オヤジの性遍歴は、妾を二人も囲っていた祖父を反面教師としていたために、比較的ノーマルであった。
だからこそ、石井隆の劇画などで満たされぬくらい欲望を発散させていたのだろう。
しかし、そんなオヤジが唯一、私の目に触れぬように柳行李のいちばん底に隠し続けた劇画作品があった。
椋陽児である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8B%E9%99%BD%E5%85%90
隠し続けても、幼児の私がアメリカン・ピンナップガールのベティ・ペイジの特製カレンダーを土蔵のなかから見つけ出したように、小学四年生の春に柳行李のなかから見つけ出してしまった。
それを知ったオヤジは、生涯でただ一度、私の眼前で顔を真っ赤にしてみせた。怒ったのではなく、恥ずかしがったのである。
それで、いくらでも見ていいから、母と祖母には内緒にしてくれと持ちかけてきた。もちろん、私は喜んでその秘密を守った。
だから、母と祖母は亡くなるまで、オヤジのくらい欲望を露ほどにも知らないままであった。
椋陽児の影響で、小学生の私は体育の授業で使うビニールのなわとびでもって、親しいクラスメイトの女の子を縛ったことがある。
まだ未発達の胸に食い込むのは我が身を縛っているようで味気なかったが、私のそれよりはるかにいい匂いを放ち、また柔らかいお尻や太股に食い込むのは実に痙攣的な何かがあった。
その時は先生に見つかってえらく怒られてしまって、ほとぼりが冷めるまでおとなしくしていたが、今度は荒縄を入手してきて、作品の通りにきれいに縛れるかどうかを独自に練習した。
その女の子も嫌がらずに言われるがままに私の部屋で着衣のまま縛られて、芋虫のようにもぞもぞ蠢くことに甘んじてくれたのは、今でもほんとうに感謝しても感謝しきれない。
石井隆の劇画とおなじく、単に性的興奮に達するには、椋陽児描く少女の肌の肉感、畳などの繊細な描写は、かえって心の方を刺激しすぎるので、射精の役には立たなかった。
そこで、オヤジがなにゆえに私の前で顔を赤くしたのか、その理由が分かったような気がした。
三流エロ劇画雑誌は荒々しく「使用」された形跡があったため、ページとページがくっついてしまったりとひどいものだったが、椋陽児の本だけはお経の本を包むように布できれいに包まれて保管されていたのだ。
それを見て以来、胸のなかでもやもやと感じ続けていたもの・・・オヤジは多分、少女を陵辱する側ではなくて、陵辱される少女の側になることを夢想していたのではないだろうかと閃いて、息子である私自身にも同じようなくらい欲望があることを自覚して、実に晴れ晴れとした気分になった。
そうでなければ、椋陽児もあそこまで繊細に描けるはずがないのだ。
従って、私は少女を単なる性欲のはけ口としてしか見ない男を嘲弄し、嫌悪し、ひとつ突き抜けた快楽があることになぜ気付かないのだと哄笑しつつ、犬神図書館に並ぶ椋陽児コレクションを眺めながら今日も悦に入る。
おまけ>
椋陽児のサイトはこちら。ご堪能あれ。
http://www.geocities.jp/busonshumei/page002.html
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