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藤圭子コミュの圭子んへの覚書 昭和仁義について

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「昭和仁義」・・・
耳慣れない方もいるかもしれませんが、彼女のLPの中に組み入れられた一曲です。
「どうしても これだけは入れてください」と藤圭子自身の希望から、この任侠編の一つとなりました、(演歌全集・藤中治)

この歌の歌詞は、一見すると任侠ものの内容にみえます。しかし、よくよく吟味していくと、人間の生き方についての歌であることがわかります。一番の詩は

男いのちを 仁義にかけりゃ
恋が死にます 夢が死ぬ
それでいいのさ 人生なんて
所詮なみだの 浮き沈み

 この詩の「男」を「人間」に、「仁義」を「人の道」と読み替えると新たな地平が見えてきます。「恋が死にます 夢が死ぬ」とは、「人の道」を生きる身には、厳しい現実が待ち受けていることを暗示し、それでいいのさ 人生なんて 所詮なみだの 浮き沈み」とは、それでいいんだと合点し、「喜んだり悔し涙を流しても、それが人生じゃないか」と結んでいるのです。

 二番の詩には、「歌の道」について触れています。

殺したいほど 心底ほれた
馬鹿さかげんは 親譲り
何もも云うなよ あの娘のことは
抱いちゃいけない 花なのさ

 「殺したいほど 心底ほれた 馬鹿さかげんは 親譲り」とは、「歌の道」を自らの「人の道」に重ね、歌が好きで、この道を行くと決めた「馬鹿さかげん」は、両親譲りだと述べ、さらに「何もも云うなよ あの娘のことは 抱いちゃいけない 花なのさ」と、自身の行くべき「道」に対して、困難なことだと分かっていても「歌の道」を歩むことに何も言わないで欲しい言い、それは「抱いちゃいけない花」と比喩し、自分の生きる道であり命の限り求め行く目標なのだと結んでいます。

 最後の三番の詩には、「歌の道」に精進する覚悟を記しています。

やると決めたら 命はいらぬ
どうせ一度は散るさだめ
雨か嵐か 男の道に
今宵名残りの 二十日月

 「やると決めたら 命はいらぬ どうせ一度は散るさだめ」とは、「歌の道」に精進するためには命を落としても悔いがないという意気込みを「どうせ一度は散るさだめ」と達観しています。そして、雨か嵐か 男の道に 今宵名残りの 二十日月」とは、これから大変な困難が待ち構えていても、それが「人の道」に叶うならそれも良いだろうと決意を述べています。しかもしかもです。それには付録があります。つまり「今宵名残りの 二十日月」と述べていることに大器の片鱗が窺えるのです。「今宵名残りの 二十日月」とは、やがて真っ暗闇になる「新月」の10日余り前の「二十日月(夜も更けてからようやく出る月)」を「今宵名残り」と愛でようとする意志も示しているのですから。

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