毎日のようにカツオを平らげていると、高知市の中央公園で制服、学生カバン、生徒手帳、特攻服を燃やして、ブラとパンティだけの格好で夜空に吠えたヤンキー少女を思い出した。
彼女と知り合ったのはおやじさんと闘犬センターで仲良くなったのがきっかけで、「あんたが気に入ったき、娘を夜這ってくれい」とけしかけられて、合い鍵を手に寝込みを襲ったのが最初の出会いだった。
我ながらとんでもない奇縁だったと思うのだが、当時は民俗学を研究していたこともあって、夜這いも民俗学のひとつとして肯定していたのだ。
即ち、“郷に入りては郷に従え”。
そして、夜這いは初めてではなかったから、「いいんですかい?」の一言だけで申し込みを受け入れた。
現在でも私は以下の文章にあるような、考え方を持っている。
もともと女は神のものである。だから、自分から進んで、自分の意志で、人間の妻になるわけにはいかない。近代まで、大阪などでも嫁入りの行列は「ぼうた、ぼうた」と声をたてながら進んだそうである。ぼうたは奪うたということで、この花嫁は奪ってきたのだと、宣言しながら行くのである。これは、嫁となった女は、自分の意志で行くのではなく、奪われて、心ならずもつれていかれるのだということを表明する、神に対する弁解である。
引用は池田弥三郎著「おとこ・おんなの民俗誌」(講談社文庫)より。
女は神の手中にあるがゆえに、女はまず男の誘いを拒絶する。
しかし、男は女を奪うために、あえて神に挑戦する。
このあたりの駆け引きは、原始時代から変わらぬもので、現在はややこしいことを並べて、神に敗れがちの言い訳ばかりこぼしているだけなのだ。
女や女のような美少年は奪え!!
そういうわけで、宿泊先のワシントンホテルで念入りに身体を洗い、Tシャツとパンツは身につけないで、素肌に持参したジャージを着込んだ。ポケットにはゴムを忘れずに。
合い鍵を手に目指す一軒家まで行くと、玄関から堂々と入って、待っていたおやじさんとアイコンタクトしてお互い親指を立て、教えてもらった娘さんの部屋まで四つん這いになって這い寄り、布団のなかへ顔を突っ込んだ。
と。
想像以上の甲高い悲鳴をあげられ、同時に顔面に強烈なキックをお見舞いされたので、こりゃだめだととっさに判断して二階の窓から飛び降りて、鏡川沿いに走って逃げた。
おお、いてえとワシントンホテルで腫れ上がった右目蓋に濡れタオルを当てて冷やしていると、フロントから電話があって、外線でおやじさんから連絡を受けた。
「今度は大丈夫やき、もう一回頼むわ」
マジかよ?と、濡れタオルをそのまま鉢巻きにして(何かあったらそれを武器にしようと思ったのである)、もう一回出向いた。
今度は部屋が明るく、相手は布団の上であぐらをかいて待っていた。
明るいところで見ると、思いっきりヤンキーだったのでどこのもんだと聞いたら、広島を本拠地とする「胡蝶蘭」のモンやとの答え。
東京のブラックエンペラー、千葉のスペクターに匹敵するくらいに名を知られているレディースである(情報ソースはチャンプロードより)。
それで犬神憑きを取材しにきたことから、闘犬センターでおやじさんに気に入られて夜這いにきたことまで全部話したのだが、私が東京の人間だというところにしか食いつかず、将来東京で暮らすための手助けをしてくれるなら夜這われてもええがと言われて、よし約束しようとジャージを脱いでコトを終えた。
それで、彼女でもなく、セフレ(関係は一回こっきりだった)でもないという、つかず離れずの奇妙なおつきあいが始まったのだが、当時の彼女が現役の女子中学生だったというのにはほんとうに驚いた。
茶髪で眉毛を抜いているといくつなのかほんとうに分かりにくいけれども、どうりで乳臭い匂いだったなと。
帯屋町ロードでかき氷を奢って話を聞いていると、彼女は好きこのんでヤンキーになったわけではなく、周囲に流されるがままにヤンキーになっただけで、田舎特有の、“流され方”がイヤでイヤでたまらない、それで中学を出たら東京へ行くとのことだった。
「先輩たちもさーぁ、真面目に働きもせんと、ブラブラしゆう・・・そんで気に食わんことがあると、周りに当たり散らしよって・・・パチンコ通い、早すぎる結婚に出産、後なんやったっけ?とにかく田舎のそういうとこがイヤなんが!!」
「なるほど乾いた夢ってえやつだな・・・」
「えっ、何、乾いた夢?」
「カッペのヤンキーってなぁ、地元の呪縛に囚われた風習の囚人なのさ。てめえで呪縛を断ち切らねえ限りは、叶うはずもない夢を見続けるしかねえだろ?だから乾いてんだよ。その点、おめえは断ち切ろうとしてるからな・・・おめえの夢は潤ってるぜ。濡れてるよ」
「ありがと」
それで中学卒業と同時に、中央公園で制服や特攻服を燃やしたわけである。
私はさすがに驚いたけれども、自分の着ていたTシャツを彼女に着せると、タクシーを呼んで自宅まで送り届けさせた。
それから後。
私は高砂(京成線)の共同トイレ、風呂なしの二万五千円のアパートを紹介し、知り合いの美容院のアシスタントとして雇ってくれるよう手配した。
現在は堀切に自分の店を持ち、結婚もして3人の子持ちである。
その彼女が実家を通して、現在もカツオを送ってくれているわけなのだが、夜這いについてもうちょっと突っ込んでみると、田舎のつまらなさを打破するためにこうした風習があるのではないかという考えが浮かんだ。
ハッキリ言って、夜這いがあった時代は、夢は乾いていなかった。
程よい刺激があって、みんな生き生きとしていた。
つまり、女にとって、男は自分をこじ開けてくれる生命力でもあったのだ。
古代神話のアマテラスについて江戸っ子が詠んだ川柳に次のようなものがある。
床闇(とこやみ)へ来て強淫(きょういん)の手力雄(たじからお)
天の岩戸を女性器に例えた、夜這いそのものズバリを表している。
こういう、おおらかな生命力。
それがおおらかではなくなった現在。
夢は乾きっぱなしになるのは当然の流れだ。
女の方で神を裏切り、男を奪うしかない・・・
それで、おやじさんは娘のために私を選んだのかなと、懐かしく思い出しながら、なかなか減らないカツオの刺身をもぐもぐ食べた。
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