よそのコドモたちが色気づいてきて、それぞれのコクるハナシを又聞きで微笑ましく聞いていると、ボキャブラリーの貧困さに慄然としてしまう。
犬神チルドレンの場合はフツーのコドモたちと違って、大人が一年かかって読む量を一週間で読破してしまうので、ボキャブラリーは豊富な方だし、実際、コクるコトバの多種多様ぶりは聞いていて歯が浮くほどである。
しかし、最近のフツーのコドモたちが使うのは。
「大好き!」
これ一択なのだそうである。
スレた私から見ると、アイドルのPVのキマリ文句のようで、ちっとも感動しない。
せっかく新聞で川端康成や谷崎潤一郎の恋文が発掘されて、その恥ずかしい文面が晒されているのだから、少しは目を通して、コトバの本来の威力を知って頂きたい。
第一、好き好き大好き、愛してるって言わなきゃ殺す!とストレートに感情をぶつけたところで、果たしてキモチが相手に伝わるだろうか?
ネットがなかった頃、私は文通でも女の子に愛を囁いていたのだが、特にヘルマン・ヘッセの「デミアン」を真似て以下の文章を綴った時はたいへん感激された。
自分の身がたとえどうなろうと、ぼくは、あなたがこの世にいると知り、あなたの声を飲み、あなたの近さを呼吸するのがうれしくてたまらない。あなたがぼくのために、母親になろうと、恋人になろうと、女神になろうと、それはかまわない。そこにいてくれさえすればいいのだ。
意地悪な方ならよくもまあ臆面もなくそんなコトバが吐けるものだとお思いになるだろうが、ほんとうに相手を想う心があってこそ、過去に読んだ美しいコトバが思い浮かぶものである。それこそがボキャブラリーであり、要するにイマドキのフツーのコドモたちは恐ろしいほどにモノを読んでいない。さぼさしさんの日記にある通り、読書量が低いレベルにあるというメキシコを笑っていられないのだ。
女の子にモテるために高給取り、イケメンになるのはいい。しかし、そんなのはガイコツが慌ててぼろぎれを羽織るようなもので、やっつけでしかない。結局、中身がモノを言うのである。
北原白秋の詩も好んでよく引用していた。
薄暮(くれがた)か、
日のあさあけか、
昼か、はた、
ゆめの夜半(よは)にか。
そはえもわかね、燃えわたる若き命の眩暈(めくるめき)。
赤き震慄(おびえ)の接吻(くちづけ)にひたと身顫(みふる)ふ一刹那。
我々若者(当時)にはワカリにくいムカシの言い回しではあったが、口に出して音読すると不思議と心地よくざわめくものが沸き起こってきた。
このように想いとコトバは密接な関係にある。むしろ人であるために人が綴ったコトバをより多く読み知らなければならない。
・・・・・・
今の私には倉田百三のコトバがひしひしと迫り、涙も出てくる。
恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。人生のかなしみがわかるのだ。地上の運命に触れるのだ。
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