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よみがえる日本の城コミュの現存建築城郭リスト

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松本城天守(左)掛川城二の丸御殿(中)上田城西櫓(右)

私の個人的な趣向で始めた当コミュも一周年を迎えました。
参加人数も700人近くに増え、これも皆様のお陰です。
思えばコミュを始めた当時はどなたも参加していただけず
削除の憂き目に遭うかと考えお城好きの方々を検索し
足跡を残したので不審がられもしましたが
興味を持った多くの方には足跡を辿って下さり
快く参加していただきました。
(不審に思われた方、どうもスイマセンでしたあせあせ(飛び散る汗)
参加していただいた方にはなるべくメッセージをお送りして
ご挨拶をして頂きました。本当に皆様ありがとうございますexclamation
そして今後とも当コミュをご贔屓に宜しくお願いしますわーい(嬉しい顔)  
                                              管理人より

さて復元された城郭を語る上で忘れてならないのが
現存する城郭の建造物です。
現存建築とは幕藩体制期に造られた城の建造物を指し、
当然ながら復元建築を建てる際の参考となるべきものです。
その現存建築のリストがありませんでしたので
一周年記念として作ってみました。

このリストにも復元リスト同様に訪れた方は
写真を載せていって下されば幸いです。

※基本的に城内に存在するものを掲載しています。
 城外に移築されているものは省いてあります。

★【天守】

城名  建築(完成)年   構成      重階

犬山城 慶長六年 (1601)望楼型複合式 三重四階地下二階

彦根城 慶長十一年(1606)望楼型複合式 三重三階

姫路城 慶長十三年(1608)望楼型連立式 五重六階地下一階

松江城 慶長十六年(1611)望楼型複合式 四重五階地下一階

丸岡城 慶長十八年(1613)望楼型独立式 二重三階

松本城 慶長二十年(1615)層塔型連結・複合式 五重六階

丸亀城 万治三年 (1660)層塔型もと複合式 三重三階

宇和島城 寛文五年(1665)層塔型独立式 三重三階

備中松山城 天和三年(1668)層塔型複合式 二重二階

高知城 寛延二年(1749) 望楼型独立式 四重六階

弘前城 文化七年(1810) 層塔型もと複合式 三重三階

伊予松山城 嘉永五年(1853)層塔型連立式 三重三階地一階



★【御殿】

川越城 本丸御殿 嘉永年間再建 表御殿の玄関・広間など

掛川城 二の丸御殿 文久元年再建 表御殿・中奥・役所など

二条城 二の丸御殿 将軍の正式御殿の唯一の現存例
          車寄・遠侍・式台・大広間・黒書院・
          白書院・台所 

高知城 本丸御殿  寛延二年再建 儀式用の御殿として使用
          玄関・書院(懐徳館)・納戸蔵

名張陣屋 藤堂家邸奥向(一部)

柏原陣屋 表御殿玄関


★【櫓】(建築年代・構成略)

弘前城  二の丸辰巳櫓 二の丸未申櫓 二の丸丑寅櫓

高崎城  旧本丸乾櫓

上田城  西櫓 北櫓 南櫓

江戸城  本丸富士見櫓 桜田巽櫓 西の丸伏見櫓 
     本丸数奇屋多聞櫓(富士見多聞)

新発田城 旧二の丸隅櫓

金沢城  石川門菱櫓 三十間長屋

掛川城  旧三の丸太鼓櫓

名古屋城 西北隅櫓 東南隅櫓 西南隅櫓

伊勢亀山城 本丸多聞櫓

彦根城  西の丸三重櫓 天秤櫓 二の丸佐和口多聞櫓

二条城  二の丸東南隅櫓 二の丸西南隅櫓

福知山城 銅門番所

園部陣屋 本丸巽櫓

大坂城  千貫櫓 乾櫓 一番櫓 六番櫓 大手門多聞櫓

明石城  巽櫓 坤櫓

姫路城  「ホ」の櫓 「チ」の櫓 化粧櫓 「ワ」の櫓 
     「カ」の櫓 「イ」の渡櫓 「ロ」の渡櫓 
     「ト」の櫓 井郭櫓 太鼓櫓 「ニ」の櫓 
     「ロ」の櫓 「ハ」の渡櫓 「ニ」の渡櫓 
     「ヘ」の渡櫓 「リ」の一渡櫓 「リ」のニ渡櫓
     折り廻り櫓 帯の櫓 帯郭櫓 「カ」の渡櫓 
     「ヌ」の櫓 「ヨ」の渡櫓 「ル」の櫓
     「タ」の渡櫓 「ヲ」の櫓 「レ」の渡櫓

岡山城  本丸月見櫓 西の丸西手櫓

備中松山城 二重櫓

福山城  伏見櫓 鐘楼

津和野城 馬場先櫓 物見櫓

高松城  北の丸月見櫓 旧東の丸艮櫓 北の丸渡櫓

伊予松山城 乾櫓 野原櫓 隠門続櫓 一の門南櫓 
      二の門南櫓 三の門南櫓

大洲城  本丸台所櫓 本丸高欄櫓 二の丸苧綿櫓 
     三の丸南隅櫓 

高知城  本丸納戸蔵 本丸西多聞 本丸東多聞  

福岡城  伝潮見櫓 本丸祈念櫓 南の丸多聞櫓

府内城  人質櫓 宗門櫓

日出城  旧本丸裏門櫓
 
臼杵城  畳櫓 卯寅口門脇櫓

平戸城  狸櫓

熊本城  宇土櫓 源之進櫓 四間櫓 十四間櫓 七間櫓 
     田子櫓 東十八間櫓 北十八間櫓 五間櫓 
     平櫓 監物櫓

★【櫓門】…門の上に櫓を渡した門。門上の櫓は渡櫓という

松前城   本丸御門
弘前城   二の丸南門 二の丸東門 三の丸追手門 
      三の丸東門 北の郭北門(亀甲門)
庄内松山城 大手門
土浦城   本丸太鼓櫓門
江戸城   田安門 清水門 平川門 外桜田門 内桜田門
新発田城  本丸表門
金沢城   石川門
小諸城   大手門 三の門
彦根城   太鼓門 天秤櫓
二条城   本丸櫓門 二の丸東大手門 二の丸北大手門
園部陣屋  本丸櫓門
大坂城   二の丸大手門
和歌山城  岡口門 追廻門
姫路城   菱の門 備前門 「は」の門 「に」の門 
      「ぬ」の門 「と」の一門
福山城   本丸筋鉄御門
丸亀城   大手一の門
伊予松山城 隠門 筋鉄門 内門
高知城   追手門 廊下門 詰門 黒鉄門
佐賀城   鯱の門
佐伯城   三の丸櫓門(大手門)
熊本城   不開門 西櫓御門 
平戸城   北虎口門

★【高麗門】…扉の両脇の柱(鏡柱)の上に横材(冠木)
       を渡し切妻造の屋根を乗せ背後を小さな
       屋根付きの控え柱で支えた門

相馬中村城 大手二の門
土浦城   旧前川口門
江戸城   田安門 清水門 平川門(二棟)外桜田門
      内桜田門 大手門(もと和田倉門)
金沢城   石川門 水の手門
名古屋城  本丸表二の門 二の丸大手二の門(西鉄門)
      二の丸大手二の門(東鉄門)
大坂城   二の丸大手門 桜門
姫路城   「い」の門 「ろ」の門 「へ」の門 
      「り」の門 「と」の二門 「と」の四門
丸亀城   大手二の門
高松城   旭門
伊予松山城 戸無門 紫竹門 一の門 三の門 仕切門
鹿島城   大手門
福江城   搦手門

★【薬医門】…鏡柱と控え柱の上に一つの切妻造りの屋根を
        架けた門。格式は高いが高麗門よりも旧式

水戸城   橋詰門
岩槻城   搦手門(裏門)
二条城   二の丸鳴子門
丸亀城   御殿表門
高松城   水手御門 
伊予松山城 二の門
宇和島城  上り立ち門
西条陣屋  大手門
秋月城   黒門(旧大手門)
鹿島城   本丸表門(赤門)

★【長屋門】…奉公人の住居や物置、馬屋などの途中に
        通路として設けられた門。区画も兼ねる

高崎城   旧三の丸東門
岩槻城   黒門
飯田城   桜丸御門(赤門)
彦根城   馬屋
二条城   二の丸桃山門
柏原陣屋  長屋門
秋月城   長屋門(黒門)

★【埋門】…石垣や土塁の間に穴をあけ上に土塀を渡した門
       非常口や裏口として使われた

二条城   二の丸西門 二の丸北中仕切門 
      二の丸南中仕切門
姫路城   「ほ」の門 水の三門 水の四門 
高松城   埋門

★【棟門】…鏡柱と冠木の上だけに屋根がある門で
       開いた扉が雨ざらしになる欠点がある

姫路城   「ち」の門 水の一門 水の二門 
西条陣屋  広敷門

コメント(106)

伊予松山城  戸無門(左) 紫竹門(中) 仕切門(右)


戸無門は大手門から本丸に通じる重要な位置にある高麗門形式の門で
その名の通り戸がありません。戸がない事により寄せ手を誘い込むため
とも云われています。

紫竹(しちく)門は紫竹が植えられていてその存在が隠されているからこの
名があり大手方面と搦手方面を大きく仕切っています。

仕切門は大天守の脇にありここを抜けると内門があり天守曲輪に到ります。
江戸城 本丸富士見櫓

先日23日の天皇誕生日に訪れてきた江戸城本丸富士見櫓です。

明暦の大火で天守が焼けた江戸城ではこの三重の富士見櫓が
天守の代用となりました。
この富士見櫓は関東大震災によって崩壊していますが再建されています。

「四方正面の櫓」とも称されたこの櫓は層塔型、塗込漆喰、出窓、長押付き
という徳川系城郭の特徴を備えた姿をしています。

普段は皇居東御苑の本丸側から裏側しか撮れませんので(写真右
12/23か1/1に一般参賀で入れる三の丸から撮影できます。
>相州乱波かすこばさん

あっホントだ!1/2のようですね! 訂正コメントありがとうございました。

一般参賀は元旦だと思い込んでおりよく見ていませんでした。
誠にスイマセンでしたお詫びして訂正いたします。 m(_ _)m
行かれる方はお間違えのないよう御願いします。
小諸城大手門
 
久しぶりに訪れてみました。地味に復元作業進行中です。
復元前の小諸城大手門(撮影:小諸市教育委員会)

>ねつあきさん

小諸城の大手門は仙石秀久によって慶長年間に建てられましたが
明治になり民間に払い下げられ島崎藤村が教鞭をとった小諸義塾の
教室として使われたり料亭や質屋にもなったようで建物の改築が
激しかったようですが元の門の形に復元されるようで喜ばしい限りですね!
>きちんとママさん

熊本城は姫路城の次に現存する櫓が多いようですね!
宇土櫓はすごくメジャーなのですが東十八間櫓のほかに

源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七間櫓 
田子櫓、北十八間櫓、五間櫓、平櫓、監物櫓

と、これだけあるようなので
もし撮影されていましたら投稿お願いします!
1月2日の新年一般参賀で訪ねた江戸城の「富士見多聞」です。

富士見多聞は本丸跡の西側に位置しており、「富士見櫓」などとともに建設当初の雰囲気を残す数少ない遺構とされています。日頃から公開されている「皇居東御苑」に入場すれば間近まで近付く事が出来ますが、全体の分かるようなアングルから撮れません。

ただ、新年一般参賀では乾門から出られるんで、富士見多聞の全体像が良く分かります。
初投稿させてもらいます☆

兵庫県丹波市の「柏原陣屋跡」です!
柏原藩主として、織田家の末裔が明治まで治めていた場所です。
今は江戸時代の五分の一ほどしか現存してませんが、国史跡に指定されています。

左:1820年建造、表御殿正面玄関!藩主の居館として使われていました。
中:1714年建造、御殿玄関前の長屋門!
右:歴史民族資料館内にあった、陣屋全景。中央右の御殿部分と長屋門のみ現存です。
>鷹バカさん 相州乱波かすこばさん

青空に映える江戸城の現存建築群!素晴らしいですね!
昨年の天皇誕生日は行ったのですが天気が悪かったのが涙
やはりお城は晴天に撮るのがベストですねぇ

「数奇屋多聞櫓」=「富士見多聞櫓」は、どちらが正式な名称かは
ちょっと分かりませんが江戸城は「内桜田門」=「桔梗門」のように
別称が結構あるみたいですね。
>ハッセーさん

柏原陣屋!ここの表御殿玄関と長屋門は現存なんですね!
確か表御殿は陣屋の御殿建築として唯一の現存例だったかな?

リストに追加させていただきます。
ご投稿誠にありがとうございました。 m(_ _)m

和歌山城に現存する「追廻門」です。

1629年、徳川家康の10男・徳川頼宣の手によって整備されたモノで、城の西方にあります。

門の外を出た「扇の芝」という場所に馬から弓を射る練習場があった事にちなんだ名前らしく、本丸から見ると鬼門に次いで方角の悪い「裏鬼門」に位置しているため、魔除けの意味から朱塗りになっているそうです。
続いてのカキコ、申し訳ありません。

これは和歌山城に現存する「岡口門」です。本丸&天守閣から見ると、南東の方角に位置し、浅野家の支配する頃は大手門だったと。

ただ、徳川頼宣の時代になると、「一の橋」がある北東が大手門になり、岡口門は裏口になったそうです

(左)城外から見た「岡口門」
(中)城内の南の丸方面から見た「岡口門」
(右)城内の南の丸方面から見た「岡口門」

スミマセン(汗)。それと、「83=追廻門」のキャプションを忘れていましたので、付け加えときます。手際が悪くて申し訳ありません(謝)。

(左)城外から見た「追廻門」
(中)城外から見た「追廻門」
(右)城内の砂の丸方面から見た「追廻門」
>鷹バカさん

和歌山城の現存する門の投稿ありがとうございました。

「追廻門」は、高麗門形式のように見えますが、もともと櫓部分があったようで
「よみがえる日本の城」の元リストには「櫓部欠失のため形式不明」
と書いてあるので元は違った形だったようですね。

「岡口門」も現状は切妻造りに見えますが
かつて両端に続櫓が続いていたのが失われて今の姿になったようです。
水戸城に残る唯一の現存する建物である「薬医門」(橋詰門)です。

現在は水戸第一高校の建つ水戸城本丸跡に移築されており、学校が開いている時ならば誰でも見学出来ます。
>鷹バカさん

水戸城の橋詰門の投稿ありがとうございます!

水戸城は本丸ではなく二の丸が政庁の機能を持っていたようで
この橋詰門は倉庫などがあった本丸の表口にあったようですが
明治の廃城によって城下の祇園寺に払い下げられていて
第二次大戦の空襲を免れて昭和56年に現在の位置に再移築されたようですね。

間口は5間5尺で本来は栩葺きであったようですが銅板葺きになっています。
先週行ってきた名張陣屋です。
名張藤堂家高吉(丹羽長秀の三男で藤堂高虎の養子)は松倉名張城&藤堂名張城跡に殿館を建てた(1636年)。
【中】【右】現存の建物(御殿の奥向きの一部)は、宝永7年(1710)の名張大火以後に再建された。
【左】太鼓門(正門)…寿栄神社(名張陣屋の東側)に移築して残されている。
>ことぶきさん

名張陣屋の藤堂家邸奥向は現存する武家屋敷として貴重なもので
上段の間、中段の間、茶室、庭、井戸があるようですね。

藤堂高吉は丹羽長秀の子として生まれながら豊臣秀長の養子から
藤堂高虎の養子になり、結局は藤堂の本家を継げなかった悲運な運命でしたが
名張藤堂家を残すことが出来ましたね。
茨城県土浦城に残る「太鼓櫓」です。

ここは土浦城の本丸大手門だったんですけど、1656年に当地を治めていた朽木稙綱によって現在の形に改装されました。太鼓櫓の名称は江戸期、時を知らせる太鼓が置かれた事に由来しているそうです。

私が訪ねた時、周囲は残念ながら工事中だったんですけど、重厚な造りに感動した次第です。

【左】本丸跡から見た太鼓櫓
【中】本丸跡から見た太鼓櫓
【右】二の丸跡から見た太鼓櫓

なお、蛇足ですが、太鼓櫓の両隣を走る土塀は復元されたモノ。右側の土塀が土塁の上を通って東櫓まで繋がっています。
続けてのカキコをスミマセン。

まず、最初の2枚は土浦城二の丸跡に残る「前川口門」です。元々は町人街&武家街を仕切る門だったんですが、後に寺の山門、役所の門として活用され、現在の場所に移設されたとの事。

【左】城外から見た前川口門
【中】城内から見た前川口門

なお、現在は本丸跡に繋がる門となっている「霞門」の写真も載せておきます。

【右】本丸側から見た霞門。右の櫓は復元された東櫓
左:明石城本丸遠景 中:坤(ひつじさる)櫓 右:巽(たつみ)櫓

先日行ってきました播磨の國の明石城の現存するニ基の櫓です。
どちらも三重で徳川系城郭らしい白漆喰塗込の層塔式です。

坤櫓は最上階の格子が朱塗りで格式が高く、大き目の天守台があるにも
かかわらず天守が建てられなかったこの城の天守の役割を担っていたようです。
左:乾櫓 中:千貫櫓 右:大手門多聞櫓

続いて大坂城の現存する櫓です。

乾櫓は一・二階が同じ面積の矩形をした珍しい形の櫓です。

千貫櫓は現在の建物こそ徳川大坂城のものですが
大坂本願寺の時代から大手門の横に位置した櫓があったらしく
「あの櫓を落とせるなら千貫文を払ってでも」と言われたくらい
横矢が懸かる堅固なことが名前の由来だそうです。
左:一番櫓 中:六番櫓 右:六番櫓周辺の「折れ」

大坂城の現存する櫓です。
二の丸の南外堀を囲むように二重の櫓が一番から〜七番まで、
そびえていましたが戦災などで焼失し、現在残るのは一番と六番のみです。

戦災にも残ったこの櫓も昭和25年のジェーン台風による被害を受け
骨組みが見えるほど無残になっていたのを昭和28年に重文指定を受けて
応急修理が施されています。
福知山城二の丸銅門番所

丹波の國の福知山城で城内に唯一現存する銅門番所です。
本来は市役所の辺りに建っていましたが復興天守の下に移築されています。
さいたま市岩槻区に残る「岩槻城」の遺構です。

後北条氏によって拡張され、江戸幕府にとって枢要な土地だった城の殆どは市街地に埋もれてしまっているんですが、「新曲輪」「鍛冶曲輪」と呼ばれた一帯は城址公園として整備されています。

そして、公園に残されているのが「黒門」(写真右・中)、「裏門」(写真左)と呼ばれる門。

いずれも廃藩置県で城から撤去されたため、城内の何処にあったのか分からないらしいんですが、黒門は浦和の埼玉県庁や県知事校舎の正門、岩槻市役所の通用門などに使われた後、1970年に移転されたとの事。

名前は勿論、黒く塗られた木材部分に由来しています。

また裏門は民間の手に渡った後、1980年に移転されたそうです。
小諸城大手門 
 
本日竣工式で、行ってまいりました。
 
織豊系城郭の研究で有名な中井均先生や、漫画「センゴク」作者の宮下先生の講演など、楽しい時間を満喫できました。

大手門は二階部分へ登れたので、初めて中を見る事が出来ました。本来畳敷きで、ふすまで仕切られた部屋を持つ独特の構造らしいのですが、さすがに畳は敷かれていませんでした。(敷く構造にはなっています)

おーちゃんさん、こんばんは。

これならOKかと思い、はせ参じました(笑)

先日、江戸城に参りましたので、こちらの門を投稿させていただきます!

左:内桜田門(桔梗門)

中:外桜田門

右:平川門

どれも大きな枡形で驚きました!さすがは江戸城だな〜と、一人で口をあんぐりしておりました(笑)



関ヶ原の東隣、垂井町の岩手陣屋跡の写真です。
この地は、秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治の子孫が、5000石の旗本として領しました。
その陣屋が岩手陣屋です。現在は跡地に小学校と幼稚園があり、櫓門と堀、石垣が遺構として残っています。
櫓門が、小学校の校門代わりに使われ、その脇には竹中半兵衛重治の銅像が建っています。
また北へ500メートルほど行った、禅憧寺という寺には、半兵衛の墓があります。
先日初めて行った姫路城です。
姫路城をすべて見るのに丸一日かかりました。
暑い中でしたが、そんなことを忘れてしまうくらい、カメラを片手に周りに回っていました。
門がまだ出ていなかったので門と櫓を載せて頂きます。

左:菱の門
中:「は」の門
右:百間廊下より見た化粧櫓と天守閣
彦根城へ行って来ました。
建造物だけでなく、内堀や中堀も残されていて、素晴らしかったです。

左:天秤櫓
中:天秤櫓の東側部分
右:太鼓櫓
続けて、彦根城です。

左:天守閣(北側から撮影)
中:西の丸三重櫓
右:佐和口多聞櫓・二重櫓
先日古河城へ行ってきました!
城跡のほとんどが河川改修と市街地化で破壊され一部の土塁などしか残っていない古河城ですが、古河市歴史博物館(旧諏訪曲輪)の近くに二ノ丸乾門が移築され現存しています。

古河城の城門で唯一現存している旧乾門は明治7年の廃城時に払い下げられ現在福法寺の山門として使用されています。
将軍日光参詣の折に宿泊所になった二ノ丸御殿の入口にあったという門だけあって格式高く、平唐門という形式でなかなか凝った意匠をしています。
元々は桧皮葺だったということですが現在はトタン葺に改変されているとのことです。

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