今日は先日亡くなった檀家の遺言と、ご遺族の同意に従って、ビオトープ作りを手がけてきた。
そもそもビオトープとはこういうもので、本来は生態系の再現と観察を目的としたものだ。
亡くなった檀家は、都内の高校の生物学教諭を長く務めていた人で、生前は私と旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー描く“水”の表現について色々な意見交換をした。
その果てに辿り着いた完全なる意見一致は、
“水のなかには記憶が沈んでいる”
で、それが泳いだり、漂ったり、浮かび上がったり、沈んだり、泥のなかで静かに朽ち果てる・・・という様々な生物、無機物が織り成すビオトープは設計のしようでその人個人の思い出のアルバムになることが可能なのだと。
檀家のお気に入りは映画「ストーカー」で、特に以下のシーンに私以上に執着していた。
それで、遺言にて、生前の生活用品など自分の思い出につながるものすべてを、棺で一緒に燃やさないで、ビオトープにうまく配置して沈めてくれと指示し、現場監督に私を指名してきた。
まずビオトープの底に点々と敷き詰めたのは、檀家が新しく建て直す前の古い家で愛用していた流し台のタイルである。
こういう、昔ながらのタイルで、ハンマーで慎重に壊しながら、ご遺族たちと協力してあちこちに沈めた。
そうして、休憩して、しばらく馴染ませた後、試験管、フラスコ、ビーカー、スポイトなどをあちこちに沈め、さらに眼鏡、ライター、腕時計、カフスボタン、ネクタイピン、空の化粧瓶、万年筆・・・をタイルの上に落とすようにして沈めていった。
そして最後に、あちこちにホテイアオイを浮かべ、メダカの群れを新しく放した。
人によっては、遺品をゴミのように投げ捨てていると眉をしかめられるかもしれない。
しかし、これこそが故人の心から望む、“心理的な埋葬”なのだ。
・・・・・・
あなたは将来、事務的に遺骨をお墓に入れられるだけで、果たして心から満足するだろうか?
自分で自分自身の死をデザインするということ。
そこに、その人個人の、人生に対する真摯な姿勢と、心のゆとりがどれほど見えてくることか・・・
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