今年の六月にマイミクさんのとよさんが亡くなり、昨日若松孝二監督が亡くなった。どちらも交通事故である。こういうのを当寺では“死縁(しえん)”と呼び、同じ死に方をしたもの同士、あの世で会う機会があるだろうと説く。
とよさんは享年32歳、若松孝二監督は享年76歳。
当然、若松孝二監督にとってはとよさんは東スポの若手記者以外の何者でもなく、一口で言えば小僧なのだが、それは生きてるうちでの話であって、死んだ順番からいってとよさんの方が先輩なのだ。年齢は関係ない。
事実、お墓に骨壺を納める際も、死の序列に従う。子供のうちに死んでしまった骨壺の上に、九十いくつで往生を遂げた老人の骨壺が重なる。とよさんが好きだった「仁義なき戦い」のなかのセリフで言い換えれば、「骨壺にも段々があるんで」なのである。
私は別に若松孝二監督を軽く見ているわけではない。むしろその壮絶な映画人生に畏敬の念を持つファンの一人である。しかしどんなに濃い人生を送ってきても、死んでしまったら自分の半分も生きなかった連中のケツに並ばなくてはならないのだ。
そこに死ぬことの無情、無常がある。
あの世では今まで生きてきたことは全く意味をなさない。だからこそ、生きているうちにしておくべきことを為すべきだ。
とよさんは書きたかったことを書かないうちに死んでしまった。若松孝二監督は新作が上映されるのを見ぬうちに死んでしまった。二人を悼むのは私だけでなく誰でも出来る。重要なのは死を目の前にして、いかに生をまっとうするかなのだ。
今一度、当寺のスローガンを繰り返そう。
“死と闘え、生と闘え”。
Fight the Death, Fight the Life.
合掌、南無阿弥陀仏。
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