イマドキの聴覚障害の子たちが、手話が成り立ってなかった頃の口話世代の私に興味を持つのは、以下の理由が大きいようだ。
�‘豹阿�出来る。
��皮膚感覚で音楽を聴ける。
���,鉢△鯔瓩�おかげでハンディキャップのコンプレックスが軽減される。
ズバリ、手話だけに頼っては、コンプレックスの軽減は一生のぞめないままなのである。そのために、なかには、手話を聴覚障害の文化と位置づけ、聴覚障害者たちだけで暮らすコロニーも作ることを目指す考えが出てきているのだが、社会にとってはアンチ・ユートピア以外のなにものでもなく、そんなマイナスの場で生きていくのは決して自分のためにならない。
聴覚障害だけでなく、すべての障害を背負ったものに課せられるのは、「自立」だ。一人でも生きていけるだけの生活力、精神力を身につけること。
それで私は幼い頃から、度々語っているように、血のにじむような訓練を受けて、普通の人と何ら変わりない会話力を身につけた。同期の者で、手話が全く分からないほど口話だけで凌いだ者は、私の他に二人くらいしかいない。後は手話と半々、もしくは手話を習い直す・・・
それは聾学校の先生方から言われるように、「恵まれている」のではなく、どれだけ負けず嫌いかによる。
私は負けず嫌いで、意地っ張りだ。
それに加えて、女好きなところが自立精神を強くした。即ち、健常者の女とヤリたいがために、必死で訓練を受けたわけだ。
おかげで今日の私がある。
というわけで、私の負けず嫌い、読唇、皮膚感覚を見習おうと、手話の限界に気がついたイマドキの聴覚障害の子たちが時々、親御さん、先生を通して私に連絡を寄越すのだが、ほとんどは私がクリアしてきた訓練メニューを聞いただけですごすごと逃げ帰ってしまう。
で、今回、新しく犬神チルドレンの一員になった聴覚障害の小学二年生の女の子は、両耳とも私と同じ90デジベルレベルの難聴で、手話メインで義務教育を受け出した段階で、健常者の男の子と遊びたい欲求に目覚め、先生と親をさんざん困らせた挙句、私のところに来た。
私の訓練メニューを聞いても逃げ腰にならなかったというのは、大いにほめるべきなので、特別訓練生として迎えることにした。
まずは、皮膚感覚を磨くことからスタート。
このひとつに、心耳(しんじ)がある。心眼は心の目で観るものだが、心耳は心の耳で聴くものだ。武芸の達人の領域に等しい能力を可能たらしめる修行の一環に、茶道がある。
茶道における、湯相が私の課す訓練メニューの第一段階だ。
湯相(ゆあい)とは、湯加減のことで、茶道にとっては茶の味を左右するので、釜の煮える音で察知する必要がある。
これを聴覚障害者が聞き分けられるためには、当然、聴力以外の感覚を総動員させて集中しなければならない。即ち、視覚、嗅覚、味覚、そして皮膚感覚だ。
�.船叩▲船辰伴僂┐覯擦�するのがミミズの鳴き声に似るという意味で「蚯音(きゅうおん)」。
�▲�ニの目くらいの小さな泡が立つのが「蟹眼(かいがん)」。
�K△�連なって湧き上がるのが「連珠(れんじゅ)」。
�に△�魚の目ほどになって湧き上がるのが「魚目(ぎょもく)」。
�ゾ召両燭鮨瓩�抜けるように釜が鳴るのが「松風(まつかぜ)」。
�イ涼奮�がいちばん茶の味に適している湯相で、茶道はこれを見極めるための稽古がある。
盲目の人は、音と匂い、腕の毛の立ち方で察するというから、難聴の人に出来ないわけがないのである。
湯がいかに沸くかを両のまなこでしっかり睨み、各段階の空気の震動、蒸気の匂いなどを観察していけば、目的とする皮膚感覚が鍛えられるであろう。
障害を背負う人ほど、特別な感覚に優れるものはいない。
それは生まれつきであったり、このようにして血のにじむような思いをして努力したものであったりする。その両方を得られたものは、社会においてはもはや一人前どころではない。
頑張りたまえ!!
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