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2016年08月26日00:24

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『河神の誘惑』第3話

『河神の誘惑』第3話

 サガとカノンは客間とおぼしき広間に招かれた。自然の岩壁を滑らかに削った物が部屋の壁となっており、妖精や幻獣の姿を描いたタペストリーが飾られている。磨かれた石の床の中央には群れ遊ぶ魚たちを描いた鮮やかなモザイク画があり、その上に優雅な曲線で竜を掘り出して装飾した木製の長椅子や黄金色の大理石と青銅のテーブルが据えられていた。二人が赤く染められた皮張りの長椅子に腰を下ろすと、この河のニンフと思われる暗緑色の髪をした美しい女性が茶を運んできた。女性がまとっている衣装も、また古代ギリシャの衣装であるイオニア式キトンだ。なのに現代的な白磁のティーカップに入れられた茶は、ダージリンのファーストフラッシュに似た、緑茶に近い薄い黄金色をしたみずみずしい紅茶だった。何故こんな紅茶が神の館にあるのだろう、と、思いつつ、二人は茶を口に含んだ。
「それで、我々二人を呼び出されたご用件ですが…」
「うん。お前たちの両親が亡くなって、お前たちが聖域に引き取られてからは縁も切れていたんだが…、今回の聖戦の顛末が色々とおれの耳にも入って来てな。その中でお前たちの話を聞いて、懐かしくてどうしても会いたくなって…。で、アテナに頼んで、水魔退治を口実に呼んだんだ」
「そんな理由かよ!」
 カノンが不服そうに声を上げる。彼としては、どんな罠でもあるか、罠ならばどう対処すればいいか、聖衣を持たぬサガをどう逃がしたらいいか、と、かなりの気構えをしていたのだ。それが完全に肩透かしを食ったわけである。
「水魔退治をして欲しいのも本当なんだがな。ま、それは後でおいおい片付けてもらおう」
「しかし、私たちの両親とお知り合いとは…一体どういう経緯で神であるあなたが?」
「かれこれ三十年以上は前のことになるが…。おれは時々、人間にまぎれて地上に出て遊ぶことがあるんだ。で、ある日、アテネ市をぶらぶらしてたら、いい女が一人でオープンカフェにいるのを見かけてなぁ。それがもう本当にいい女で…豪奢な銀の髪に澄んだ空色の瞳!そばかすひとつない滑らかな白い肌!影のある憂いを含んだ目つき!はかなげで綺麗な面差し!それなのに文句なしに豊かな胸!きゅっとくびれた腰!まろやかなヒップライン!すらりとして美しく長い手足!まあ、とにかく、なんでこんな美女が男無しで一人でカフェにいるんだってくらいに、いい女で、いい女で、いい女で…」
「……」
 自分が見かけた女性がいかに魅力的であったかをしつこく力説する河神に、双子たちはやや呆れ気味に閉口した。
「こんないい女を見逃す手はないと、おれはさっそく彼女に声をかけた。『相席いいかな?』ってなもんだ!そうしたら、おれと全く同時に彼女に声をかけた男がいたんだ」
「…それがもしかして、我々の父ですか?」
「そういうこと。それがお前たちの両親…ヴァシリスとエレナとおれの出会いだった」
 …最低だ、最低の出会いだ、と双子たちは同時に思った。
「女が一人に男が二人だ。おれとヴァシリスは最初は争った。おれの方が先に声をかけた、いや、おれが先だ、そっちが譲れ、いやそっちこそ、とな。そうしたらエレナが、『じゃあ、今日は三人でデートして、気に入ったほうと付き合うことにするわ』と」
「……」
 母さん、何気に肝が太いというかぶっ飛んでませんか?とサガは記憶も定かではない己の母に心の中で突っ込んだ。
「…で、三人でデートしたのかよ」
「ああ。そうしたらエレナよりヴァシリスのほうと意気投合しちまってなぁ。で、それからも三人で会っては遊んでたりしたんだが、一年後くらいに、二人が『結婚することにしたからよろしく』と」
「…つまり、アケローオス様は母に振られたんですね」
 サガの指摘に、ぐっ、と、河神が声に詰まった。
「し、し、仕方ないだろうがぁ!おれは自分の正体を二人には隠してたんだし、となると住所不定・職業不詳の怪しい男なんだから…。そりゃ結婚相手としては、まあ、ちょっとな…考えるわな…」
 金回りは悪くなかったから結婚してもエレナに不自由はさせなかっただろうが、と、河神が言い訳をする。 
「そういうわけで、二人は結婚した。結婚式ではおれがベストマンをしたんだぞ。いい式だった。花嫁衣装姿のエレナは実に美しかったしな!相手がヴァシリスでなければおれがさらっていくところだった」
 「ベストマン」は花婿の付き添い役で、通常は花婿の親友が務める。結婚式の幹事・進行役をする重要な役だ。ナンパで声をかけて花婿と花嫁を取り合った相手が親友ポジションとか、なんなんだよ…とカノンは思った。両親ともにたいがいな性格である。
「で、一年後くらいにお前たちが生まれて…。二人が結婚した後も、おれは新居を訪ねたりしてた。だから子供の頃のお前たちを知ってるんだ。おむつだって変えてやったし」
「おむつ…」
 自分のおむつを変えた相手と再会などしたくなかった、と、サガは内心で頭を抱えた。
「そんなこんなで三人で仲良くやってたんだが…、二人が交通事故で死んで、お前たちが聖域に双子座候補として引き取られて…それでおれとの縁も切れたと思ったんだ。アテナの領域におれが顔を出すわけにもいかんしな」
「でも聖戦の話を聞いて、私たちのことを思い出して懐かしくなって、呼び出した、と…?」
「そういうことだ」
 そうして河神は切なげな吐息をつき、懐かしそうに目を細めた。
「おれはもう一度お前たちに会えて本当に嬉しいんだよ。こんなに大きくなって…ヴァシリスとエレナに良く似て…。まるで二人が生き返ってくれたかのようだ。あの頃のことを色々と思い出すよ」
 双子たちの両親との思い出をあれこれと二人に話し、河神はしみじみと過去を懐かしむのだった。

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