前回に「犬神博士の愛と性の悩み相談室」を再録した通り、私は性に関してかなりオープンである。そのオープンさに子供たちは結構影響を受けているのだが、どちらかというと女の子の方が多い。男の子の方はというと、部屋のすみっこでワンピースやトリコを読んで、男の子の友達同士では同じくすみっこで携帯ゲーム、カードゲームに熱中している。
女の子から成人向けコミックを見せられてほらほらと挑発されると、実にイヤそうなカオをするし、DVDライブラリーにトムとジェリーにまぎれて並ぶAVのパッケージからはわざわざ目をそむけるほどである。
性に飢えていた私の幼少時代と比べると、びっくりするくらい自らに線引きをしている。
何が彼らをそうさせているのだろうか?男の子なりの世間体、虚栄心というやつだ。要するにかっこつけ。気持ちは分からないでもない。みんなの目の前でハアハアいうと後で何を言われるか分かったものじゃないからだ。
男の子が分厚い装甲のガンダムやダグラムなど、カードゲームに見られるようなドハデな装備をカッコイイと感じるのは、そのまま心の殻の厚さを表している。
私は一度、男の子たちにモデルガンを持たせ、模造刀を握らせ、ズッシリした重みに裸一貫で頼れるのはおのれの手に持つ得物のみ、というのにカッコよさを感じさせようとしたのだが、徒労に終わった。そこからおのれの手に持つのはおのれの珍宝のみという性的な自覚に発展させるのがねらいだったのだけれど、彼らにしてみれば珍宝一本だけでは頼りないようだ。かっこつけるためには材料が足りないのである。
そんなことばっかり言ってると、と私は熱心に説いた。女の子にモテなくなっちまうぞ、それだけじゃなく、将来男の身でブラジャー着けたりするヘンタイさんになっちゃうぞ。
これだけ言っても耳を貸さないので、残念ながら彼らはタンパクな性体験にとどまることであろう。そういう人生もまたよし。
女の子の方が線引きをしない、タガを外しても元に戻ってこれるのは、男の子のそれと比べて精神構造が複雑に出来ているためだ。精神病とは無関係に、生まれながらにして二重にして多重の自己を持ち合わせているのである。
乙女心は複雑と言い切ることで、男の子の子供っぽい主張を殲滅させる威力を発揮するのはそれゆえなのだ。
そういう恐るべき少女たちと闘うために、少年たちは無意味にかっこつけることを捨て去らなければならない。少年にも複雑な面はある。少年のみが持てる「乙女心」・・・決して少女が自分自身に投影する幻の少年像などではなく、少年自身の無垢さは乙女心と同じように危険なものだ。それはつまらない我を張ることでたちまち濁ってしまう。
犬神図書館は確かにヘンタイすれすれの性教育で個性的すぎる子供たちを育てている。でも私自身は先に再録した「犬神博士の愛と性の悩み相談室」のように、ひとつ突き抜けたところへ、子供たちを精神的な高みにあげることを目指している。
線引きして心に壁を作ってしまうより、タガを外して自分自身がどこまで広がるか、そしてどれだけ透明になれるかで、心の純化をはかる・・・
そこに人間のほんとうの成長、可能性があると私は確信している。
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