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茶道の心を味わう研究会コミュの◆茶道の心、禅の心 その3

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臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念特別展「禅−心をかたちに−」を拝観して(東京国立博物館の展示担当責任者への手紙)

 上記展覧会への拝観お勧めを臨済会発行の「法光」誌上にて拝見、11月初めに展覧会を拝観させて戴きました。色々感銘したところもあり、意図が諮りかねたところもあり、お手紙を差上げている次第です。

 近年東京国立博物館(以下 東博)が展示方式、特に照明工夫や展示物を背後からも見られるようにした見方の工夫など斬新な試みをされていること、感心をしています。

 今回の禅・心展では、これまで単一の寺院の財宝を展示するのと異なり、臨済宗本山の寺宝の逸品を一堂に展示した点で、意欲的であったと思っています。それによって本山の寺宝維持の状態や日本への禅流入の勢いといった点も、意識或る鑑賞者には感じられたのではと推察します。もっともこの点は展覧会企画者が意図した成果であるのか、予期せぬ成果といえるのかは私には不明ですが。

 小さいことですが、坐禅を試みるコーナーも鑑賞者に、禅は体得するものという問いかけをしていたのではと思います。京都国立博物館での同じ表題の展覧会が内容が同じであったのかは不明ですが、同時期に行われた「臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念 禅学国際会議」(於 花園大学)でも、学会スケジュールには標記されていまさんでしたが、2日目の朝、発表会が開始される前に坐禅会が開催されました。これも普通の学会ではないことでした。

 東博の上記展では、あっという間に回ることができましたが、所要時間は2時間でした。普通の東博展では、どうしても半分回ると疲れて暫し休憩したくなるところです。しかし回り終わると大変な疲れがどっと出ましたが、引き込まれた展示の力がそうさせていたのかなと感じました。

 ところで、われわれ鑑賞者にはどの展覧会でも知らされませんが、上記展はどこが所期の企画をされたのでしょうか? 一般禅僧はともかくとして、老師級の禅僧では、一般人が働きかけて、その内容が意に沿わない部分が残っていても自ら注意を喚起するということは、まずしません。

 というのは、上記展の主題の根本に流れている「臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念」するという本質的な点ですが、高度な禅僧からするとかなり奇異なものではなかったかと感じます。但し高度な禅僧とはという点も理解が難しいものですが。

 一般人、といっても禅には関心を有している庶民も含めてですが、臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念であるとすると、中国の名僧は1150年前に出現、日本では約1000年も遅れて名僧が出たということか?!?…という大きな疑問が残るのではと思います。これは主題を揺るがす大問題です。

 東博展でも、この主題がどう展示されていたのか問われると思います。中国から印可状を貰って日本人禅僧が帰国したということは優れた事績ですが、これがどう臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念と結びついているのか、展示では応えられていませんでした。

 また、「心をかたちにする」という言葉が一般鑑賞者は印可状や禅僧の彫像が心を顕しているものなのかと、禅では否定されている「形や文字に拘ることなかれ」という大義を一般人に誤解させる恐れを内包していると思います。

 なぜ、1000年も遅れて出現した白隠禅師が一緒に登場するのか、そこに特別展の大きな主題がなくてはならないでしょう。日本の現在の高位の禅僧は総て白隠の系統を引いています。白隠については我々は学校の歴史でも習っていませんが、白隠は世界的な偉人とされます。中国で発生した禅ですが、現在世界が大きな関心を寄せている禅こそ白隠禅です。

 1000年の時間を経て、初めて本物の禅が白隠によって登場したのです。これこそが「臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念」すべき命題です。この点、言ってみれば形を捨てて心に人間を導いた白隠禅を顕彰しなければ、臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念とは言い難いものです。

 ただ、先に書いています「高度な禅僧」ですが、現代では心よりも形が大切だとする禅僧が少なくないのも事実で、禅の門外漢には雲を掴むようではあります。しかし白隠禅師250年遠諱に至った現代、そこに危惧している方もいるのは事実です。

 添付で先に書いた「臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念 禅学国際会議」での一断面をメモしたもの(私が執筆したものです)があり、添付しました。

 禅をテーマにしたり、その関連のものをテーマとすると、一般の美術、芸術とは異なり、常に意識や宗旨を確認しなければなりませんので厄介なことですが、それを無視すれば必ず大きな矛盾に遭遇してしまいます。参考までに老婆親切を尽くしました。お許しください。

 なお「臨済禅師1150年遠諱ならびに白隠禅師250年遠諱記念 」の本当の命題が何かを書くにはさらに長時間が必用ですので、もしご関心がおありなら対話によるしかないかなと思っております。

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