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2016年09月06日03:32

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『河神の誘惑』第14話

『河神の誘惑』第14話

「…では、これが今回の報告書だ」
 聖域に月一回の定期報告に訪れたサガは、教皇の間の執務室でアイオロスに報告書を提出した。
「ご苦労だったな、サガ。どうだ、茶でも一緒に飲まんか?休憩に付き合ってくれ」
「ああ…」
 アイオロスは呼び鈴で侍従を呼び、二人分の紅茶を運ばせた。アイオロスとサガは来客用の長椅子の上に席を移して座った。侍従が二人の前にある低いテーブルにティーカップを二つ置き、退席する。
「あの…その、アイオロス…」
 しどろもどろになりながら、サガは隣に座るアイオロスに対して口を開いた。
「お前には…どうしても言っておかねばならないことがもう一つあって…」
「どうした?」
 サガは拳を握って覚悟を決め、アイオロスに打ち明けた。
「私は、アケローオス河神と肉体関係を持ってしまった」
「……」
 アイオロスは特段の反応は示さず、黙ったままサガの話を聞いていた。
「前に…カノンが酔いつぶれて私の官舎に泊まった時に、あの方も泊まって…。その夜に求められて…それで…。私は、拒めなかった」
「……」
 アイオロスは膝の上で手を組み、冷静に理解を示した。
「アテナは、あの方を敵に回すなとおっしゃられた。ならばお前が彼の求愛を受け入れたのは、仕方のないことだ。袖にして河神を怒らせるわけにはいかないからな」
 そして笑った。
「…だがいくらアケローオス河神といえど、おれ以上にお前を満足させることは、出来なかっただろう?」
「そ、それが…」
 ためらいながらもサガは答えた。
「…よ、良かったのだ。ものすごく…。その、お前より…」
 さらにサガは具体的な説明を続けた。アイオロスには、何が起きたかを完全に知ってもらいたかったからだ。
「あの方に口づけられると、不思議な感覚になって、星々や銀河や光の大河が見えて…。きっとあれがあの方の神としての本質なのだと思う。触れられると、それだけで体がとろけるように心地よくて…今までにないくらいの快感が高まって…。アテナの命がどうこうと考えるより先に、肉体があの方の意のままにされて、流されて…それで、拒めなかったのだ。交わった時は、本当にすごくて…それだけで絶頂に達してしまって…あるいは死ぬかと思ったほどで…。あの方の想いが直接心の中に流れ込んできて、視覚に形として映って…。他にも不思議なものを色々と感じた。世界の有り様だったり、周りにいた精霊たちの力や声だったり…。あの方の精を…その…中に出された時も…凄まじい力と小宇宙を感じて…、あまりに良すぎて…最後は気絶をしてしまったほどだった。神との交わりは、人間同士との交わりとはまるで違うと…まるで何かの神秘体験のようで…。上手く説明できないのだが、その、とにかく、すごくて、良かった…」
「……」
 サガの説明を聞きながら、アイオロスは自分の余裕が音を立ててぽっきりと折れるのを感じた。
 アイオロスは、自分の性的な力に自信を持っていた。男であれ、女であれ、彼とセックスをして満足しなかったものはこれまでにいなかった。だからサガについても、自分以上に彼を肉体的に喜ばせることの出来る男はいないと思っていた。
 だがサガははっきりと、「アイオロスよりアケローオス河神との方がセックスは気持ち良かった」と明言したのである。
「…それが、あの方の神としての力なのだろうな…。考えてみれば、あの方は神具として『豊穣の角』を持ち、流域の豊穣を司る方だ。豊穣というのは、性愛と表裏一体になっていることが多い。だからあの方は、人間の性愛を左右される力をお持ちなのだろう…」
 何かを納得するかのように一人で呟いていたサガが、顔を上げて慌てたように続けた。これだけははっきりさせておかねばならなかった。
「だ、だが、身を重ねたのはその一回きりなのだ!それからは…」
「…一回きりなのか?」
「その後も求められたのだが…。私は、覚悟を決めていたのだ。アテナのために、聖域のために、あの方を惹きつけておくことが益になるというのならこの身を捧げようと…。だがそうしたら、逆に、私が心から受け入れてくれるまで待つとおっしゃられて…。それからは…」
「寝てないのか?」
「…一緒に、寝てはいる。だがそれは本当に触れ合っているだけで…セックスはしていない。あの方に抱き締められていると、その愛や小宇宙に癒されて、すごく安らぐのだ。だから私も、あの方に無理な忍耐を強いているとは分かっているのだが…つい甘えてしまって…一緒に寝て欲しいと頼んでいる…」
「……」
 「セックスはしていないが一緒に寝ている」「ともにいると甘えられて、安らげて癒される」。二人のその状況をアイオロスはどう解釈したものかと考えた。
「サガ」
 アイオロスは改まってサガの名を呼び、ある問いに自分の疑念を集約した。
「お前は、アケローオス河神を愛しているのか?」
 率直にそう問われ、サガは自分の気持ちを図りかねて答えに詰まった。
「わ、分からない…。嫌いではないのだが…」
 その答えが出た途端、アイオロスの態度が豹変した。
 彼は立ち上がり、サガにつかみかかり、彼の体を長椅子の上に勢いよく倒した。
「…うわっ!」
 長椅子の上に倒れたサガが悲鳴を上げる。さらにアイオロスはサガの上にのしかかった。そしてサガの衣服をびりびりと乱暴に引き裂いた。
「……!」
 サガは息を呑み、瞳を閉じた。そして裏切りに対するアイオロスの制裁を待った。
 全てをアイオロスに話した時、アイオロスがどういう反応を示すか、サガにははっきりとは予想は出来なかった。あるいは己を愛するアイオロスなら、理解を示してくれるのではないかとも思った。だがアイオロスが裏切りへの制裁に出るというなら、サガはそれを甘んじて受けるつもりでいた。その覚悟を決めた上で、全てを告白したのだ。罪に対する罰を受けるために、サガはこの日この場を訪れ、全てをアイオロスに打ち明けたのだから。
「許さんぞ、サガ…!」
「…ロス…」
「おれ以外の男に心を許すなど…許さん!」
 サガには分かっていた。アイオロスにも分かっていた。
 アイオロスに「アケローオス河神を愛しているのか?」と問われた時、すぐにサガが「違う」と答えられなかったという、その意味を。
 ただ河神と肉体関係を持ったというだけなら、問題ではなかった。アテナのために、聖域のために、ひいてはアイオロスのために、アケローオス河神を味方につけることが有益だというなら、そのためにサガが肉体で彼を籠絡することが有効だというなら、サガはいくらでも身を捧げたし、アイオロスもそれを許容しただろう。それが聖闘士としても彼らのあり方だった。
 だがそれはあくまで、サガの心が、愛が、アイオロスの上だけにあるということが前提になればこそだ。河神に与えるのは、サガの肉体だけにしなければいけなかった。それだけならば、アイオロスも認めたし、むしろ推奨さえしたかもしれない。
 だがサガは「アケローオス河神を愛してはいない」あるいは「嫌いだ」とは答えられなかった。
 それは、サガの河神に対する感情が、アイオロスのそれに対するものとは違うにせよ、すでに一定の方向に進み始めていることを二人に悟らせてしまった。「あくまで友人として好きなだけだ」とさえ、サガは言えなかったのだ。
 だからこそ、アイオロスは激昂した。サガが「お前よりアケローオス河神とのセックスのほうが良かった」と明言したことも、激昂に輪をかけた。アケローオス河神をサガの肉体で籠絡するどころか、サガの方が彼に与えられる快楽によって籠絡されかかっている可能性さえ示したからだ。
 アイオロスの手がサガの首にかかった。ぐっとサガの首を握る手に力が込められる。
 その時。
「…あうっ!」
 アイオロスは突然に弾き飛ばされ、衝撃で長椅子の上から落ちた。体にのしかかるアイオロスの重みが消えたことに気付いたサガが瞳を開ける。身を起こし、そして異変に気付いた。
 はだけられてあらわになったサガの左胸にある射手座の印から、飛び出して来たものがあった。
「え…?」
 それは、青銀の鱗に包まれた水蛇の姿をしていた。背中には金と緑の鳥の翼がついている。奇怪な姿をした大きな水蛇が宙に浮かび、牙を向き、翼を広げ、アイオロスを威嚇していた。
「これは…この小宇宙は…アケローオス様の…?まさか…あの方の使い魔…?」
「…くそっ、こんなものが…!」
 アイオロスは宙に浮かぶ水蛇に拳を向けた。空を切り裂き、攻撃する。だがアイオロスの拳を受けた水蛇は、たちまち水滴の姿に変わって飛び散った。そして別の場所で集合して水蛇の姿を再形成すると、アイオロスとサガの間に割り込み、サガを守る態勢をとった。
 その時、執務室の扉が開き、聖衣姿のカノンが駆け込んできた。
「サガ!アイオロス!」
 衣服を破られて上半身裸で長椅子の上に横たわる兄を見ると、カノンはすぐさま駆け寄った。サガがカノンの保護下に入ったと見るや、水蛇は再びサガの左胸の射手座の印の中に戻り、その場から姿を消した。
「サガ、大丈夫か!?」
「…カノン、どうしてここに…」
「こんなことが起きやしないかと、今日は教皇の間に用事を作ってもらったんだよ。…ったく、馬鹿正直に話しやがって…黙ってればいいものを!」
 カノンは羽織っていたマントでサガの体を包み、引き裂かれた衣服を隠した。そしてアイオロスとの間に立ちはだかって言った。
「アイオロス、この件でサガを制裁する権利はお前にはないぞ!」
「…カノン…」
 アイオロスが険しい目でカノンをにらむ。
「お前とサガとアケローオス河神の間に起きたことは、ただの恋のさや当てだろうが!それはあくまで私的なことだ!サガは聖域に不利になることを、何らしたわけではないぞ!」
「……」
「だったら、お前にサガを傷つける権利はない!それは私闘になる!」
「……」
 苦々しい表情で黙り込んでいるアイオロスを室内に残したまま、カノンは兄の手を引っ張ってサガを執務室から連れ出した。
「…サガ、ほら、来い!」
「だめだ、カノン…」
 サガは足に力を込めて弟に抵抗した。
「だめだ、私はアイオロスのもとに戻らなければ…!」
「何を言ってるんだ!?今戻ったら、何をされるか…!?」
「だから戻るのだ。例えアイオロスに犯されても、傷つけられても…殺されるとしても…私は、アイオロスの制裁を受けなければ…。私は、私は…」
 そしてサガの瞳から涙が流れ落ちた。
「私は…アイオロスを裏切った…。その報いを、受けなければ…」
「報いを受けるって、どうするんだよ?さっきの魔物、アケローオス河神の守護魔だろう?あんなものがお前についている限り、アイオロスはただでお前を傷つけることはできないぞ」
「…あ、ああ、あああ…っ!」
 絶望的で悲痛な悲鳴を上げ、がっくりとサガはその場に崩れ落ち、そして号泣し始めた。自分がその身で受けるべきだったアイオロスの怒りと激情を受け止めることが出来ないという事実が彼を嘆かせた。
 サガの身を守るアケローオス河神の守護魔をアイオロスが力づくで排除しようとすれば、それは教皇の間の執務室、いや、教皇の間全体を崩すような戦闘になるかもしれない。そうなればアテナにも危険や余波が及び、事はアイオロスとサガの二人の間だけの問題ではなくなってしまう。
 カノンが優しくサガの肩を抱く。
「…ほら、サガ、いいから、今日はもう事務局に帰れ。途中で双児宮に寄って服を変えて…。アイオロスとは、また日を改めて話せ。おれからもあいつに話をしておくから…」
「…アイオロス、ロス…すまない…許して…許してくれ…っ」
 アイオロスへの許しを乞いながら、サガはいつまでもいつまでも、教皇の間の床にうずくまって泣き続けた。

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