まず心霊関係において私の立場をハッキリさせておこう。今までにも何度も繰り返してきたことだけれども、私は幽霊を見たことはあるけれども霊の存在は信じていない。
すべては気のせいである。
仏教徒だから地獄と極楽の存在を、あの世の存在を信じているわけではないのだ。死んだらそれでおしまい。仏教のほんとうの役目はまだ生きている人々の気休めを手伝うことである。それゆえにいつも檀家たちと駄弁っているわけで、生きているもののつながりを重要視する、させることに余念がない。
でも幽霊はその怖さゆえに「面白い」わけで、ハナシのネタになるわけだから、イロイロとのばして、打って、こねて、切って、呑み込んだり、食べたりして愉しむ。恐怖も愉しみのひとつなのだ。夜寝られなくなるほど怖がることも、怖さのあまりひきつけを起こすことも、娯楽なのである。
それをワカッている自称霊能者は、TVに出ていいヒトで、上にあげたように宜保愛子から始まる、見たことのあるヒトたちだ。私は二十代の時に先輩とのつながりで某TV局でADのバイトをしたことがあり、現場はよりによって心霊番組ばっかりだった。そこで宜保さんや秋山眞人さんと出会ったのだけれど、スタッフは隠れて「彼らも芸人さんだから」とそれなりに扱うように指示した。その通り、実際、宜保さんは台本を読んであれこれの演出の指示に従っていた。タイミングよく「霊が見えます」などと言うのにはロケに同行していた私は笑いをこらえるのにほんとうに苦労した。
逆にTVに出てはいけない自称霊能力者は、当然、台本と演出を無視する輩である。先輩のハナシだと七十年代の水曜スペシャルで三本くらいお蔵入りになった番組があったそうで、キツネ憑きを祓う専門家がスタジオに呼ばれて、実演をお願いしたところ、放送禁止なんてものじゃない暴れ方をしたとか、視聴者の娯楽には耐えられないものだったとか。
そういうことなのである。
マジ、ガチになっている輩はまず、危険人物以外の何者でもない。憑霊信仰の取材で犬神憑き専門の祈祷師のところを訪れた時も、ああ、このヒトはTVに出られないなと判断した。犬の生首を切る以上に、無形の民俗文化財として認められないこと(即ちおカネがもらえないこと)に腹をたてて客の私にも長いこと愚痴っているのが目も当てられない状態であった。
上の最後に貼った大川隆法はイタコ芸人と呼ばれていて、その言動には失笑以外のリアクションをとれないのだが(最近は早速亡くなったばかりの渡辺淳一を召喚していた)、どちらかというとTVに出てはいけない側だと思う。本人だけならツッコミまくってイジッて笑いをとれるだろうけれど、マジ、ガチになっている信者たちがいるというのがヤバい。
私は幼少時、つのだじろうのマンガの影響で、心霊、オカルト系の知識を普通のオトナ以上に呑み込んだのだけれど、マジメに信じる方がどうかしているという結論に至った。級友たちと夜寝るときにおへその上でユビが三角になるように組めば魔除けになるというのを試したか、どうだった?とこそこそと語らったのが関の山で、やはり娯楽の域を出なかったのであった。当時熱病のように流行った心霊写真にしてからが、私は二重露出のテクニックを駆使して、近所のおじいちゃんをぼやけさせて風景のなかに撮り込んで、大量の偽造写真を生産した。
しかし、中学に上がって、トワイライトゾーンだったかの魔女特集で、マジに魔女になりたいというクラスメイトの女の子が私のところに現れて、魔術を教えてくれとせがむので、ヨモギを集めてその汁を飲めば呪いが効くなどとでまかせを言ったりしてあしらった。何度もだまされるのに真剣に私の言うことを聞くので、本気で将来を心配した。現在はフツーの奥さんをやっているけれど、当時を最大級の黒歴史としていて、同窓会では完全タブーで、私にも固く口止めを要求している。そうやっていずれは醒める中二病なら何も問題はないのだけれど、いいトシをしてUFOがとか幽霊がとか、果ては超古代文明がとウットリしながら語るヒトは「たけしのTVタックル」にすら出られないであろう。
そのたけしにしてからが信じ込みやすい性格で、宜保愛子さんの霊視を信じていたし、あの麻原彰晃と雑誌で対談して(その号は今でも犬神図書館にある)感激していた。フリなのかもしれないが、少なくとも対談の陶酔ぶりはとてもTVには出せる代物ではない。
私はそういうギリギリの境界線を想う。娯楽か、ガチか。
そして私は霊能者や占い師をよく嗤っているので、某占い師に「アナタは通り魔に刺されて死ぬ」だの、「1999年までにポックリ逝く」だのとさんざん言われた。それもさらなる嗤いの燃料になっているのは言うまでもない。
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