方々へブツの発送の準備をしていると、ココ、鈴のクラスメイトの犬神チルドレンのノブという男の子がまるごとバナナを手みやげに相談に乗って欲しいという。
まるごとバナナを一口で消滅させて、話を聞くと。
「男としてカッコイイポスターってどんなのですか?」
よくよく聞けば、ココと鈴と同じく来春で中学生。そこで自らに気合いを入れるために自室にバリッとしたポスターを貼りたいのだそうだ。
なるほど。とりあえず、中学一年生の私の部屋に貼ってあったのは以下の通りである。
最後のは、ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」の挿絵を金子國義氏が描いたもののひとつで、この危険極まりない少女シモーヌを他のポスター以上に崇拝していた(当時はコピー機がなかったので、写真に撮って自分で引き延ばして貼った)。
「オレのを見ても分かるように、カッコイイもカッコ悪いもねえんだよ。ただ、自分がほんとうに大好きなものを貼って、日々拝む・・・それだけなんだ。ホントにそれだけなんだよ。部屋ってなあ、てめえ自身の心のなかの世界がそっくりそのまま具現化するもんだからな。好きでもねえもんを無理して貼っても、落ち着かないだけだぜ。ノブが今いちばん好きなのって何だ?」と私。
「ミスチルの歌です・・・(年の離れた兄の影響らしい)」とノブ。
「それならミスチルのポスターを貼ればいいんだよ。女のハダカに興味はねえのか?」
「うーん、生ものはちょっと」
「遅かれ早かれ生ものとやらなくちゃいけねえんだから、いい加減直視出来るように鍛えろよ!!」
「はい・・・」
まあ、何だかんだ言って、チン毛がそれなりに伸びてくれば男の子と女の子の境界線があいまいだったうるわしい少年時代は終わりを告げる。そうなれば、おのずからと、溝が深まっていく異性を追い求めて、すべてを見知りたがることだろう。
漢のポスターとはそういう欲望、様々なイライラの対象への放射線の象徴でなければならない。
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