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よみがえる日本の城コミュの金沢城の復元について

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かつて金沢城の実質的な表門だった三御門の一つの河北門(かほくもん)は
明治15年ごろに撤去されて以来、約130年ぶりに復元整備が完了し
2010年4月24日に公開されました。

1759年の宝暦の大火で焼失した後に一度復元されましたが、
明治に入り旧陸軍が駐留していた際、取り壊されました。
今回の復元で三代目の門になります。

現存する石川門と同じ構造で二代目の門の絵図や明治初期の写真などを基に
ケヤキ造りの「一の門」(高さ7、4メートル)
両側の石垣にやぐらを渡した「二の門」(同12、3メートル)、
双方の門をつなぐ「枡形土塀」などで構成されています。 事業費は約15億円。

石川県が進める金沢城公園の復元整備計画では
河北門、橋爪門、石川門の三御門の整備に約30億円を見込んでいます。


※文章を更新しました。

金沢城の復元整備に関連した書き込みはこちらにお願いします。

コメント(63)

【河北門の完成は4月24日 宮守(いもり)堀は4月10日】

石川県議会2月定例会は1日開会し、提出議案の説明の中で、
谷本正憲知事は金沢城公園内で整備を進めている河北門が
4月24日に完成供用することを明らかにした。
 
宮守(いもり)堀、しいのき迎賓館は4月10日に完成予定であり、
谷本知事は「金沢城の実質の正門であった河北門の復元により、
城郭としての魅力が一層高まると同時に、宮守堀の整備で本丸の石垣と
一体となった風格ある金沢城の外堀景観が創出されることになる」と述べた。


【富山新聞電子版 2月1日付 一部抜粋】


待ちに待った金沢城河北門の完成が4月24日となりました。
春以降には金沢城を訪れたいと思っていますが、行かれた方には
是非こちらのトピでレポートをしていただきたいですね。
【金沢城 西内惣構の復元整備完成 堀の幅拡大 江戸時代の規模に】

金沢市が進めていた、同市主計町の公園「緑水苑」内の
西内惣構(にしうちそうがまえ)の復元整備が完成した。

堀の幅をこれまでの約2メートルから藩政期当時に合わせて約10メートルに
拡大。土を盛り上げた土居も復元し、江戸時代の規模に近い形で惣構を
体感できる空間となった。

惣構とは、城下町を囲い込んだ堀や盛り上げた土居などのことで、
金沢城では防衛のため内・外二重の惣構が造られた。

緑水苑は城の西側にある内側の惣構(西内惣構)が浅野川に流れ落ちる地点で、
市は2008年度に発掘調査を実施。調査結果に基づく復元整備を
09年秋から進めていた。

明治以降は埋め立てられて幅が約2メートルまで狭くなっていた堀を、
長さ18メートルにわたり、幅約10メートルに拡大。
合わせて、高さ約3メートルの土居を設け斜面にはコグマザサを植えた。
土居の上部には見学所も設けた。

また公園機能との共存を図るため、平たん部分をなるべく残し
大雨時に氾濫しないよう排水機能の強化も図った。
復元したのは広さ約300平方メートルで、整備費は約2000万円。

金沢市は週内には新たな案内板を設置する予定で
「市民が気軽に立ち寄り、歴史遺産にふれ合える空間になれば」としている。

http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20100413/CK2010041302000145.html
【中日新聞Web版 4月13日付 引用】


金沢城の惣構えの一つである西内惣構が浅野川に注ぐ地点の
復元整備が成されたようです。
金沢に行かれる方はこの近くの尾張町にある東内惣構も一部土塁と石垣が
復元整備されていますのでこちらとあわせてご覧になることをおススメします。

↓金沢城の惣構を歩いた時の自分の日記を貼っておきます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=909363797&owner_id=2551012
【130年ぶり いよっ三代目 河北門デビュー】

金沢城の三御門の一つで、4月半ばに復元が完了した河北門の
報道関係者向け内見会が23日開かれ、1882(明治15)年ごろに
撤去されてから約130年ぶりによみがえった門の全容が披露された。

河北門は現存する石川門の北側に位置し、これまでの研究では
金沢城の実質的な正門だったとされている。
1759年の宝暦の大火で焼失した後に一度復元されたが、
明治に入り旧陸軍が駐留していた約130年前に取り壊された。
今回の復元で三代目の門になるという。

二代目の門の絵図や明治初期の写真などを基に、
約500人の職人が2年半で仕上げた。
石川門と同じ構造で、ケヤキ造りの「一の門」(高さ7、4メートル)、
両側の石垣にやぐらを渡した「二の門」(同12、3メートル)、
双方の門をつなぐ「枡形(ますがた)土塀」などを備える。
事業費は約15億円。

24日午前に完成の記念式典があり、同日午後6時半からは
ライトアップが始まる。

http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20100424/CK2010042402000138.html
【中日新聞Web版 4月24日付 引用】


当コミュで何度も取り上げた河北門の一般公開が本日始まったようです。
過去の書き込みを振り返ると復元整備の過程をこの4年近く、
ずっと見てきただけに子どもが育ったようで嬉しいです(笑)

自分はまだ現地で見ておりませんが、もう見て来たよ!という方には
是非とも写真を投稿していただくようお願いいたします。 m(_ _)m
>おーちゃん様
詳細なレポートありがとうございます。急ピッチ(?)で進む、整備の重機の音が聞こえてきそうです。金沢に行きたくなりました。高速が2000円になる前に(笑)。

我が城(?)広島城も、もっと復元して欲しいですね。金沢城が羨ましい…
一般公開初日に早速見てまいりました!
脇のスロープから二の門に入ることができますが、スロープ上から五十間長屋方向を見た風景が見事。当時はこんな様子だったんだろうかと妄想に浸ることができる「萌えスポット」です。
載せきれなかったので、もう一度。枡形内部の様子と、上のコメントで書いたスロープ上からの風景をば。
>タケP改さん

さっそくの写真UP、誠にありがとうございました。 m(_ _)m

木造での枡形門の復元は山形城二の丸などの例がありますが
約15億円懸けてもやはり復元する価値があったのではないでしょうか?
天気も良かったようで本当に美しいですね♪これは現地に行かねば!

金沢城は橋爪門二の門などが計画されており本丸辰巳櫓など
個人的にはさらなる木造復元が成るといいなと願っています。
私も河北門いってきました。
実質的な正門だっただけに大きさには圧巻です。
幸い天気にも恵まれ、充実した城日和でした。
素晴らしい!

堂々とした威風ですね。

できれば推定ベースででも天守閣を。

比較は困難ですが1300年前で完全復元難しい平城京ではかなり推定に頼り大極殿を復原したくらいですから意欲の強そうな金沢なら出来そうな予感がします。
(こちらは人件費除きで200億円弱でした。)
> あをによしこうじさん


はじめまして(*^_^*)
たしか金沢城では前田利家の時代に天守閣があったようですが、詳細は不明らしいです。

その後、御三階櫓が出来ましたが、落雷か何かで焼失したようです。

個人的にはいつか、御三階櫓も復元して欲しいなぁ〜と期待しています。

6月3日に訪れた金沢城の河北門です。
4月24日に公開されてから皆さんの写真を眺める日が続きましたが
念願かなってようやく訪れることが出来ました。

門枡形の木造復元は久々ですし素晴らしいですね!
金沢城は今年は橋爪門の枡形の復元のために発掘調査が始まる模様で
そちらにも注目していきたいです。
今月ラストの週末に福井の丸岡城と金沢城に行く予定です〜。
復元された河北門、ぜひ見てみたいと思います♪

と、初コメ失礼いたしました(滝汗)
>愛海さん

これから行かれる方のためにも金沢城の復元された見所をご紹介しましょう。

続いては主郭の南側を守るいもり堀です。
明治40年に埋められたこの堀の跡地はテニスコートなどにされていましたが、
段階的に一部が復元され辰巳用水を引き入れて水堀化し4月に公開されました。

江戸後期の絵図から推測すると
北岸と南岸の幅は約40メートル、深さは10メートル以上で、
発掘調査により北岸の法面の勾配は約25〜30度、
南岸の勾配は30度〜40度ということが判明しています。

今回の復元は幅は約15メートル、長さは約200メートル、
水深約1.5メートルと本来の堀よりもかなり縮小した規模で
復元されているのですがこれは周囲が幹線道路化しているため仕方ないですね。

それでも水堀となったことで南側はお城らしい雰囲気が戻ってきた気がします。
鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)石垣

いもり堀の端に位置する鯉喉櫓台の石垣は明治期に陸軍の手により破壊され
埋められていましたが発掘調査で高さ10m程の残存する石が確認されました。

古絵図によると水底より高さ八間とあり、本来の高さに新たに石を積み足して
復元されています。
ここの石垣は藩政期当時から評価が高いそうで、特に隅部の入念に加工された
切り石が美しく石の稜線には縁取り加工が施してあり細かい仕事が見られます。
西内惣構堀

惣構(そうがまえ)とは堀や土を盛り上げた土居で城下町を囲い込んだもので
金沢城では西から西外惣構堀、西内惣構堀、東内惣構堀、東外惣構堀の
4本の堀でお城の主要部を包むように惣構を形成していました。

西内惣構堀は今年の4月に金沢市主計町の公園「緑水苑」内の堀が
浅野川に流れ落ちる地点に広さ、300平方メートル、事業費約2000万円で
復元整備されました。

明治以降は埋め立てられて幅が約2メートルまで狭くなっていた堀を、
長さ18メートルに渡り藩政期当時に合わせて幅約10メートルに
拡大しました。

高さ約3メートルの土居を設けて斜面にはコグマザサを植えて
上部に見学所も設けてあります。

金沢城では側溝のような規模ですがほぼ惣構堀が残っており
金沢の町を歩きながら辿るのも結構面白いですよ♪
(ちょっとマニアックでしょうか?w)
【金沢城  丸の内駐車場を廃止へ】

金沢経済同友会と谷本正憲石川県知事の意見交換会が開かれ、
谷本知事は、2014年度末の北陸新幹線金沢開業までに、
金沢商工会議所の建て替えに合わせ、近くの県営丸の内駐車場を廃止し、
金沢城の石垣が見えるよう整備する意向を明らかにした。

金沢城玉泉院丸跡については、14年度までに、庭園を取り囲んでいた
パノラマ状の石垣景観を整え眺望を楽しんでもらえるよう整備する方針を示した

谷本知事は、金沢商工会議所が現在地で駐車場を備えた新たなビルに
建て替えられる計画であることなどを説明し、
「条件が整ってきたので県営丸の内駐車場を廃止し、
石垣が見えるように整備したい」と述べた。

さらに、駐車場の位置には、かつて宮守堀からつながる堀があったとし、
具体的に跡地をどう整備するか、県玉泉院丸跡調査検討委員会で
検討していく考えを示した。

玉泉院丸跡の整備については、安宅建樹副代表幹事が取り組み状況を尋ねた。
谷本知事は発掘調査の結果として、玉泉院丸の庭園が、二の丸側の石垣と池に
22メートルの高低差がある立体的な造形だったことなどを紹介。
庭園全体の復元は北陸新幹線の開業に間に合わないが、
藩政期の石垣群を見ることができるよう整備を急ぐ方針を示した。

また、玉泉院丸跡の東側を通る「いもり坂」については、
明治期に旧陸軍によって造られ、藩政期には存在しなかったことから、
今後、調査検討委で撤去含め、扱いを検討するとした。

【富山新聞電子版 10月28日付 一部抜粋】



現在発掘中の玉泉院丸の横にある丸の内駐車場は金沢城の史跡の一部で
それを廃して整備しようという行政の姿勢には好感が持てました。

「いもり坂」は香林坊方面から金沢城の主郭に至るには便利な道ですが
藩政期のものでないため廃止を考えるという徹底ぶりには驚かされました。
こんな整備の仕方を考えるのは金沢ならではでしょうね。
11月末、金沢城三御門の一つである橋爪門二の門復元へ向けた発掘調査が行われてました。土の中からオリジナルと思しき石垣もチラリ見えてましたよ。2014年の北陸新幹線開業に合わせて完成するようです。それまで金沢にいられないのが悲しい。。。
さらに、玉泉院丸の庭園跡も発掘調査中。玉泉院丸内にも見学コースができており、今まで見られなかった方向から石垣が堪能でき、ちょっと感動です。
ついでながら、現在石川櫓と、それに連なる太鼓塀も修復中で御覧の通りすっぽり覆われてます。記念撮影スポットだけに、観光客はガッカリかも。野面積みが見事な丑寅櫓台前も、塀の修復に伴い工事用のプレハブが置かれており入れませんでした
>タケP改さん

金沢城の今の復元整備が分かる写真の数々の投稿ありがとうございました。
橋爪門二の門の枡形整備は建築物の復元としては一区切りとなるもので
完成が待ち遠しいです。
2014年の北陸新幹線開業の折には関東から北陸はぐっと近くなりますから
訪れやすくなるでしょうね。
【金沢城 玉泉院丸跡 3区画に分け整備へ 14年度まで県が計画案】

金沢城玉泉院丸跡の整備について話し合う調査検討委員会の整備活用部会が
14日、県庁で開かれた。
県側は2014年度までに跡地を「暫定整備」「入り口部周辺」
「確認調査を優先」の三区画に分けて整備する基本計画案を提示した。

暫定整備エリアは、尾山神社の向かいにある「鼠多門(ねずみたもん)」跡と
庭園を管理していた「露地役所」跡を含む約3,000平方メートル。
石垣や調査の様子を眺めることができる休憩所などを設けるが、
将来の調査に備えて暫定的な整備にとどめる。

広坂側の入り口部周辺エリアには、バリアフリー対応のスロープや広場を造り、
石垣の眺めを遮る樹木を伐採する。
ほかのエリアでは整備を始めず、遺構の調査を続ける。

県の提示案に対し、委員からは「駐車場からの動線が不便」
「休憩所まで車いすで上れるようにしてほしい」といった意見が出た。
県は再び部会を開いた上で意見を集約し、来年3月の調査検討委員会で
基本計画の承認を受ける方針。

http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20101215/CK2010121502000139.html
【中日新聞電子版 12月15日付 抜粋】


玉泉院丸跡の遺構調査が続いているようですが整備計画案が出されました。
石垣の眺めを優先して樹木を伐採するのも分かりやすい整備が必要と
考えたからでしょう。暫定的に休憩所を設け、将来的な復元整備を
睨んでいるあたりが金沢城の素晴らしい所だと思いました。
金沢城は、京都に住んでいた頃、大学時代に遠征にいきました。
当時は、大学があったので入り口くらいでしたが、大学は移転していたのですね^^;
こちらのトピックから知ることができ、何を今更って感じですが、びっくりしましたあせあせ


関東なので、交通の便向上とともに、訪れてみたいですわーい(嬉しい顔)
左:復元イメージ図  中:橋爪門一の門と続櫓  右:復元予定場所

【橋爪門整備 文献参考に 有識者委が県庁で初会合 二の門など復元へ】

「金沢城三御門」の一つに位置付けられる橋爪門の復元整備の方針を
検討する有識者委員会の初会合が21日、石川県庁であった。
県は発掘調査で見つかった痕跡や古絵図などを根拠に
復元の基本的な在り方を示した。

橋爪門は「一の門」と「二の門」、二つの門をつなぐL字形の「枡形土塀」で
構成。
一の門は隣接する「橋爪門続櫓」や「五十間長屋」などとともに
2001年に復元が終わっており、石川県は2014年までに残る二の門、
枡形土塀の復元を目指している。

二の門は二階建てで、橋爪門続櫓に連なるように
建てられていたことが分かっている。
県は続櫓の石垣の表面に、二の門の柱や礎石が当たっていたとみられる痕跡を
確認したと報告。
現存する古文書や絵図なども参考にしながら復元を進める考えを述べた。

金沢城は江戸時代に三度、明治初期にも火災が起きており、
橋爪門二の門は明治の大火で焼失してから復元されていない。
三御門のうち、石川門は江戸後期に再建されたものが現存、
河北門は昨年春に復元されている。 

【中日新聞石川 電子版 2月22日付 引用】

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加賀藩主が執務にあたった二の丸御殿の正門にあたる橋爪門枡形の完全復元は
発掘調査が去年7月からはじまり、ことし5月から再び調査を再開し
平成24度からの復元工事の着工を目指すようです。
北陸新幹線の開業時には東京から近くなった金沢には是非行きたいと思います。
左:鼠多門と橋古写真  中:鼠多門橋跡  右:玉泉院丸跡(2010年6月撮影)

【次の金沢城復元は鼠多門・橋】
 
金沢経済同友会と谷本正憲石川県知事の意見交換会は15日、
金沢市のANAクラウンプラザホテル金沢で開かれ、
谷本知事は金沢城の復元整備について、橋爪門、玉泉院丸跡地に続き、
玉泉院丸跡と尾山神社を結ぶ鼠多門(ねずみたもん)橋、鼠多門が
次の復元対象になるとの考えを明らかにした。

谷本知事は橋爪門や玉泉院丸跡地に続き、鼠多門橋、鼠多門が復元されれば、
「武家屋敷から尾山神社を通って玉泉院丸跡、二の丸、三の丸、石川門、
兼六園という回遊ルートができる」と述べた。

復元整備計画に、歴代藩主が政務を執った二の丸御殿を盛り込む考えを
問われたのに対し、知事は「二の丸御殿は規模が大きいので、
復元の最後の仕上げという認識だ」と応じた。

玉泉院丸跡の整備では、「露地役所」があった場所に、茶室にも使える和室、
靴のまま入ることができる休憩室、案内スペースを備えた施設を設けると
述べた。施設からは庭園(泉水・中島)や多彩な石垣が眺められる。

廃止する県営丸の内駐車場は、以前は堀であったことが分かる形で園地として
整備する方針が示された。
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/K20111116301.htm
【北國・富山新聞電子版 11月16日付 一部抜粋】

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少し前ですが興味深い記事があったので一部を抜粋しておきます。
金沢城の復元整備の方向性が読み取れる記事ですが、
鼠多門橋が掛かっていた所は現在、アスファルト道路なので、
どのようにしていくのか興味深いです。
巨大な2重の櫓門である鼠多門は復元されると壮観でしょうね。
玉泉院丸は公園のような整備が進みそうでこちらも楽しみにしたいと思います。
初めて金沢城に行ってきました。
玉泉院丸は以前体育館があったところとか…元のお城の状態に近くなることはうれしいですね。

雨の中でしたが、発掘のシートが少しはずされていて写真などを撮っていました。

本丸跡が自然公園になっていて驚きました。
左:復元イメージ図  中:復元予定場所  右:松前城本丸御門

【金沢城橋爪門 年度内着工へ】

金沢城の橋爪門の整備について検討する有識者の委員会は24日、
発掘調査を受けて県が提示した設計図案を承認した。
今後、文化庁に現状変更許可申請を提出し、年明けにも承認を得られれば年度内に着工する。

橋爪門は二の丸に隣接する枡形の門で、国の重要文化財の石川門などと並んで
「三御門」と称される。

県は昨年度から発掘調査を実施。礎石の土台や暗渠とみられる遺構が見つかり、
文献の記録と照らし合わせて設計を進めていた。

番所などがあった南側は、江戸後期の同城の絵図や
松前城本丸御門(北海道松前市)=国重文=などの類例を参考に復元する方針。
9月定例県議会で承認された今年度補正予算に
門本体の建設費として8億4千万円を盛り込んだ。
北陸新幹線が開業する2014年度の完成を目指す。

http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000001111290005
【朝日新聞 石川版 11月29日付】

少し前の記事ですがようやく着工となるようです。
松前城の本丸御門を参考にするというのは興味深いですね。
【金沢城玉泉院丸跡 石垣復元 2013年度着工】

金沢城公園西側の玉泉院丸庭園跡の調査と整備方針を協議する
県の検討委員会(委員長・飛田範夫長岡造形大教授)の会合が29日、
県庁であり、新幹線開業に合わせ2014年度末に完成させる庭園部分の
整備計画をまとめた。石垣の復元や道路の撤去などを盛り込んだ。
13年度に着工する方針。 

計画では、旧県体育館の出入り用道路の整備時に壊された石垣を復元し
道路を撤去。庭園前の石垣が連続する景観が生まれ、石垣前の緑地が広がる。

丸の内駐車場側の鼠多門跡は、歴史的価値を理解できるように
江戸期の絵図に基づき鼠多門の跡を表示する。

県中央公園側の入り口も、城郭本体の門と誤解しないように形状を簡素化。
階段の勾配も緩め、石垣の遺構保護に配慮する。

検討委は、庭園の価値として

▽滝の流れ、滝石の配置、大小の島がある池、
 複数の橋がある回遊式大名庭園

▽池の水源は兼六園と同じ辰巳用水

▽意匠性の高い色紙短冊形に積まれた石垣との造形美が際立ち、
 池底から石垣最上段まで高低差22メートルの立体的な構造

などを挙げ「他に例がない貴重な庭園」と評価した。

当初は発掘調査優先の方針だったが、金沢の魅力アップにつなげようと、
新幹線開業までに庭園部分を先行整備することにした。
15年度以降は、発掘調査結果や絵図などに基づく本格整備に移行する。
県は、秋ごろ開く会合で基本設計案を示し13年度に整備を始める考え。
県は今後の検討委で丸の内駐車場側の整備方針も検討課題に
加える方針を伝えた。

http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20120330/CK2012033002000173.html?__from=mixi
【中日新聞石川版 3月30日付 抜粋】

玉泉院丸の整備の着工スケジュールが決まりました。
石垣の復元や道路の撤去などきめ細かい整備を心がけている点に好感が持てます
鼠多門は当分は跡地の表示のみとなるようですが木造復元にも期待したいです。
(左:橋爪門古写真 (中:(右:橋爪門枡形の現状 

4月20日に久々に金沢城へ行ってまいりましたので復元中の様子を載せます。

橋爪門枡形は「一の門」と「二の門」とL字形の「枡形土塀」で構成され
「一の門」は隣接する続櫓などとともに2001年に復元されており、
石川県は門本体の建設費として8億4千万円の予算を盛り込み
北陸新幹線が開業する2014年度までに「二の門」と「枡形土塀」の
復元を目指しています。
整備中の玉泉院丸 

シートが被さっている部分が恐らく水を引き入れ泉水にする箇所と思われます。
玉泉院丸跡の整備では「露地役所」があった場所に茶室に使える和室や
休憩室、案内スペースを備えた施設を設け、泉水や中島を復元した庭園や
色紙短冊積み石垣などを眺められるようにするようです。
県営丸の内駐車場の石垣

訪れる人も少なく見過ごされた方も多いであろう県営丸の内駐車場の石垣です。
ここはかつて元金沢憲兵隊庁舎跡で、連なる石垣は積み直しの跡も分かるなど
興味深く、櫓台らしき切石で積まれた隅部も高さがあり見ごたえ十分でした。

石川県はこの駐車場を廃止して、玉泉院丸と一体になって石垣の景観を生かし、
以前は石垣に沿って堀が巡らされたことが分かるようにして
芝生の修景園地として整備する方針です。
(左:修理中の左方太鼓塀 (中:概略写真(右:修復完了の右方太鼓塀 

現存する石川門に付属する左方と右方の太鼓塀の柱や土台は朽ちて海鼠壁にも
破損が見られたため、2006年度から2013年度にかけて
両側の付属の太鼓塀を順次、解体修理をしています。

右方の太鼓塀は修理が終わり綺麗になっておりましたが左方はまだ修理中でした
【橋爪門二の門 復元工事の起工式は6月30日】

金沢城の「三御門」の一つで、約130年前に焼失した橋爪門の復元工事を、
県が始める。北陸新幹線金沢開業に向けた事業として、2014年度末の
完成をめざす。起工式は6月30日午前10時から、二の丸広場である。

橋爪門は、国の重要文化財の石川門、実質的な正門だった河北門と並び
三御門と称される。藩主が居住した二の丸御殿につながる最後の門で、
枡形の土塀に囲まれていた。番所が設けられ、城内の門で最も格式が高いと
される。1881(明治14)年の火災で二の丸御殿などとともに焼失した。

県は2010年度から橋爪門の発掘調査に取り組み、
礎石の土台や排水用の暗渠とみられる石組みの遺構を確認。
専門家の助言を受け、調査結果や文献記録をもとに設計を進めていた。

復元計画では、木造2階建ての二の門
(高さ12・8メートル、延べ床面積136平方メートル)と、
枡形土塀(延長約40メートル、高さ約5・7メートル)を整備する。

土塀で囲まれた枡形部分の面積は445平方メートルで三御門の中で最も大きい
01年に五十間長屋などと一体で整備した一の門と合わせ全体を復元する。
総事業費は8億4300万円。

三御門のうち、明治期に解体されたとみられる河北門は
10年4月に復元され、石川門は13年度中を目標に修築作業が進んでいる。
県公園緑地課の担当者は「新幹線開業までに三御門を整備し、
石川県観光の目玉の一つとしたい」と話す。

http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000001206010001
【朝日新聞デジタル石川版 6月1日付 抜粋】

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橋爪門二の門の起工式が6月30日に行われることになりました。
ここは本来、枡形が二重に重なりあう格式の高い珍しい造りだったのですが
枡形一つだけの復元整備という点を最近、某紙面で専門家が指摘していました。
予算も有限でしょうから性急にというわけにはいかないと思いますが
将来的には完全な復元も望みたいところですね。
初めて書き込みさせていただきます。
先月訪れたのですが、橋爪門二の門再建現場に仮設の物見台が組まれていて、
今しか見る事が出来ない角度から続櫓や石川門を見物出来ました。
>>[57] 書き込みありがとうございました。仮設の物見台で至近で見られるようですね。こうしたアングルは復元が成ってしまえば見えなくなるわけで今しか撮れない写真が撮れますね。
熊本城並みの復元スケールになりそうですね。素晴らしい^^
昨日訪れました金沢城から、現在復元工事が進行中の橋爪門です。工事用の建屋が組まれ、石垣も積み始められていました。完成が待ち遠しです(^^)。
【橋爪門・玉泉院丸庭園を一般公開】
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/3025821421.html?t=1425709473

↑NHK金沢局のニュース動画が見られます。

これで金沢城の中枢部であった二の丸御殿に主要な入口であった
「石川門」「河北門」「橋爪門」の三御門の復元整備が完成しました。
あわせて庭園遺構である玉泉院丸庭園も完成し公開されています。

来週、北陸新幹線が開業し首都圏から北陸・金沢が近くなります。
近いうちに是非訪れたいと思っております。
【橋爪門 二の門】                     右:御城中壱分碁絵図(横山隆昭蔵)

5月13日に金沢城に行ってきましたのでご報告。
橋爪門二の門は発掘調査や絵図をもとに平成27年3月に復元が成り、土塀を含めて
枡形が出来上がりました。

今回復元された二の門は櫓門形式で城の中枢であった二の丸御殿に入る正門だったため
通行が厳しく制限され格式が最も高かったそうです。

絵図を見ると本来ならば二の丸御殿につながる雁木坂と二重枡形の残り半分がありましたが
今回は復元されていません。将来的な復元整備に期待することにしましょう。
【玉泉院丸庭園】

加賀藩主の私的な庭園であった玉泉院丸庭園は長らく県立体育館が建っていたり
しましたが今春整備が成され無料で公開されています。

「露地役所」の場所には茶室や休憩所が設けられ庭園を眺めながら憩うことができました。

滝の流れや中島越しに 色紙短冊積み石垣などを眺められるようになり観光客で混み合う
兼六園と違い人が少なくてのんびりとしていますので是非ともおススメしておきます。

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