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2012年09月25日19:49

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「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」に言葉の新しい地平線を見る。

 朝、白い雲の出て、出ていない!夕方赤い消防で帰ってくるんだよ。え?チョコレートよりカステラ喰いたい、たっーたそれだけのことを願ったばかりに、えっなあに、何も考えない方がいいんだよ。考えるからいけないので。特別席なんてそんなところにあるわけねェ!おい!男二人して脂じみた枕蒲団一切合財火つけて燃やしてしまえ!そうすればね、何もかもうまくゆくなぃっす、はい。
 ああ、なんだって?いやぁ、おがぁはんの記憶なんか全くないです。わたし十一番目ですからね。ええ、最初ぢゃないわけですよ。えぇ、こう、川があってね、ああッおっーと、でわたし末ッ子だとかね、末ッ子だからっていってボタボタボタってうみおとされでね、そんなこと十一番目に生れされたんだから最初じゃあないわけですよ。だからオギャーなんてね、声なんて出してないわけですよ。えぇ、なあに、うんだ次の日からねぇそこらへんで水屋で皿洗ってるようなね、おがはんだったもんだからね。朝三時に起きて鉈持って土間さおりで瓶のなかの水割ってそれから火吹いて髪の毛結いてないから髪さボボボボッーって火が付いてね、なんか、そっ、もうかまどの中入っちゃった、おふくろがいつも燃えてるじゃねぇかワッワワッて、そんな角度からみて、とってもこわい生きものがね・・・


土方巽 「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」 筆録 吉増剛造 より一部抜粋

東西を問わず、人類は言葉を整えるのが好きである。詩がそうであるし、我が国の俳句もそう、各国単位の洒落、新しくはラッパーの韻踏みもそうである。

特に我が国の落語のしゃべりは、言葉を整えたのを語って聞かせる、計算の芸術だ。

だから、繰り返し、繰り返し、噺家は厳しい練習を積み重ねるのである。

しかし。

整わない言葉もまた、人類の秘めた芸術であることはここに新しく認識されるべきだ。
我が国では「異言」と言うが、妄言とは違った、脳が物語る言語トランスなのである。
イタコが死者の霊を口寄せる時、耳を立てて注意深く聞くがよい。
耳慣れているはずの読経、祈祷、呪文が「解体」して自由な響きを持ったリズムと化するのを聴くであろう。
私は若い頃、アフリカでトランス状態に入る黒人たちの言語トランスを聞いたことがあるが、しゃべりなれている共通の言語が霧散して、独自の新しい言語に再構築されていく感じであった。

精神病患者のしゃべりは言語以前に意味そのものが破綻しているので、リズムよりも生命力の荒々しさが出がちだ。夢野久作の「ドグラ・マグラ」は精神病に名を借りた、言語トランスの小説だといえば、リアルとの差がお分かり頂けることであろう。

上に一部をあげた土方巽先生のしゃべりは、まともに読めば何を言ってるのか分からない。
しかし、ライヴで聴くと、言語トランスの異様な迫力に圧倒され、眼窩のうちに土方巽先生が見てきたイメージが恐るべき速度で展開されていくのだ。

読んでお分かりのように、落語の計算とは真逆の、思いつくまましゃべり続けるという、ベケットが目指した、自動独白の彼方なのである。

試しにあなたがたも部屋を真っ暗にして、延々とモノローグを重ねてみるといい。ボキャブラリーの貧富よりも、自分自身がどういう記憶の断片にとらわれているかをあらためて識ることであろう。

思えば、ブルトンも小説「ナジャ」で言語の再構築を試みていたし、バロウズもカットアップ、フォールドインの技法を用いて言葉の新しいイメージを引き出そうとしていた。

誰かの舌の垢がついた、おなじみの言葉をいつまでも使いまわしていないで、自分自身が全身全霊をかけて執着出来る、自分だけの言葉を使って、世界じゅうを自分色に染め上げるのだ。
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