小説家の多島斗志之さん失踪
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私は難聴で補聴器をつけていますが、小さい頃に口話訓練を受けた際、色々な障害を負っている方々と交流していたことがあるんですよ。
もちろん、弱視の方、盲目の方ともつきあいました。
多島先生は多分、生まれつき盲目ならばそれなりの能力は得られるだろうが、年老いてからの失明は恐ろしく絶望的だとお考えのご様子。
とんでもない話です。私がつきあったなかには、緑内障で失明したお年寄りもいらっしゃいましたが、人生に絶望するどころか、ハンデがあってこそ想像力が膨らむとにこにこしておりました。
骨董品の鑑定をやっておられた方で、私とは春画のコレクションという共通の趣味で知り合いましたが、目が見えなくなってからは、私の顔や身体をぺたぺた触り、ナデナデして、私という存在を楽しそうに確かめておりました。
それと同じように、年金を使ってキャバレーに行って、孫ほどの若い女性をナデナデして鋭気を養っていましたから、目が見えなくなっても、いや、目が見えなくなったからこそ、楽しみ方が新しく開発されるものなんですよね。
ということは。
そういう楽しみ方、想像力の膨らませ方を小説において、新しく切り開くことも可能なんです。
開高健は「破れた繭」、「夜と陽炎」と、耳で聞こえる世界を綴っておりますが、あれ以上に盲目ならではの感性を活かした作品が書けるはずなのです。
多島先生、どうか生き延びて、再び執筆を!!
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