昨日は、すぐに寝ました。
何で、体が動かなくなったかというと、恐らく、夜休みだということは、一か月前から意識していたからだと思います。
朝、五時に起きなければいけないとします。五時に起きようと念ずると、不思議なことに五時に起きます。それと同じようなことでしょうか。脳が、予定を体に命令しているということですか。
だから、多分、そのまえに代講を頼まれたら、バリバリとこなしたと思います。
寝る前に、大塚に用事があっていきました。
住宅街に近いのに、
ストリートガールが立っています。
そうか。ここは、三業地か、と思ったら、昔、高校のころ、同じような年のころ、40くらいのケバいストリートガールをみかけて考えたことを思い出しました。
同じ女性でもこうも違うのか…
母や叔母の境遇とは全く違います。
母や叔母が勤勉で、その人がそうではなかったから、自業自得で落ちぶれた…ということはないでしょう。
もちろん、背景には、貧富の差などの社会的矛盾があります。
しかし、当時思ったのは、それだけではなかろうということです。
たとえば、売春同様に暴力や脅迫も悪徳です。
幼稚園からの同級生の裕福な開業医の息子が、非常に無法な乱暴者でした。家庭環境だけではないと思います。
(ちなみに、彼は、新設私立医大に何浪かして入りましたが、「名医一覧」という週刊誌に乗っていてびっくりしました。)
では、何か。
もちろん、男性が好きだから娼婦をやっているという人は、いたとしても一握りでしょう。
何かしら、説明不可能な流れのようなものが影響していると思います。
山本有三に『波』という小説があります。
犬が波に向かって吠えている。何もならないが、引き潮が来れば、自然と波が引いていく…
そういう抗しがたい流れ。抵抗に成功することはありますが、よほど自覚的に行わないと抵抗できないという力。
習慣付けの力というもの。
これが悪いものです。
その軛から自由になった人間は、全くの自由で清純な存在だとおもいます。
だからこそ、マクダラのマリアには、根強く、イエスの配偶者説があるのかもしれません。
NHKの『真田丸』をみていますが、
その説明不可能な流れというものが、非常に良く描けています。
「悪女」「奸物」「忠義者」という図式的な整理ではなく、生き生きと、現代人にも納得できるように。
たとえば、なぜ、淀君は、秀吉の妾になったのか。
また、なぜ、あれほど頭がよく先が見えた、真田信繁が、
石田三成や大谷吉継に味方したのか。
こころの傾斜は、
利害の計算ではないです。
怒りや同情などの感情ですらありません。
不思議な心の流れです。
用事を済ませてから、家に帰ったら、
学会の偉い先生からの、身に余るお褒めのハガキが着いていました。
祝杯を挙げるのは簡単なことですが、
折角、与えられた、休息のリズム。
寝ました。
ご心配をおかけしましたが、
病気でも何でもありません。
過労の手前で休めました(^^)
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