新潟少女監禁事件を元にした長編小説「柱の部屋」の第二章が書き上がった。男がベッドの上に少女を座らせ、あの手この手で脅し、絶対にベッドから降りるなと強要するシーンを描くにあたって、男が少女にビデオで映画「ウィッカーマン」を見せるところは特に書き込んだ。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2262#1
もちろん、実際の佐藤被告は「ウィッカーマン」を観てるかどうかは分からない。私自身の憶測であり、完全な創作である。
しかし、少女を拉致してこなければならなかったほどの男の妄執は、ほとんどあの映画に通じるものがあると確信したのだ。
妄執を抱く者はおのれを正当化するために、究極として“神”を持ち出してくるというのは、人類が始まって以来の普遍的なものだ。
従って、タイトルに神道における神の象徴である“柱”を持ってきて、「柱の部屋」とした。
理由はもうひとつある。
佐藤被告の部屋の構造をじっくり眺めていて気付いたのだが、気持ち悪いほど、その二階に独立した間取りが神社のやしろに酷似していたのである。
ああいう空間は佐藤被告が親にねだって造らせたとはいえ、果たして偶然の産物なのだろうか?
そこで、佐藤被告をモデルにした男を、日本古来の神道に沿って、自らの神話に閉じ籠もり、“足りないもの”を暴力に訴えてでも補う妄執に憑かれた孤独な人間と設定した。
少女は足りないものとして拉致されたわけだが、その位置づけは何であるか。いわゆるお供え物で、人身御供、生贄である。
男は律儀にも、脅迫したり、暴力をふるっても、人身御供としての少女には基本的に礼儀正しく接する。
小説のなかでは、男が温かく包まれていたダブルベッドを少女に明け渡し、自分は毛布にくるまって床に寝るという風に書いた。雪国の極寒でもそういう寝方をしてきたおかげで、ストレスが溜まり、佐藤被告がそうであったように、男の頭髪がすっかり抜け落ちた・・・という設定も付け加えた。
小説がメインにしているのは、男の妄執の恐ろしさではなく、男の妄執に取り込まれた少女の意識変容であって、普通の少女から、(男の作り上げた神話のなかの)巫女になっていく様を淡々と描いて、人間特有のマイナス面におけるカタルシスを追求するというのがねらいだ。
実は、実際に少女を発見した柏崎市の保健所の職員は、母方の遠縁にあたり、親戚伝いに、少女を発見した時の細かな状況、本人の心理状況を詳しく聞くことが出来た。その時に受けた“何か”が小説のインスピレーションになったのだが、職員は少女を発見した瞬間、髪の毛がぴりっと太くなるような、ノドの奥に硬いものを無理矢理詰め込まれたような、恐怖を感じたのだそうである。
おかげで事件後、彼の頭髪は白髪が目立つようになってしまったとのことだが、一体、少女の内に何を見てしまったのか?
そこに私は大変興味を持ち、「柱の部屋」にチャレンジしているわけだが、少年時代、映画「ウィッカーマン」を観て、何だかわけのわからない昂揚感に楽しくなって、生贄にされて炎に包まれるのも最高だと感じた、あのカタルシスは大いに参考になるはずだ。
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