当寺が親しくしている、京都の尼寺のAさんから私あてに相談がきた。
女子刑務所の教誨師に就任したばかりの弟子が、平均20代半の若い女子服役囚たち相手に、説教の口火を切るのに四苦八苦しているとのこと。
何しろ、こちらは五十路の人生の先輩とはいえ、世間から隔絶した寺院で修行した身、イマドキの児童虐待、子殺し、親殺しといった生々しい“重み”と真っ正面から立ち向かうすべを知らない・・・
そこで、何かいい口火の切り方はないだろうかと。
「昔は教誨師てえと、堂々としてて、どんな重い罪でも対等につきあってくれたと聞いてますが、近頃のはどうも世間一般の先生と変わらないようですね」と私。
「お恥ずかしい。教誨師は修羅場をくぐり抜けてきたお人がふさわしいもんなんですけど、人材不足がたたるあまり、(上からの)指名制度になってもうたんですわ」とAさん。
「もしかすると、服役囚の方が人生の先輩なのかもしれませんね、だって、私たちの体験出来ていないことをやってしまったわけですから・・・だから、教科書通りの説教をするのではなく、あちらの抱えている重みに従って、彼女たちの人生を反映するような本なり、歌なりを朗読するのもいいかと思います。そうして、自らを省みるきっかけを作るのが今の我々に残された唯一のやり方だと思いますね」
「なるほど、なるほど・・・何かええのを知ってはります?」
「そうですね、小椋佳さんなんかどうでしょう?」
以下は、親子がらみで罪を犯した女子服役囚たちのために、個人的にふさわしいと思う小椋佳の「子らよ」である。
元々は、時代劇ドラマ「子連れ狼(北大路欣也版)」の主題歌だ。
「子らよ」
子らよ あどけなく愛しき者よ
子らよ 穢れなく危うき者よ
時を選び採れず 命受けし者よ
親も選び採れず 生まれ出でし者よ
親なればと力を尽くすとも
親なればの全ては果たし得ず
子らよ 惑いなく伸び行く者よ
子らよ 恐れなく飛び立つ者よ
時の澱みに身を染めずしなやかなれ
親の限りを超え遙か凛々しくあれ
親らしくと思いは深くとも
親らしくがたやすく見出せず
時を選び採れず命受けし者よ
時の澱みに身を染めずしなやかなれ
ようつべだとこういう歌である。
やっぱり、歌は強力なメッセージだと思う。
以前テレビで観たが、刑務所でDJをしている坊さんもいたし、宮澤賢治の詩を朗読している坊さんもいた。
小難しい、しかも宗教めいた説教など、人生の深み、重みにはまってしまった人たちの心にどれだけ響くだろう?
だから、私は生きている人には絶対合掌もしなければ、南無阿弥陀仏とも言わない。
ただ、一言のみ・・・
善き生を!!
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