午後は大事をとって、風邪薬を飲んでグッスリ寝た。
そしたらものすごいユメを見た。幻聴、幻覚のオンパレードで、悪夢ではないのだが、アタマに響く音楽でユメの光景が目まぐるしく変化していた。
メインは聾学校の幼稚部の記憶だった。
遊戯室の暗幕、和洋女子学園の人工池、そして吹き抜けの中庭(人工庭園)。すべて、私の原初光景で、後に私の人生を支配するオブセッションの源だ。その中心にゆうざい先生は立っていた。私の恩師の恩師、当時すでに70を超えた老教師であった。こげ茶色のスーツにこれまたこげ茶色のネクタイをしていたので、土むき出しの校庭の真ん中に立つと、その土地の神様みたいに見えた。
ゆうざい先生の得意としていたなぞかけは、指を突き出して何本かをあてさせることだった。しかし、ゆうざい先生の右手の中指と薬指は空襲で千切れていたので、親指を折り曲げて四本を突き出したつもりでも、二本に見えるのであった。誰かがバカ正直に「二本!」と言うと、ゆうざい先生はしわだらけのカオをもっとしわくちゃにしてニヤッと笑い、「四本だよ」と言うのであった。他のコドモたちと親御さんたちは悪ふざけとしか受け止めていなかったが、私だけは暗示的な何かを感じ、もう一度やってくれないだろうかとわくわくしたものだ。
ユメのなかでは何度もやってくれるので、私は感極まって思わず涙を流す。
すると、音楽室で何度も経験させられた、「体感音楽」がホネとはらわたを直撃する。聾唖者の音感を磨くために、コンクリートブロックの上に敷いたコンパネの上に乗って椅子に座り、四方から向けられたデカいアンプからの音楽を全身で浴びるのだ。そうすることでコンパネからも震動がカラダに伝わり、重度の難聴でも音楽を聴くことが出来る。見た目は拷問みたいだが、実際、始めたばかりの頃は耳鳴りと頭痛に悩まされた。寝ていても音楽がガンガン頭のなかで鳴り響くのである。四十路になった現在でも。
これらの曲が入れ替わり立ち替わり耳の奥から響き、様々な記憶がユメのなかに溶け込んでくるのであった。ヘンリー・マンシーニの「小象の行進」は聴覚障害者の音感を刺激する最良のナンバーだそうで、出だしが鼓膜、はらわた、ホネを揺さぶる様は苦痛なのか快感なのかもはや分からなかった。
暗幕のなかで幼女がもごもご蠢いているのを猫のように飛びかかって、暗幕をひきちぎって床に押し倒して上から抱き着く。幼児と幼女のかつて実際にあった記憶で、私はこの後ひどく怒られたのであった。しかしユメのなかでは大人になった私が何もないところで暗幕を撫でさすっていた。それを見て、ゆうざい先生が四本のつもりの手を突き出してきて、腹をゆすって笑い出す。コンパネの椅子の上で幼女が身をくねらせて挑発的な流し目をしてくる。
♪からたちのとげはいたいよ
�悗��悗た砲里箸欧世茵ΑΑ�
脳天を突き抜けるような女の歌声に圧倒されながら、ユメのなかの私はSONYのオープンリールの停止ボタンを押し、そして逆再生ボタンを押した。
♪よだげとのりはいおあいおあ・・・
よいたいはげとのちたらか・・・
女の歌声が変にしゃがれて聴こえ、一気に世界は神変する。コンパネの上で幼女が椅子の背を腹に押し付けて馬のように乗り、パカパカと揺らす。ガタガタいうコンパネ。
そういう経験とトリップ感覚を持つ私には、もはやクスリはいらない。ドラッグレス・ドラッガーなのだ。私自身がクスリなのである。
いつの間にか辺りが暗くなっていたことに気づき、私は寝惚け眼で五時近くになっていたことを知った。
ログインしてコメントを確認・投稿する