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藤圭子コミュの聞いてください私の雑談

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藤圭子さんの唄でタイトルに「女」が付くのを
調べてみました。すみません、間違っている分があるかも知れません。

 女のブルース
 女の流れ唄
 ネオン街の女
 女泣かせ
 女の真心
 女だから
 女の人生
 女の園
 女の冬
 大阪女のブルース
 女は恋に生きてゆく
 さいはての女
 女は悲しい花でしょうか
 長崎の女
 旭川の女
 生きてるだけの女
 新宿の女
 カスバの女
 可愛い女
 女の意地
 女のメロディー
 国際線に乗る女
 女の宿
 女な道
 明治一代女
 函館の女(ヒト)

コメント(212)

藤圭子の「海」について

 藤圭子がこの世を去って12年目を迎えている。藤圭子の「海」と言えば、火葬後海に散骨されたことは良く知られている。散骨した娘は、2013年9月18日、圭子さんの実兄の藤三郎(本名阿部博)氏に届いた…手紙に、「母の意志に沿い通夜葬儀納骨は行わず なお且つ母の強い指示で遺骨は散骨させて頂きました」と書かれていと言う。

 その娘は、2016年3月20日未明にツイッターで、「ブログをハシゴしてたら今がお彼岸だと知った。春分の日の今日はお彼岸中日か」と綴り、「母の遺骨は本人の希望通り散骨して、どこにもお墓はないから、お墓参りしたい時どうしたらいいのかな」、「海が見える所に行きたいな」と心境をつぶやいている。

 さて、藤圭子にとって「海」は何を意味していたのだろうか。

 参考になるのは、1994年4月の「酒に酔うほど」と1997年10月に「男と女」で、Ra Uが作詞・作曲をしたものだ。「Ra U」とは藤圭子の別名である。

 「酒に酔うほど」には
 「 海をながめて 一日を過ごす 横にはお前がいると」と書かれている。

 また、「男と女」には
  「人の心の 裏側に 深くて青い 海がある もしも死んだら 海に帰して 海に帰って また結ばれる」
 と書かれている。

 そう言えば、藤圭子は若いときにこんなことを言っていたのが思い出される。
 「私は旭川で育ったけれど、不思議と旭川の街の記憶はうすい。むしろ、原生花園が私の北海道での思い出として今でもハッキリと記憶している。」、「釧網本線の北浜と斜里の間に広がるこの原生花園は、青緑色のオホーツク海に面し、春の訪れとともにハマナスやエゾキスゲなど、さまざまな原生の花が咲きほこるんです。紅紫、黄と色も色とりどりで、見渡すかぎりの花園は北海道ならではの風景です。」、「なかでも「新宿の女」でデビューする直前に、母と二人っきりで訪ねたことを覚えています。そのときは、凍てつくような寒い日で、知床の山々もすっぽりと雪に覆われていました。北海道の話になると、いつも原生花園のことになるんです。」と述べている。(「原生花園の思い出」より)

 藤圭子が生まれてまもなく母親の実家のある北海道名寄市(なよろし)へ渡道し、2,3歳の頃、旭川市に引っ越して15歳初めまでそこで生活したと言っているので、恐らく名寄市にいたときのことで、藤圭子の言う「海」は、「釧網本線の北浜と斜里の間に広がる青緑色のオホーツク海」なのであろうか。
>>[173]
Jun
確か圭子さんの実生活には「海」のイメージがありませんね。しかし、私は彼女の生まれから終焉までずっと「海」を捜していました。純子さんを産んだのは澄子さんですが、海の女神もより裾っていたようですから。
Jun
お酒四方山軽話(1)
藤圭子さんを酒飲みの酒豪と錯覚したノンフィクション作家が居りましたが、それ故に自分に還さえた刃を払い取り繕うのに筆の力をりつくかっていた。
まぁ、そんな話は置いといて、酒飲みの極意はとてつもなく深いし、人それぞれである。一時あるメーカーのビールがドブ臭かったが一般人の人には指摘しても判らなく、「通」のみがなる程と言う程度であった。
Jun
お酒四方山軽話(2)
今はとても高嶺の花で買えないウィスキーの銘柄が幾つか有る。それどころか、普通に飲み慣れた銘柄も手には届かなくなった。
山崎や白州はその名に
なる前から好きだったがと自分では思っています。学生時代から飲むウィスキーの値段は1500円と決めており、味も名前も豊かな時代でした。ゼミの合宿に同僚がサントリーレッドを持ち込んできたことがあったが旨いも不味いも、記憶には無かった。今、50年を遙かに越えて、知ろうとしている。
Jun
お酒四方山軽話(3)
ウィスキーでは山崎が好きだった。残念ながら10年もので年一で我慢していたところ、あまり懇意にはしたくない同僚が「山崎……あれ、駄目不味い」と言った。舌はそれぞれの、ドブの味でも旨いと思う人には旨いのです。それから程なくして、オークションでは1000万円越えるは、通常販売されないやら、本当のウィスキーは現実に幻のものになった。でもね。・・・・ウォッカは変わらずにあるんですよ。心を癒すために。
Jun藤圭子と海
私は雑談を含めて圭子さんへのお便りに「海」に関するお話は一切無かった。確信とまでは行かないが、女性の死は「海に帰る」ことである故に避けていた節がある。圭子さんの歌の世界ではただひとつ、「もしも死んだら、海に返して…」「心と躰燃え尽きた」
この遺作だけでは圭子さんに追いつけない。特に私共は砕けし骨はモンスーンに放ちたいほうだから、男の愛と女の愛が海でした結ばれるイメージはない。海は女の安息地
。男はその水底に想いを馳せる。時には逢いに海の藻くずとなる人もいるが。
Jun
お酒四方山軽話(4)
前にビールがドブ臭い話をしたが、ネットで調べるとその殆どは生ビールサーバーとの答えあり。私の、缶ビールや瓶ビールの臭いのは例外的な扱いでした。ただ、醸造過程に不備がある場合もあるがとあった。今、ビールは百花繚乱のごとく多種多様で並べて旨い。ビール党でない小生だが秋の季節には食材に合って飲みやすいのかも。但し缶ビールはクリアなグラスに移さないと駄目。缶ごと呑む人はアルミ等の味音痴である。
Jun
お酒四方山軽話(5)
ブランデーにも一時はまっていた事がある。主流はレミーマルタンVSOPであったが、その上のクラスも幾度か経験している。それも今は昔だが舶来の安いブランデーは並べて着色と薬剤のようなものが入っている。以前のメルシャンワイン事件を彷彿させる。
昨今は各種の酒造りに情熱を燃やす人も増えて、日本人の醸造能力が高く評価されている。日本楽曲もそうありたいものだ。
Jun
秘蔵映像!藤圭子熱唱
〈だが藤圭子にはもう一人の自分がいた〉本名阿部純子としての自分
〈藤圭子と阿部純子2つの人生を歩いた伝説の歌手は〉
HDDに残してある、この特集は藤圭子と阿部純子の二人の〈自分〉がテーマである。だが私にとっては至極当たり前のテーマである。理由は幾つかあると思うが、大きなものとしてはデビュー前の「阿部純子」の映像に何かしら奇妙な一目ぼれがあったこと。そしてキャチフレーズの「演歌の星を背負った宿命の少女」であろう。私には藤圭子以前と藤圭子以後とでは歌謡曲と言うか、日本歌曲の観点が大きく変わった、いや変えさせられたと言った方が正解かもしれない。物心付いた頃には楽曲に、ある偏りが出来ていた。
Jun
秘蔵映像!藤圭子熱唱(続)
音楽に接して来て、ヨナ抜きに縛れる傾向と知る。歌詞も悲哀とか耽美的なものに偏る。洋楽の範疇ではジンタ〈美しき天然〉であり、記憶には無いがチンドン屋の後を追いかけ、迷子と言うか行き方知れずになったらしいこと。どうやらそこは、古賀政男氏と同じルーツがあるようだ。抜けようにも抜け出せないラビリンス(迷宮)迷い込んでいた。その哀愁なる歌詞とメロディが藤圭子とどう繋がってゆくのか?いや、阿部純子さんとどう繋がってゆくのか?これもまた迷宮なのだろうか?未分析のままである。
Jun
私が以前目にしたブログ等ですが、知らなかったことも多く、また藤圭子さんの事実と胸の内ではない、こともあると感じています。
特に、表向きだけの記事にはまず疑って掛かるのが真実を見つけ出す手段と信じています。
藤圭子ファンなら誰でも目を通したであろうブログ。
かどのブログー藤圭子さんを決して忘れないー
かどさんのブログです。最近の記事は「読者の皆様、ご無沙汰しております。嬉しいお知らせがありましたので、告知です。(画像あり)」で
藤圭子Online
当サイトの管理者Binitamの個人的なブログですが、藤圭子さんにかかわる情報話題も随時更新しておりますので
矢部進75歳の雑記帳

藤圭子さんの晩年の空白の12年間について
私は100%藤圭子さんの立場です。其処には怒りやうらみ、喜怒哀楽を共有するインナートリッブの真似事ですが、敢行しました。下手をすれば自分自身が二の前になる可能性を含めて。 すると全く違った純子さんの姿が見えてきます。宇多田純子さんになって再度生きて見てはどうでしょうか?
藤圭子歌唱の「母子舟/恋して母は」について(その1)

 藤圭子の未発表曲に、シングル盤「母子舟/恋して母は」がある。関係者によると、一人娘の宇多田ヒカルが生まれた翌年の1984年に録音されたというが、お蔵入りになっていた曲である。(圭子さん34歳、ヒカルが2歳4か月頃)

 母子舟(おやこぶね) https://www.youtube.com/watch?v=Bj9jmgmvCrI。 また、「 恋して母は」  https://www.youtube.com/watch?v=AW7568RLinA ともに作詞:石坂まさを 作曲:平尾昌晃である。
この2曲について、考察してみたい。


 藤圭子は1983年に娘のヒカルが出産し、家族を支えるため懸命に仕事をしていた。
 だから、育ての親だった作詞家の故石坂まさを氏(享年71)が藤の再起のために「母と子をテーマにした作品はどうか」と提案。自ら作詞し、当時テレビの「必殺シリーズ」のテーマ曲を手掛けていた平尾昌晃氏(享年79)に作曲を依頼したというのが一般的で、この歌「母子舟/恋して母は」は、石坂まさをが藤圭子に贈った歌とされているが、筆者はそう思えないのである。
 むしろ恩師石坂に弟子である藤は、歌を歌って差し上げたのでは思うのである。だから、はじめから「売り物」ではなく、いわば石坂本人の「宝物」ではなかったのかと思っている。

 まず、「母子舟(おやこぶね)」を考察したい。
 歌詞は、1番から3番まである。
 一番目は、
 「川の名前は 悲しみ川で 漕げば艪が泣く 胸が泣く
  浮世荒波 女手ひとつ  越えて行こうね 今日もまた
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、石坂の母千江を髣髴させる。

 石坂の母千江は、夫(石坂の父)の澤ノ井音次郎が看板業を営み、石坂まさをが生まれる前には商売が繁盛し、十数人の職人を雇う程までになっていた。生活に余裕ができてから音次郎は女遊びにふけるようになり、千江のほかに8人の愛人を持つ。千江は子供を生めない体で、音次郎は愛人との間に6人の子供をもうけている。
 石坂は4番目の愛人の子で、愛人が子供を育てられなかったので、千恵が引き取り育てたのである。石坂は、子供ができなかった母千恵から、実の子以上に愛情深く育てられたと書いています。(「きずな」より)

 二番目は、
 「岸に咲く花 思いで花は 怨みつらみの 棘ばかり       
  生きて別れて おまえの為に 私ゃ水面(みずも)の花となる
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、ここにも、石坂の母千江を髣髴させるのだが...。
 
 藤圭子は水面を「みずも」と発音し「みなも」と発音しない。「みずも」は「水藻」(すいそう)を連想する。何か意図があったのかそれとも誤読だったのかは不明だ。どちらも土の上に咲く花ではなく、浮き草のように生活が不安定で落ち着きがない状態を表し、「おまえのためなら命も惜しまない」と言う強い意志が感じられ、尊敬と感謝があふれ出た詩である。

 しかし、石坂は母千江とは「生きて別れて」はいない。そうすると、一番の歌詞は母千江であり、二番の歌詞はむしろ生みの母親、つまり父音次郎の4番目の愛人(映画館の切符売りの女性、名字がナナメギと言う女性)を詩ったのではともとれるのである。
 もしかしたら、4番目の愛人が「我が子」を正妻千江に差し出す心情を唄ったのではないか。千江は石坂にこの経緯を教えたのかもしれない。

 三番目は、
 「誰かが浮かべば 誰かが没む 月と木の葉の人生さ       
  可愛い おまえの指さす彼方 夢があるのさ いつの日も    
  それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ 母子舟」
 とあり、石坂の母千江、生みの親、そして藤圭子をも髣髴させる。

 「浮き沈みは誰もが経験するものだけど、子どもがいるじゃないか、夢があるではないか」と自分に言い聞かせ、母たちの想いを藤圭子に説き聞かせ、純ちゃん(藤圭子)には「ヒカルちゃんがいるじゃないか」頑張れよと言う感じもあるのだ。

 藤圭子の歌唱は、これらの語句を力強く唄っている。石坂の胸に何が残り、圭子の胸には何が残ったのであろうか。 つづく

藤圭子歌唱の「母子舟/恋して母は」について(その2)

 次に「恋して母は」を見てみよう。
 内容は、「母子舟(おやこぶね)」とはかなり違っている。

 歌詞は、1番から3番まである。
 一番目は、
 「可愛い おまえに 化粧がが少し 派手になったと 
  言われりゃ辛い 隠すつもりは 更々無いが 
  口にゃ出せない 貴方の事は 
  ごめんね ごめんね おまえの幸せ願いつつ
  母は女の恋に泣く」とある。

 この詩は母子家庭での母と子が主役で、母が恋をしてしまい、何故か子どもに謝っている。
 この歌は完全なフィクション(作り話)とも思えるが、そう思えないところもふんだんにある。
 普通、母子家庭の母が恋をすれば、子どもと母親と恋人との家庭を希求し、子どもに謝ることはしないはずだ。それなのに子どもに母が「ごめんね」と誤っている。だとすると、禁断の恋なのであろうか。

 二番目は、
 「雨の降る日は 裏窓灯り しのび逢うほど 二人は燃える
  帰らないでと 甘えていても 酔いが冷めれば 心が痛む
  ごめんね ごめんね おまえの寝顔を想う度 母は女の恋に泣く」とある。
 「雨の降る日は 裏窓灯り しのび逢うほど 二人は燃える」とあるから、この母子家庭の母親のもとに恋人が訪れ逢瀬を重ねている様子がうかがえる。しかも、「酔いが冷めれば 心が痛む」とあるから、普通の恋愛でないことがわかる。

ここで疑問が出てくる。
 第一に、完全なフィクション(作り話)であれ、何故藤圭子に歌わせるのかと言う疑問である。こんな歌を藤圭子が心を込めて歌えるのかという点であり、歌わせて良いのかという点である。ヒカルさんを産み希望を持っている藤圭子には、絶対に歌わせるべきではないと思うのである。筆者はいかに「怨歌」の名手と言えども可愛い娘を持つ母に歌わせべきではないと思うのである。

 第二に、フィクション(作り話)であれモデルがあるはずだ。例えば「銀座の女」とか「ネオン街の女」とか主人公の顔がみえるものだが、ここにあるのは、母と子それに母の恋人であり禁断の恋をしていることだけである。しかも、この恋人と子どもの間には親子感が全く感じられない。何故なのか?

 三番目は、
 「他人の噂や世間の指は 耳と この目を 塞げばいいが
  肌に残った貴方の匂い 嘘はつけない おまえにだけは
  ごめんね ごめんね おまえの幸せ願いつつ           
  母は女の恋に泣く」とあり、「肌に残った貴方の匂い 嘘はつけない おまえにだけは」とあるから、子どもへの背徳と恋人への男女関係の執着が感じられる。そして一番から3番まで「ごめんね ごめんね」と我が子に謝り、「母は女の恋に泣く」で終わっている。

 例えばこの歌がお妾さんの詩で、パトロンの間に子をもうけるが、その後この女性が本当の恋愛に目覚め、妾の立場を捨ててでも、女の愛に生きようとするとき、パトロンの間にできた子どもへの不憫さ詫る女の姿なら理解できる。(「愛人が子供を育てられなかったので、石坂を千恵が引き取り育てた」ことも肯ける)
 私には確信はないが、父音次郎の4番目の愛人(映画館の切符売りの女性、名字がナナメギと言う女性)、つまり石坂の生みの母親を詩っているのではないだろうか。そう考えると腑に落ちる。育ての母親への絶対愛と産みの母親の憐憫さを踏まえた歌なら、藤圭子も納得し歌うはずである。

 以上、想像の域をでないが、もしそうならこの歌たちは、石坂まさをの作詞の原点なのかもしれない。そして、自らのために弟子の藤圭子に歌っていただき、自らの「家宝」にしたに違いないと思えてきたのである。それならば義理堅い藤圭子に似つかわしく、師弟愛の「誠」を感じる歌たちなのだ。 (完)
CD「母子舟/恋して母は」
断捨離について後輩にメルカリを勧められ10年
先日ようやく登録
断捨離のはずが最初にこのCDを購入しましたあせあせ
>>[186]
私も確かメルカリでこのCDCDを購入しました。
2曲とも良い曲だと思ってます。
>>[187]
初めてこの曲を耳にしたのはYouyubeでした。
ですけど「母子舟」は途中で終わってしまうんです。
えっ?こんな曲?と思いCDをネットで購入しましたら、
最後までしっかり収録されていました。
改めてYoutubeを確認したら、UP者が何と「榎本襄」氏でした。
著作権を考慮したのか途中で切って有りました。

>>[186]
 未発表曲が見つかって、発売されるかも。
まだ、未発表曲はあると思います。歌の数だけ、
違う圭子さんがいます。断捨離は、何回も繰り返せますよ。
>>[189]
メルカリ、買うのは簡単なんですけど、売るのは・・面倒くさがりで。
藤圭子の演歌と宇多田ヒカルについて

 藤圭子は、宇多田ヒカルのデビューと活躍を喜ぶのですが、当時、宇多田ヒカルを無名の帰国子女ととして売り出そうしていたレコード会社「東芝EMI」と父・宇多田照實氏が、演歌歌手の母藤圭子が表に出るとアメリカン・ポップスの宇多田ヒカルの商品価値に傷をつけることを恐れ、家族ユニット「U³」の解消と藤圭子の歌手封印を断行し、さらには宇多田ヒカルのプロデュースからも締め出すことになります。歌うことも歌う場も失い、音楽活動そのものを奪われた藤圭子は、いつのまにか「ギャンブルの旅」へと向かうのです。

 藤圭子は、宇多田ヒカルがアメリカでデビューする予定の1997年10月に「男と女/抱いて…」という47枚目のシングルをだしています。これは藤圭子ことRa Uが作詞・作曲をしたもので、今後の藤圭子の行方を暗示するかのような内容でした。

 このふたつの作品に描かれいるのは、藤圭子さんの「歌の道」への執念と、地方巡業を生活の糧にする不安定な経済力と家族との関係に苦悩している様子が見受けられます。「もしも死んだら 海に帰して」と「涙は枯れたと 言い聞かせても 溢れる想いに 胸が熱くなる 愛されることも 嫌われることも 恐れずに生きて行けたなら もっと強くなる きっと花になる あなたの愛を永遠に」の詩はまるで一対の詩のようで、捨て身の藤圭子の実像を見ているようです。このような「歌の天才」から「歌への執念」を取上げれば、どうなるかは想像に難くないと思われます。

 2013年8月29日、J-CASTサイトに掲載された記事によれば、(元夫の照實氏が)同年春頃、圭子さんは「救いのない歌詞を長年歌っていると何だか人生救いが無くなる」と言っていたとツイートしています。圭子さんは、自分がデビューした当時から歌っていた 「演歌」 を長く歌うことで、気分が沈むようになるということを言いたかったのでしょう。娘のヒカルが「演歌」 を歌うことを強く禁止していたような内容になっています。

 しかし、20日放送の『まつもtoなかい』(フジテレビ系)に出演した宇多田ヒカル氏は、「母親に演歌歌っちゃダメって言われてましたし」、「歌い方、こぶしが逆だから」、「声を震わせる部分があるじゃないですか?それが絵に描いたら、(波長が)逆なんだって。とか、いろいろ歌い方が違うからって、小さいころに言われたのを覚えてる」としています。
 ただ、2010年10月13日付けシネマツゥデイには、「母の『面影平野』や美空ひばりの歌はよく歌います。でも、母がこのことを知ったら、殺されるかもしれませんね。演歌はすごく特殊な形式で、歌詞は暗いものが多いのです。そして、母はそのことがわたしの歌や人生に影響するのではないかと不安に思っているので……」と報道されています。
 宇多田照實氏と宇多田ヒカル氏の言動は常に細部で微妙に違うのは何故か気になるところです。

<参考>
※ 藤さんは力強さのあるハスキーボイスで1960〜70年代に人気を博し、「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」などの代表曲で知られた。MCの「ダウンタウン」松本人志は「お母さんのアルバム買ったのよ。めちゃくちゃかっこいいの」と宇多田に報告し、「カバーアルバム出して欲しい」とリクエストした。

 すると、宇多田は「え〜、私は歌えないです。演歌は」と答え、「母親に演歌歌っちゃダメって言われてましたし」と続けた。不思議がる松本と中居正広に、「歌い方、こぶしが逆だからって」と説明。「声を震わせる部分があるじゃないですか?それが絵に描いたら、(波長が)逆なんだって。とか、いろいろ歌い方が違うからって、小さいころに言われたのを覚えてる」と続けた。(2023年8月21日(月)12時45分宇多田ヒカル、亡き母の教えで“歌唱禁止”だった歌とは 「『逆だから』って」20日放送の『まつもtoなかい』(フジテレビ系))

※外国では宇多田の家族があまり知られていないことを受けて、「あまり知られていないでしょうけど、わたしの母は演歌(日本のブルース)歌手なんです。パフォーマーとして尊敬しますし、娘から見ても美しいです!」と紹介すると、「母の『面影平野』や美空ひばりの歌はよく歌います。でも、母がこのことを知ったら、殺されるかもしれませんね。演歌はすごく特殊な形式で、歌詞は暗いものが多いのです。そして、母はそのことがわたしの歌や人生に影響するのではないかと不安に思っているので……」と続く複数のツイートで、今まであまり明かされることのなかった母子関係にも言及した。(2010年10月13日付けシネマツゥデイ)
Jun
大石始氏調べ
X ・ OISHIHAJIME
70 件以上の高評価 ・ 1 年前
"「新評」1970年12月号において藤圭子はこう話しています。 ...
そういえば、こないだとある会で「宇多田ヒカルの祖母(=藤圭子の母)は瞽女である」という話をしていた方がいたのですが、祖母の澄 子……
ヒカルの口から瞽女東京言う言葉が出たそうですが、wiki藤圭子の欄には当初、確かにそう書かれていました。之には二つの異名で誤謬がある。母すみさんは、曲師であり、浪曲師(師匠持ち)あることは確かです。一方瞽女とは本来、差別意識用語ではなく。
旅回り芸人の範疇に入り、目の不自由な人の世場合、男は按摩が、出来るが女の場合、昔はほぼ不可能と言って良かった。故に将来不安のある視力を思い澄子さんは師について芸を学ぶ。 一つ強調しておかなければならないことがある?現在の津軽三味線のルーツは旅芸人、お瞽女の弾き技である。
>>[188]
Jun
発売されたCDとは別のヴァージョンですね。♬ソレ ギッチラギッチラギッチラコと倍テンポで子供たちが歌っているパターン。直した方が正解ですね。
[193]Jun
誤字、脱字が多くてスミマセン。正しく伝わらなかったかも知れません。
圭子さん「魚野川ブルース」
NHK TV「あなたのメロディー」で歌唱の曲です
昔、この番組(日曜日の午前でしたか)観たような気がします(父親がよく観ていたから)
 この曲の存在は昨年、sijimi様から教えて
頂きました いい曲で圭子さん歌が抜群に上手い!

https://youtu.be/X6tk2TmHClQ?si=Y-y4CbPMv7Bar1xy






https://youtu.be/X6tk2TmHClQ?si=Y-y4CbPMv7Bar1xy
Jun
いやぁ、ビックリした。「流星ひとつ」を読んでいたら、石坂まさを氏とは別の世界が有り得たようだ。純子さんが是非、すぐにも(家計も助かるし)歌手デビューを望んでいたら、スタッフの人材にもよるが、こと、歌に関しては多種多才な能力を発揮されていた可能性がキングレコードにあったかも知れない。
>>[196]
藤圭子節を少し抑えていたので写譜は楽でしたね。
Jun
私は100%藤圭子である。しかし、元をただせば阿部純子の人生を見てみたい、魅せられた感情からだった。今思えば、藤圭子でなくとも、島純子でも、その他でも良かったかもしれない。あちら側の人生であったならば、恐らく死なず済んだかも、たとえ当時の純子さんにその影が見えても。それほどキングレコードは高いか分からないが、少なくとも歌の自由度は高かったかもしれない。
Jun
酒、今はウィスキー
今は家庭の事情から、睡眠薬と酒は欠かせないのだが、主治医曰く、逆に寝れないとのこと。ほぼ徹夜状態。それについて、想う。2013年8月以降から酒量が一気に増した時に、横山やすし氏を思い出しつつ、煽る。(死んでもいいかな?!と思いつつも、お守りを身につけてインナートリップし、何故かを尋ねる)彼はブランデーだが私はウォッカ。「流星ひとつ」故か、その直前なのかはっきりしないが、圭子さんにウォッカを勧めたのは自分であると自識している。勿論、今もウォッカは止めていないが、昨今の世界的なウィスキー人気で被害を諸に受けている。好きな愛用の銘柄は値が高くなり、加えて普通では手に入らなくなった。
Jun
酒、ワイン編
以前、妻も元気だった頃、ワインも飲んでいた。私自身は赤が好きだが、安い白で「マドンナ」を飲んでいた。赤ならサントリーのレゼルブル(800円)だった。故に2000円を超えるワインは全く知らない。ある時、旅先の旅館での会合後の宴会で、幹事がワインを注文した。白(6000円)、赤(5000円)諸税別であったが、飲んだ所、覚えのあるワインの味だった。幹事の所へ行き、確かめると、レゼルブの赤の瓶が置いてあった。「これは、ひどい」。幹事に訴えると、こう云う所では有り得るから穏便にとのことだった。余談だがそんな二次会、カラオケでのウィスキーは最低ランクのもので、せめて一つ上を頼んだが、駄目だった。ワインと言えば圭子さん、赤ワインを飲まれていたそうですが、どんなワインだったのかな?面影平野のキャンペーンで手にされた瓶、拡大して分かるかな。
>>[202]
赤みたいですねー この写真かな
>>[192]
Jun
ふ〜ん?! ヒカルさん、それが全てかな?残りは「もう、たくさん」だったとか。
>>[204]
Jun
ありがとうございます。
この2枚の写真、私は初めてです。カラーですので他のモノクロにも色付けしたいと思います。ワインはマンズワインの中瓶でしたですね。親会社はキッコーマン。大きなトラブルが在りまして、項を改めます。
Jun
ワイン四方山ばなし(1)
面影平野のキャンペーンに使われたワインは「マンズワイン」……何故? これには訳が有ります。
ワンズワインの親会社は大手醤油メーカーのキッコーマン(株)。何故、家庭にワインをと思われたのかは詳らかではないが、甲州ワインをわが会社からとの理想に燃えて、勝沼ワイナリーと小諸ワイナリー(長野)を創設。しかし哀しいかな、日本産ブドウのみでは会社としての採算が取れない。いきおい、外国産とのブレンドとなる。故に、10年経っても家庭ワインとして馴染まれ無かった。そこで、TVで強力な広告宣伝を行う。
Jun
ワイン四方山ばなし(2)
さて、一大広告をするにあたってマンズワインのメインキャラクターに選ばれたのは新婚間もない、市川染五郎(2代目白鸚)と妻の藤間紀子。(嫡流は藤間爽子)
この流れの中で、RCAとタイアップして、新曲「面影平野(77年/11月)」のキャンペーンが行われた。こうして一般に知れ渡ったマンズワインだが、大きな「勇み足」で大失態をしてしまう。
Jun
ワイン四方山ばなし(3)
家庭ワインを売り物にしていたマンズワインだが、利幅の高いと見られる高級ワインへの模索が始まる。その頃辺りか、サントリー傘下のワイナリーで貴腐ワインの元となるブドウが生成され、一本10万円のワインが話題となる。素人の私でさえ(入手は夢だが)明るい出来事であった。
親会社たるキッコーマンは、それに対抗すべく手を打った。だが、ワインの奥深さを知らない故か、ドイツから輸入して10万円のマンズワインとして販売してしまった。でも、一体何が悪いの?それは事件とも言える出来事であった。
Jun
ワイン四方山ばなし(4)
ワインに限らず、ヨーロッパでは、高級酒に見せ掛けて、カラメル等の着色やトロ味をつける(日本では禁止されている薬品等)などは今現在でも盛んに行われている。ワインは分からないが、ブランデーなどは値段などピンキリである。XO、VSOP、VSO、VS正規品なら安心かと言えば、そうでもない。
JP. CHENET
FRENCH BRANDY XO……
一度ライフで処分品として1680円程で一本売られていた。XOなど、1万円以下ではあり得ない。飲むと『旨い』本当にXOの味であつた。2、3日後、改めて買おうとするとVSとラベルが変わっていて、混ぜ物が入ったまずいものだった。通販のXOは送料別で1780円とあった。が瓶はまがい物を表していた。
>>[211] 昔千葉県の梨ブランデー会社が倒産した定価の八割引きで購入した 美味しかった

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