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2010年06月01日23:12

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藤十郎百怪夜話 其の四 「風の神の袋」

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明治十年五月。
 二十三日、築地海軍省練習場で、はじめて軽気球乗りの実験が行われた。気球は長さ九間、幅五間、周囲十七間で、奉書紙百二十反をミシン縫いしたものへ、ゴムで塗り上げ、金杉の瓦斯局から、蒸気ポンプで瓦斯を送ったが、その量は一万五千立方尺であったという。
 当日の搭乗者は、海軍兵学校の馬場新八氏で、同氏は西南の役熊本城で軽気球を作ったという経験者で、その日陸軍省の依頼で実験のため、自ら作成、これに搭乗することになったのであった。
 まずはじめに、馬場氏が搭乗して、一千二百尺の高所に達し、実験を終えて一度下降し、その後は軽気球のみを飛揚させたが、五、六千尺の高さまで達し、東南の方一里半ばかりの堀江という村に、その気球が落ちたのであった。
 ところが、その附近は、漁師ばかりが住んでいる村落だったので、その気球が何であるか一人も知っているものがなく、突然大きな袋が空から落ちて来たので、その騒ぎは一方でなく、
「これは、きっと風の神が過って袋を落としたのだろう」といい、またある者は、
「辣韮(ラッキョウ)の化け物じゃあるまいか」という者もあり、
一村の大騒動となって、人々は、てんでに櫂をふるって、この怪奇な化け物めがけて突撃すると、一生懸命打ってかかったが、風船玉の大袋は、フワフワと飛び回るのを、追いかけ追いかけ打ちのめすうち、袋は破れて水素瓦斯がもれ出し、臭気があたりに四散したので、人々はなおさら騒ぎ、
「それ、化け物が悪気を吐き出したぞ」と、ワーッとばかりに逃げ出した始末であった。とにかく、この臭気を嗅いで、病気になったものが二、三人あったという。
これが、我が国における、実用的軽気球の嚆矢であると。

(明治事物起源)


私の父方の祖母の、母方の祖母は生まれて初めて懐中電灯を手にし、用を足すと一生懸命息を吹きかけたり、何度も強く振ったりして明かりを消そうとして、とうとうしまいにはたらいに水を張って、そのなかに投げ入れて、しばらく見守って、やっと消えたことに喜んだのだそうである。

祖父の怪談、奇談ばかりを集めた新聞などからのスクラップブックの、今回の話を読むたびにそのことを思い出すのだが、現代人の私たちが昔の人の無知を嗤う代わりに、私たちもまたいにしえの先人たちに知識、科学、そして言葉そのものにがんがらじめになっている様を哄笑されていると悟るべきである。

祖父はこの記事について以下のように語っている。
「気球を知らなければ、確かに大空を舞う妖怪そのものにしか見えなかったであろう。人は頭で考え出したもの以上に、心のなかの何かに突き動かされるものなのだ」

そして。
現代人の私たちの前にはもはや驚異は存在せず、ただ空しく都市伝説や芸術などで虚空に驚異を追い求めるしかない。
もはや、昔の人のように、何かを見て驚くという、最高に美しい体験はもはや永遠に失われてしまった。
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