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2009年01月12日15:15

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Homo homini puella. 

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タイトルの、“Homo homini puella.”は、ホモー・ホミニー・プエッラと読み、ラテン語で「人間は、人にとって少女である」という意味です。ローマの喜劇作家プラウトゥスの“Homo homini lupus.”、即ち「人間は、人にとっておおかみである」のもじりなのですが、私が常々考えている、すべての老若男女の内部風景には絶対少女が潜んでいるということの宣言として大いに使えそうです。

私がこの絶対少女の存在に気づいたのは、幼稚園の時に「赤ずきんちゃん」のおおかみ役を演じた時でした。
実は、みんなで練習をする時、それぞれの気持ちを分かるためということで、それぞれ全部の役をかわりばんこにしたのです。
つまり、私はおおかみだけではなく、うさぎ役、赤ずきん役、おかあさん役、おばあちゃん役、猟師役とやったわけです。
おおかみ役は私としては自分でもハマリ役という気がしていましたから、ほとんど無理矢理に女の子の格好をさせられて赤ずきん役を演じさせられたのは、子供心にほんとうに屈辱でした。
でも。
向かいの壁に大きく貼られたセリフのカンペを目で追いながら喋っているうちに。
赤ずきんちゃんである私自身も悪くないなと思うようになったんですね。
それで、本番で、おばあちゃんや赤ずきんちゃんを追い回して食べた時は、クラスメイトという気がしなくて、まるで自分自身を食べてしまったような気持ちになったものです。
そして、自分自身が演じる猟師に仕留められるという快感にも似た気持ち・・・

先生は深い考えがあって指導したのかは分かりませんけれど、「わたしは誰か?」という深遠な命題について考える時、私の場合はきまって赤ずきんちゃんを演じた時を思い出すわけです。
私自身が演じた少女への戸惑い、混乱が、憧憬へと化学変化を起こし、私という謎を一歩下がった立場から眺められる足場を作ることが出来たことが、男の身でも内なる少女性を自覚した瞬間でした。

別の足場からでは。

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拙作「姉の力」で書いたように、従姉の影響で、おおかみのように貪欲な少女性と交わったことから、欲望そのものに永遠の忠誠を誓いをたてて、少女だった頃の従姉を心のなかにいつまでもしまっておけるという内部風景の広がりを確保出来たことも大きいです。

こうして、私のなかには大いなる謎の象徴として、赤ずきんちゃんと従姉の顔を持ち合わせた絶対少女が潜み行くようになりましたが、当時を一緒に過ごした幼なじみに「女の子である自分自身を想像出来るか?」という意味のことを尋ねても、相手は当然ながら鼻で笑うだけでした。
でも、私は決して相手を笑わせるつもりで言ったのではなく、こんなことを考えるのは果たして私だけなのだろうかということを確かめたかっただけでした。

それで、女の子のように、人形、ぬいぐるみに囲まれながら本を読むというスペースを部屋の隅に作り、自分自身の謎のための祭壇という感じにして、手芸や少女マンガに詳しくなることで自らの絶対少女に捧げものをするという少年時代の生活の一部を確立させたのです。

それは学校では粗暴な男の子であった私自身から見ても、笑ってしまうくらい気味の悪い一面ではありましたが、そうせざるを得ない何かがありました。家族や親友にも打ち明けられない、打ち明けようがないまま、秘密を守り通しているうちに、ダリやマグリットを知り、そこから様々なシュルレアリスムの画家たちを知って、特にアンドレ・ブルトンの「ナジャ」には涙を流したくらい感激しました。
そこから、私は耽美主義、快楽主義と新たな契約を交わし、以下のような絵画を美術書からコピーして部屋に飾ることで、誓いと契約をいつでも思い出せるようにしました。

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これはレオノール・フィニの「赤い幻」。
まさに絶対少女そのものを描いた作品として個人的に崇拝しております。

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これはレオン・スピリアールトの「めまい」。
俗に、男は最大の危険な快楽として女とつきあうと言いますが、女にとっての最大の危険な快楽とは「自分自身」であることを思い出させてくれる作品です。

他にもまだまだあったのですが、こんな感じで、少年時代の私の部屋はさながら幻想美術館そのものでした。
そうして、おおかみのように貪欲に、内なるものに捧げものをしているうちに、偏った青年になっていき、そんな自分自身を愉しんでいると、捧げものがたまった部屋が犬神図書館として機能することに気づき、最初は親戚の子供たちに開放しました。

しかし。

子供たちは男の子、女の子を問わず、みなショックを受けたようで、私が集めた奇々怪々な本、オブジェ、複製画などに、親戚たちのなかには私から遠く離れるのが賢明だと、檀那寺も完全に変えて遠くへ引っ越してしまったのもいました。
面白いのは、子供たちが大きくなってから、男の子よりは女の子の方が自分からわざわざ私に近づいてきたことで、トラウマそのものを塗り替えるように犬神図書館を利用しました。

そのなかに、私は初めて、他人の内なる絶対少女を見たのです。

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それ以来。
自らの孤独さを自覚している少年少女たちは、犬神図書館に来館して、自分自身の謎が一体どんな形をしているのかを私に尋ねるようになりました。
彼らの内側の絶対少女に私は敬意を払い、かしこまって彼らの姿かたちがあらためて人間のかたちをしていることを伝えるようにしています。人間なら誰しもが持つ、迷宮、それは君たちのおなかのなかにあるはらわたと同じかたちをしているのだとも・・・。

そのはらわたを自分でまさぐって、辿ってみるがいい、その奥底には、永遠の子供が、絶対少女がまどろんで、君自身の宇宙を形作っているのだと・・・。

さらに面白いことには、近頃は私より目上の方々、初老からの男女がネットを通じて知り合ったのをきっかけに、犬神図書館に来館して、いい意味でも悪い意味でも若返ってしまう混乱さを愉しまれていることで、やはり、年老いても、人間というものは自らの少女性に振り回されるのだと確信するに至っているわけです。

願わくば、それぞれが謎めいた内なる少女に永遠の忠誠を誓わんことを。


「あたしたちは遊びの中でも、迷路がとりわけ大好きだったわね」と淳子。
「そうだね、藁半紙によく迷路を書いて、一緒に競争したね」と私。
「何であんなに迷路が大好きだったか考えてみたことある?」
「謎解きがお互い大好きだったから?」
「そうね、でも、謎を解くのが好きだったんじゃなくて、謎そのものが大好きだったのよ。迷路も抜け出すよりも、迷路そのものが大好きだった。あたしたちは、謎そのものであり、迷路の中に棲むミノタウロスそのものなのよ。そう考える方が自然だと思わない?」

拙作「姉の力」より

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