『河神の誘惑』第2話
アテネ市内の事務局でアイトリア地方まで行く手配をした後、二人は長距離バスで移動した。
アヘロオス河の流れるギリシャ北西部のアイトリア・アカルナニア地方は、はっきり言って田舎である。すでに初夏に入った季節の太陽は燦々とまぶしく、きつい陽光に照らされた大地は乾燥が始まり、草も枯れて緑が乏しくなってきた河岸には双子たちの他に人の気配は皆無だった。
「さて、来たはいいが、どうしたら河神に接触できるのか…」
双子座の聖衣を収納した聖衣箱を背負ったカノンが河岸に立つ。
「河に向かって呼んでみるか?それとも源流にでもさかのぼって…」
サガも困惑して河の流れを見つめたその時。
河の水がざばっと水柱のように立ちあがった。そしてアーチ状を形成し、河の中に水のトンネルが現れた。
「…入れということか」
「よし、行くぞ」
覚悟を決め、二人は水の道に足を踏み入れた。
水中に出現したトンネルをくぐって下向きに降りていると、途中で二人は空間の歪みを感じた。何らかの結界を通り抜け、異空間に入ったのだと気付く。そのまま歩みを進める。すると、二人は広々とした空間に到着した。
通ってきた水の道がざあっと消失する。そこは、明るい光に満たされた広い空間だった。頭上は水で覆われており、その水は一定方向に流れている。おそらく河底なのだろう、と二人は推測した。カノンにとっては小規模な海底神殿を思わせる光景だった。輝く水晶の柱が乱立し、頭上の河底を支えている。床は磨かれた石床になっており、雲母や石英がきらきらときらめいていた。広間の中央には円形の泉があり、白い玉砂利が底で光っている。その他にも奇妙な形をした岩や珊瑚の枝に真珠のついた飾りが設置されていた。
そして広間には、一人の男が立っていた。
「よく来たな、サガ、カノン」
「双子座」とも言わず、いきなり名前を呼ぶ馴れ馴れしさに、カノンが眉をひそめた。
男が着ているのは古代ギリシャの男性の衣装であるキトンだった。足首まで丈のある裾長のタイプで、目の覚めるような藍色の布を両肩でブローチで留めている。
男は、人間では持ち得ぬような紺青色の髪をしていた。ゆるく癖のある髪を肩のあたりで短く切っており、ひげのない南欧風の顔は若々しく、ぱっと見には二十代後半に見えた。背は双子たちより高く、やや日に焼けた褐色の体は雄牛の様にたくましく、薄いキトンを隔ててその下に隠された見事な筋肉がうかがえる。青緑色の瞳は優しく友好的な眼差しで双子を見つめていた。
「あなたが…アケローオス河神ですか?」
「そうだ」
サガの確認を肯定した河神は二人に近づき、そしていきなりサガを抱き締めた。
「はっはー!大きくなったな!懐かしいぞ、サガ」
「は…?」
抱き締められたサガが固まる。その驚きも覚めぬ間に、河神は今度は隣のカノンを抱き締めた。
「うんうん、お前も大きくなったな、カノン。いや、実に懐かしい!」
「ちょ…ちょ…」
カノンが腕を突っ張らせ、河神を引き剥がした。
「な…なんなんだよ、あんた!いきなり何を…!?」
「なんだ、覚えてないのか。まあ、お前たちはまだ小さかったし、仕方ないな」
腕をほどいて二人を解放した河神が残念そうな表情をとる。
「私たちのことを…ご存じなのですか?」
「お前たちの両親とおれは親友付き合いをしていた仲だったんだ。子供の頃のお前たちを抱いてあやしたことだってあるんだぞ」
それはもう、その頃はこれくらいの大きさで…と河神は手で幼児期の二人の大きさを示して、それを抱き上げる仕草をした。
「ま、立ち話も何だ。中に入れ。茶でも出す」
「…あの、水魔退治は?」
「まあ、いいから、いいから」
と、手招きする河神に誘われ、双子たちは河底の異空間にある彼の館の奥に足を踏み入れたのだった。
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