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2011年05月14日14:28

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清岡純子と花咲まゆのこと。

フォト


今日、友人から映画の企画として、清岡純子の伝記ものをやりたいと聞かされた時は、何かを忘れてきたのを今になって突然思い出したような気持ちになった。

清岡純子。我が国が誇る、伝説のロリータ・アーティストである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B2%A1%E7%B4%94%E5%AD%90

私と同年代の方なら、その昔、「プチ・トマト」という子供心にもヤバイロリータ写真雑誌があったことをご存じであろう。
当時でさえヤバかったのだから、今のご時世では国会図書館でさえ閲覧禁止の扱いである。

しかし、私はなぜ彼女が執拗に少女(もしくは幼女)のヌード写真を撮り続けたのか、分かるような気がした。彼女のポートレイトを見ると、上のモデルだった花咲まゆと顔立ちがそっくりとは言わないまでも、同じ種類のものを感じたので、清岡純子は一生涯をかけて、少女時代そうであった自分自身のピュアな部分、絶対少女を追い求め続けたのだと。

それは多分間違ってはいないはずだ。

ロリコンマニアの友人に一回だけ見せてもらった花咲まゆの写真集とプチ・トマトのバックナンバーを見比べてみると、撮り方が全然違っていた。つまり、花咲まゆの場合は凄い気合いが入っていて、他のモデルとなると凄い雑だったのである。

そして、我が母は、なぜか清岡純子の著作「レズビアンラブ入門」を持っていたので(現在も犬神図書館にて所蔵)、レズビアンとしての清岡純子像も知ることが出来て、彼女自身の執着はやはり絶対少女の追求なのだと確信した。

そのことを話したら、友人は感激して、是非脚本を共同でやろうと言ってきた。
私は少し考えさせてちょうだいと返事は後回しにしたが、清岡純子は一般的にはロリータ写真で知られた存在である。マニアも多い。それと同様に、彼女を児童ポルノの象徴と見なしている人も多く、国会図書館の扱いがその一例だ。
正直、少年だった私は、「プチ・トマト」の廃刊を喜んだ一人だった。
泥臭い少女を無理矢理ハダカにしているよりも、少女たちが無理矢理笑っているのが痛々しくて見られたものではなかったからだ。本屋ですごく目障りだったのである。

しかし。

花咲まゆだけは違った。自然の笑顔なのである。そこに清岡純子の愛情、恋情、純情を感じてしまう。

だから、もう少し考えて、ホンにするならば、花咲まゆの視点で清岡純子を描きたいと思う。
そして、内田裕也の逮捕を受けて会見した樹木希林、あの髪型といい、視線といい、晩年の清岡純子にそっくりなので、樹木希林が後三十年若ければ、若い頃の清岡純子役として適役なのにぁと嘆息した。
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