ホドロフスキーが我が国に滞在しているあいだ、精神世界について語ってみよう。
まず、私の母親はヒッピーだった。ビートルズの影響を受けてマハリシのファンになり、瞑想の真似ごとを毎日続けていた。不良ではあったが、一応得度していたオヤジと結婚したのは、その流れだったようだ。マハリシについては私も小さい頃からあれやこれやと聞かされたが、正直、いかがわしさしか感じなかった。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%BC
でも、幼少時から、ビートルズのサイケな音楽のトリッピーぶりは事実として受け止めていた。イエロー・サブマリン、ストロベリー・フィールズ・フォーエバー、マジカル・ミステリー・ツアーなどなど・・・グレイトフル・デッドの音楽も好きだった。
ここで皆さんに老婆心ながら理解して頂きたいのは、お寺に生まれたからとどこか悟ってきているわけではない。俗物は俗物のままだし、結局、そういう道に興味を持ったり、志す者が悟りへの道に至るのである。従って、私の仏教徒としての道の始まりはサイケデリック・ロックだった。♪We all live in a yellow submarine〜と歌いながら、本をぱらぱらめくっていて、衝撃的なコトバが私のアタマを射抜いた。ウィリアム・ブレイクの次のコトバである。
人は心と切り離された身体を持っているわけではない。
ブレイクの絵をごらんになっておワカりになると思うが、決して精神と肉体と分けて描いてはいない。まさに「すべては神秘のうちに退場する」、一元的な描き方をしているのだ。物言いは二元的に聞こえるかもしれないが、それは詩の技術上の反復性のあらわれである。
オヤジも祖父も精神世界の導師(グル)たりえなかった。私にとって導師(グル)たりえたのは、日々のなんでもないことの連続体であった。毎朝、陽が昇ること、川に水が流れること、虫や小鳥が歌うこと、それらが当たり前のように繰り返されること自体に、精神世界の奥深さを見出し、宇宙の法則を覗き見した。キリスト教では奇蹟として言い表しているのは実に興味深い。なにかある時だけ目を凝らしてもしょうがない。その時だけ肉体的に反応しても空しいだけである。それよりもなんでもない時に自分自身を浸らせて一体化させてこそ、意識はもっと高く、遠く飛べる。
その一環として小学生の時に新宿の伊勢丹で開催されたダリ展をきっかけに、エッシャー、マグリット、キリコと美術に親しみ、次第に独自の瞑想法を編み出していった。
二十歳前にコカインやヘロインをやったといういかがわしい人たちと知り合ったが(交際しているあいだ覚せい剤をキメて逮捕された者もいた)、違法なクスリをやるよりも市販のクスリを大量に摂取して飛ぼうと映画「ドラッグストア・カウボーイ」そのままにカゼ薬や頭痛薬を大量に頓服したりして新次元のトリップを開発した。ケン・ラッセル監督の「アルタード・ステーツ」に憧れてペルーに赴いた時、コカの葉(コカインの原料)や幻覚キノコをたらふく食べたがものすごく気持ち悪くなっただけで、なんでもない時に無我状態になって透明な妄想に耽るのに比べたら、市販薬のトリップも含めてほんとうに不健康でしかなかった。
イロイロ試してきて、結局ビートルズの曲を聴きながら陶酔する瞑想法に戻っているのは、それが私にとっての原初体験であり、デヴィッド・リンチが提唱するドラッグレス・ドラッガーのカタチだからである。
ホドロフスキーが「ホーリー・マウンテン」のラストでカメラ引け!と叫び、それまでの神秘体験を冗談と笑い飛ばすあの境地。その通り、マジメになにかある時だけ目を凝らすとそれに囚われたまま戻ってこられなくなる。精神と肉体のはざまに陥ってわけがわからないまま死んでしまうだろう。しかし、なんでもない時、常に目を泳がせていれば、すべてのことわりが向こうから微笑みながらやってくるだろう。
後、形から入るのが好きなヒトは、ヨガを習ったり、座禅を組んだり、棒で組み立てたピラミッドのなかに入って朝日を浴びたりしているが、それは単に自分に酔う効果しか得られないので、私は普通に寝ることをオススメしたい。昨日の日記に書いたような無防備な寝方をするともっといい。そうやって視るユメをどれだけ覚えていられるか。私が毎朝血圧の測定結果とともに報告しているあれも独自の瞑想療法のひとつなのである。
最後にブレイクの詩「こだまする野辺」を。
日が昇り
空が明るみ
鐘が鳴って
春を迎える
ひばりやつぐみ
藪の鳥たち
大声で歌うよ
鐘の音にあわせて
子どもらは戯る
こだまする野辺に
オールド・ジョンは
愉快に笑う
樫の木陰で
仲間とともに
僕らを見ては
大人は言うんだ
楽しい眺めじゃ
子どもの頃に
わしらも遊んだ
こだまする野辺に
子どもたちの
元気がなくなり
日が沈むと
遊びは終わり
母親を囲んで
子どもたちが
小鳥のように
集まってくると
遊びは終わって
野辺も暗い
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