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救命救急コミュの15年前の救命救急は今と何が違いますか?

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仕事上必要で調べています
トリアージタッグを使っていましたか?

IDカードではなく胸には名札をだけを、付けていたのでしょうか?

放射線バッジ(フィルムバッチ)はみんな付けていたのでしょうか?

看護婦さんは帽子をかぶっていましたか?

医療用のphsは既に使われていたのでしょうか?

足元はスリッパですか?病院靴なのでしょうか?

15年前でも初療室と言う呼び名はあったのでしょうか?

質問ばかりですみません

仕事上で至急情報が必要で調べています

追伸
このような事柄を聞くなら実際、聞ける機関や組織や病院はあるのでしょうか?

コメント(22)

そうなんです
15年前のer(救命救急の現場)の服装等のディテールを全て知りたいのです
知った上で現実的に考えたいのです
元の現実を知らないと何も作り出せないから
1993年から1997年まで、3次救急施設で働いていました。

トリアージタグなどという高級なものはありませんでした。
名札は名前を示す小さいもののみで、IDカードはありませんでした。
フイルムバッジはありました。
看護師は当時は看護婦と呼ばれ、キャップではなく帽子(表現が難しいですが)をしていました。PHSはなく、院内呼び出しかPBが主流でした。
我々の施設では普通のスリッパ、つっかけを使っていました。
初療室の名前はあったと思いますが、ERという呼び方はしていませんでした。
> Jeanさん
ありがとうございます
直接色々お聞きしても良いでしょうか?
おもしろいのでお答えします。

丁度阪神淡路大震災の頃ですね。当時、被災地内の3次救急施設で当直していました。

では。

>トリアージタッグを使っていましたか?

 標準トリアージタグが策定されたのはこれよりも後ですから、当時はトリアージ区分の順番がちがったり、かたちがちがったり、いろんなタグが個々に作られていました。一部の災害医療関係者のみがその存在を知っていました。集団災害学会はまだ開催されていません。
 一方で、震災のとき「とりあーじ、とりあーじ」と念仏のようにとなえながら診療した記憶がありますので、災害をかじった人間にとっては「トリアージ」と言う言葉は一般的でした。

>IDカードではなく胸には名札をだけを、付けていたのでしょうか?

 IDカードといえるほどのしっかりしたものは珍しかったと思います。名札の着用率も低かったように思います。

>放射線バッジ(フィルムバッチ)はみんな付けていたのでしょうか?

 当時はガラスバッジですね。施設にもよりますが、着用率は低かったです。今ほど放射線安全管理も専門部局を除いて徹底されていなかったと思います。

>看護婦さんは帽子をかぶっていましたか?

 ナースは、ナースキャップをかぶるところと、手術場のようなキャップ(布製)をかぶるところがありました。ディスポの不織布のキャップが普及しだしたのはもう少し後です。また、キャップなし、と言うスタイルが出てきたのももう少し後です。

>医療用のphsは既に使われていたのでしょうか?

 医療用どころか、PHSはまだ発売されていませんでした。震災の後、小型の携帯電話が普及し始めて、一部の当たらし物好きの医師がベルトにケースをつけて使用していましたが、いかんせん不感地帯が多く、連絡が付かないことがあるということで不評でした。当時一般的だったのはポケットベルで、ページングとよばれる院内専用のポケベルシステムが呼び出しに良く使われていました。当時松下電器に勤める叔父が、パーソナルハンディホンシステムという、携帯電話に取って代わる便利なものができるんだよ、と紹介してくれたのを思い出しました。余談ですが、インターネットもまだ普及しておらず、「キャプテンシステム」という電話回線をつかった端末がありました。ネットは「Nifty serve」とかパソコン通信の世界から、海のものとも山のものとも知れない「インターネット」という概念が出だした頃でした。「そのうち学会の演題募集はE-mailで、とかになったらいやだなぁ」と当時の麻酔科部長がおっしゃっていましたが…

>足元はスリッパですか?病院靴なのでしょうか?

 スリッパはありませんでした。
 医師は、サンダルか革靴。術衣(今でいうところの医療用スクラブ)やケーシースタイル(半そで立襟の短白衣)ではサンダル、長白衣+ネクタイなら革靴がデフォルトでした。ナースはナースシューズで、今とさほど変わりません。医師の「靴」が増えたのは、病院評価機構による病院評価が始まった10年弱まえからじゃないかなぁ…。

>15年前でも初療室と言う呼び名はあったのでしょうか?

 ありました。
 ただし、いまで言うER型の救急医療は少数派でした。(関西ではいまでも少数派ですが)救急と言うと、重症救命救急をさしていたように思います。初療室、処置室、外来初療室、などと呼んでいました。



などと書いてきましたが、これらの回答を何に利用されるのですか?
はい

詳しくてかなり参考になります

ありがとうございます

ガラスバッジは現在の物とはサイズ等違う物でしたか?
現在がガラスバッジ(1×3センチ)で15年前はフィルムバッジ(3×4センチ)と言う情報も獲ましたが…

革靴って何色ですか?

今は白色スニーカーかサンダルで考えていたんですが変ですか?
 革靴はほぼ全員黒です。おしゃれなひとで茶色はあったかもしれませんが、ネクタイやシャツ、ベルトの色にも気を使う人のレベルでした。当時は白スニーカーはありませんでした。スニーカーを履く人が増えてきたのは、ごく最近です。
 僕は術衣+健康サンダルがデフォでした。

 フィルムバッジが前のやつで、いまがガラスバッジでしたね。お詫びして訂正。サイズはご指摘のとおりでした。フィルムバッジ、六角形のとかあったけど、当時どんなだったか覚えていません。
ありがとうございます

ERって英語表記は無かったのでしょうか?
私も震災のとき 3次施設にいて駆けつけました。看護師です

トリアージは 普及し始めたところで私は知っていましたが ほとんどの方はわからず 挿管したりCPRをしていました。私は 亡くなった方だけをその場で現場から安置所に...。30人以上は・・。

名札だけでした

フイルムバッチはありました。

Nsチャップはしてました

PHSは無いです。

スリッパでしたOPE室用の 震災時はガラスの点滴が割れてとても運動靴でした

初療室と呼んでました。

ERは無いです
> キヨさん
nsチップって何ですか?
やっぱりオペ室用のサンダルが殆どなんですね

放射線バッジは今のぐらいの小さいものは無かったのでしょうか?
> キヨさんや皆さん

追伸 トリアージタッグは今のものとは違うのでしょうか?
> キヨさん
何度もすみません
そうかん
cprって何ですか?

皆さん本当にありがとうございます
お返事遅れました


挿管 呼吸していない人の気管に管を挿入し強制換気を行いやすくするための処置 すなわち気管内挿管  略して挿管

チャップは  看護師さんが頭に乗っけている帽子 昔のドラマを見てください タグはあったかもしれないが・・?使用していませんでした。
フィルムバッチは 1.5×5cmくらいだったか??? 
> キヨさん
15年前がだんだんと見えてきました

15年前のフィルムバッジも手に入りましたありがとうございます
> no pain no life。さん
ありがとうございます
どんな情報でも勉強になります
>点滴のビニールパックはまだなかったかもしれない。

 民間病院だとソルデムはありましたよ。自治体病院・大学病院・公的病院だとソリタでしたけど。
 メイロン、マンニトールなんかはガラスボトルでしたね。

 AED(自動除細動器)はまだ存在せず、ゴム手袋を付けて「どっかん」とやっていた記憶が。
 CTはヘリカルがようやく出てきた頃で、普通の病院じゃ胸腹全部取るのに20分以上かかっていたよなぁ。いまじゃ、交通外傷なんかでエコーでぱっと見て大物がなければすぐCTに回すけど、当時は救急外傷でCT使うのはやばいと言われていた。(今でも概念は残っているけど、死のトンネル。)
イノバンシリンジやドブポンシリンジやディスポのシリンジはなかったと思います。阪神大震災後にできたもの(エピクイックなどプラスチックのシリンジに入った薬剤)って15年前にはなかったはず電球

あと抗生剤テストみたいなのはなくなったの最近だから、昔はテストしてたはず電球

あとは、リストバンドとかバーコードとか電子カルテとかかなexclamation & question
皆さんありがとうございます

リアルな情報は非常に為になります

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