンは(そしてポセイドンも)日本文化について色々と調べるのはいいのだが、時として情報がいびつに間違っていることがある。邪気なくはしゃいでいるポセイドンの様子を見るとまだこのゲームの意図するところに気付いていないようだが、そのくせ、この種のゲームを無意識に探り当てるあたり、さすがはエロ上級者である、と失礼なことをカノンは考えた。
「…ポセイドン様、ボードゲームなどでしたら海界にも色々とあります。ゲームをするならこちらをしては…」
「せっかく私が用意したのだ。ポッキーゲームで遊ぶのだ、シードラゴン!」
海皇の厳命にカノンはため息をつき、従った。ポッキーの端をカノンがくわえる。
「では行くぞ」
ポセイドンが反対の端をくわえた。二人がもぐもぐとポッキーを食べ進めていると、
「…むっ!」
海皇が目を見開いてうなり声を発した。このまま行くと唇が接触するということに、ようやく気付いたようである。ポセイドンのポッキーゲームに対する熱意はさらに真剣さを増した。猛然とポッキーを食べ進めてカノンとの距離を縮めていく。
『ま、まずい、このままでは…!』
慌てたのはカノンだ。ポセイドンとキスなどしてたまるかと、彼はポッキーをへし折って顔を背けた。
「お前の負けだな、シードラゴン」
残りのポッキーを咀嚼し終えたポセイドンが嬉しそうに言う。
「そのようで…」
「実に楽しいゲームであるな。よし!もうひと勝負するぞ!」
「……」
ポセイドンが袋からさらに一本、ポッキーを取り出す。確信犯と化してポッキーゲームに熱を入れ始めた海皇を、カノンは冷たい目で眺めやった。
「何だ、シードラゴン。何か不服があるか?」
「いえ…」
「では続きをしよう」
ポッキーを再び海皇がくわえる。カノンは全てを諦めて、反対側の端をくわえた。
こうしてラッキースケベでカノンとのキスを狙うポセイドンに対し、キスなどしたくもないカノンは結果としてポッキーゲームで連戦連敗を記録した。そして執拗にカノンとのキスを企むポセイドンの執念のせいで、ポッキー一箱分を食べる羽目になったのだった。
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