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日本文化を世界に伝えたい!コミュの日本人の民族名は大和民族なの?

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(※トピック作成依頼をいただいたので管理人が代理で作成しました)

現代日本のマジョリティの民族名は何でしょうか?

民族学の世界では、概ね大和民族(Yamato People)が用いられます。
中華人民共和国では、日本の民族は大和民族であると規定されています。
民俗学では、曖昧にされています。

しかし、日本人(Nippon People)ではいけないのでしょうか?
例:日本/琉球/アイヌ/コリアン/ニブフ/ウイルタ/…

多民族国家のロシアでは、民族名もロシア人(Russian People)です。
「日本人」は民族名としても、決して排他的な名前ではないはずです。

北海道では2009年より、内閣総理大臣官邸にて、「和人」(Wajin)という
名称区分が、着々と行政上の名称としても固定しつつあります。
「和人」は、大和民族を由来する一方、「倭人」と書かれる場合もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%BA%BA

厳密な意味での多民族国家としての日本を再確認するためにも、
これからの国際社会を生き、日本文化を世界に発信するためにも、
私たち自身の民族名は、私たち自身が議論して決める必要があると思うのです。

忌憚のないご意見を、よろしくお願いします。

コメント(123)

>81
>> 古代以来脈々と続いたEthnicな意味での民族文化がどれほどキープできているかって点を考えれば
>その意味でいけば、現代的な生活をする世界のどの民族も、民族と呼べなくなりますね。

んなこたぁない。現代的な生活をしていても古代以来のEthnicな文化を維持している人々は、この日本にも現実に存在する。僕は「現代日本のマジョリティは何民族か?」という問いをしてきたから、現代日本人のマジョリティについていえば、ほとんどNationとしての文化しか持ち合わせていないでしょ、と、現状を観察して答えたまでであって、みずばしょうさんが現代的生活様式をEthinicなLifeStyleの対立項として捉えるのは勝手だけれど、それは僕の言いたいことではない。

なので、僕の言うことは「みずばしょう解釈」というNOISEさえ入らなければ、特段、無意味でも極論でもない。

>それに、「大和民族」と呼ばれることに違和感はあっても、敵対心だのコンプレックスだのとは、また別の感覚ですね。それに「日本民族」なんて気張らず、「日本人」でいいと思いますし。

失礼ですなぁ。。何民族ですか?と問われたから、民族名で答えただけの話です。気張ってもないですよ。貴方が何人ですか?と質問すりゃ、日本人です、と答えたでしょう、そりゃ(爆笑)。

で、図らずもみずばしょうさんご自身が、ここで「日本人でいい」と言っちゃってるように、現代日本人の多くにとって「日本人」というNationは存在しえても、それを「日本民族」というと若干の違和感が残る、その違和感の正体こそ、さんざんっぱら主張している通り、Ethnicな意味合いでの「日本民族」も「ヤマト民族」も存在せず、あるのは、民族のもう一つの概念、Nationだと言うわけです。

>同和の人たちは自分たちが「日本人」ではあっても、「大和民族」だとは思わないでしょう。特に、近畿の人たちの認識は強いと思います。

それは幾分、政治的思想的な刷り込みが入っているせいであってw、同和と非同和が同族であるケースなんざ近畿には非常に多いわけです。ちょっと電波系の歴史を知っちゃうと、同和は被征服民族だと勘違いする人もいると思うので、念のため言っておきますが、こと奈良京都に関して言うと、出身部族(民族)の問題は、同和問題にほとんど関係ない。(但し、同和地区の中の人が入れ替わった戦後を除くw)。ちなみに婚姻も、同族間の同和非同和間より、非同和異部族間の方が大変です。


ここ大事なんで強調して主張しておきますけれど、Ethnicな意味での「大和民族」なんざ、存在しません。もし存在するというのなら、こいつがそうだ、このライフスタイルがそうだ、という具体的代表例を挙げてください。ないですって、そんなもん。

僕が50からさんざん言ってるのは、ethnicな意味では、日本は多民族国家である。なかんずく現代日本人のマジョリティはEthnicな属性をほとんど持ち合わせていない。あるのはNationとしての「日本」の枠組みだけである。従って、それを日本民族と呼ぼうが、古代国号の訓読を用いて「ヤマト民族」と言おうが、内実はさして変わりない。

ヤマトという呼称に、戦前右翼思想的な刷り込みや、地域間抗争的な偏見と悪感情さえ持たなければ、の話だけどね。
>83
>東北の方々といっても様々ではありますが、大和朝廷に組み込まれた時期も比較的おそく、

大和朝廷に組み込まれる、というのがどういう政治的エポックを以て言ってるのか謎だけど、大和朝廷とは複数の民族(ソガとモノノベとナカトミとかさw)の統合によって成立した【政治的主体】であって、【単一のEthnicな民族主体】ではないことぐらいは最低限、おさえてほしいね。歴史を勉強したのならば。

>近畿地方は特に「出身」に関しては閉鎖的で、職業集団というより民族集団に準じるほどの存在があることは、差別でない限り、公に語れる内容でもあります。

そうだよ。だから50からずっと言ってるじゃん。Ethnicな意味でヤマト民族なんざ存在しないって。

ま、ちなみに言うと、あまりに多くの民族や部族が狭い土地に共存しているため(奈良県と京都府と大阪府の面積を足しても、福島県ひとつにさえ満たない)、互いの出身を把握しておくことは、円滑な付き合いに必要不可欠だった(特に冠婚葬祭のマナー)背景があるんですよ。江戸時代なんか、村の葬儀の取り決めに対する住民間の対立に、幕府の官吏が江戸から派遣されてきて介入した事実があるぐらい、面倒くさい土地柄なもんでね。

>ここで言う「日本人」は、国民としてだけでなく、民族としての意味が強いです。

でしょ?だからそれは何民族ですか?って言われたら日本民族だとか、大和民族としか言いようがないわけ。もちろんそれはだからNationであって、そのNationとしての日本人を、明治のころに西洋近代民族学の分類で、やれ日本民族だ大和民族だと言ってただけの話でしょうに。
磯城郡士さんのこだわられる「Ethnicな意味での民族文化」って、いったい何なんですか?

あなたが現在の日本人について、79で書いたように「まだ名前すらない新興民族」とまでお考えなのは、相当な「左翼フィルタ」と解釈されなくもないと思いますが。
(右翼とか左翼とか、そういう話になると大抵不毛になるので、あまり好きではありませんけどね。)

> ここ大事なんで強調して主張しておきますけれど、
> Ethnicな意味での「大和民族」なんざ、存在しません。
そうですね。
私も存在しないとまでは言いませんが、大和民族という呼称を現在の日本人にあてるのは、無理があると考えています。

> あるのはNationとしての「日本」の枠組みだけである。
Nationつまり「国民」ですが、繰り返しますが蓮舫(台湾系華人)も朴一(コリアン)もイリハム・マハムティ(ウイグル)もペマ・ギャルポ(チベット)も、日本国籍なんですよね。日本国民でも民族は非常に多彩です。それを、日本国民の大多数を占めるマジョリティが「まだ名前すらない新興民族」で、戦前戦後の教育の結果生まれたとか左翼的に矮小化することに、私は意味を見出せません。

宗教への入信や、他国の親との間に生まれた混血児であれば、自身の民族的アイデンティティに苦悩し、いっそ民族なんてナンセンスだ!と思うことはあるかも知れませんが。
しかし民族の話は、そういう人たちを隔離するような話題という訳でもありません。
>>85
だったら古代や中世の知識を中途半端にひけらかす意味なんて、最初からなかったのではないですか?

エスニックな意味での日本人が存在しないなんて言ったところで、一部の思想的に極端な人たちは自虐的な快感を感じるでしょうけれども、少なくともまともな民族学者も普通の日本人も、まずもって取り合わないと思います。日本には日本の民族文化が、ありとあらゆるところで脈々と生きているわけですから。

しかし、あなたと話を重ねれば重ねるほど、少なくとも「大和民族」という名称の妥当性は、「日本人」に比べれば相当に低いと言わざるを得ないのではという、個人的な感想を強めました。

ありがとうございました。
>86
>磯城郡士さんのこだわられる「Ethnicな意味での民族文化」って、いったい何なんですか?

こだわってません。民族という言葉は二つの異なる概念の訳語だから、どっちの意味での民族かをいちいち明らかにしているだけです。

>Nationつまり「国民」ですが

いいえ。ごく基本的事項として、民族にはNationとEthnicGroupの二種類があります。
つまり、僕が言うヤマト民族はNationです。

>あなたが現在の日本人について、79で書いたように「まだ名前すらない新興民族」とまでお考えなのは、相当な「左翼フィルタ」と解釈されなくもないと思いますが。

俺がEthonosを意味して書いた言葉を勝手にNationとして扱うと、左翼的言辞に見えるでしょうなぁ・・・。

>日本国民の大多数を占めるマジョリティが「まだ名前すらない新興民族」で、戦前戦後の教育の結果生まれたとか左翼的に矮小化することに、私は意味を見出せません。

別に地域的偏見から日本の訓読がヤマトである歴史事実を頑として認めないような、感情的なみずばしょうさんに意味を見出して頂かなくっても全く問題ないですがw、この問題は表裏一体で、つまり現代日本人の多くが、拠り所となるEthnicな文化を持ちえないことによって、自らの文化を語るとき、あるいは地理的な帰属意識を考えるとき、その思考の基盤にはNationalismが存在するということをも意味している、わけでして。つまり僕らはEthonosな民族を語る言葉を、恐らくは明治維新とともに失っちゃっていて、民族をNationとしか考えられない。

それ故に、中曽根ちゃんとかは、日本「国民」の経済的教育的均質性を語るときに、ウカウカと日本は単一「民族」とか口を滑らしちゃったわけです。Nationの訳語たる民族集団をStateに属するNationすなわち国民と混同しちゃう。また、同様に、アイヌ「民族」というEthnic Groupの存在を、中央と辺境、MajorityとMinority、支配と被支配の二元論的構造のなかで政治的に読み解くことしかできなくって、アイヌとはどういう集団なのかを根本から考えられていないのです。特に大正時代以降の人類学や遺伝学が「日本人のルーツ探し」なる学問的考察を深める際に、「アイヌ」というカテゴリを設営して仮説を立てる過ちを犯しちゃったりとか。現代では縄文文化の後裔とオホーツク文化との混交が、中世にアイヌというEthnicGroupを形成せしめたことが判明しているが、その結論のもたらすパラダイムシフトに日本人全体の自意識が追いついていないのも、日本人の多くがEthonosを喪失した一つの証であろうか。

神話的にも歴史的事実も、大和国住民と同祖としか言いようのない東北人が、ヤマトの単語にいちいち大和朝廷なんていう死語(現代の史学会では使われない。これは多分に左翼的現象でもあるのだが)を持ち出してまで、政治的に語り、嫌悪感を露わにするのも、民族という集団を政治的集団であるNartionとしか捉えられていないことを明示している。

これ、民族概念の古さに起因するとか、民族概念に対する無知から来ているとか、そんな話ではないです。現代日本人に確固たるEthonosがあれば、アイヌや沖縄、それから東北?にある、日本人でかつ○○でもある、という二重性の問題が、現代の大半の日本人にも当たり前に自覚されていて然るべきなのです。
> 磯城郡士@東奥救国さん

現代の日本人がエトノスを喪失したとか、なぜ断言できるのでしょうね?

何かよほど、明治以降の近代国家としての日本が憎くて憎くてしょうがない人、という印象をうけますが、どうなのでしょう。

やれネーションだ、エスニシティだ、エトノスだと並べてみたところで、結局だから?という話になれば、日本人は日本人としか言いようがないですね。それでは、何が今の日本人に不足なり欠落なりしていて、どのようにそれを補完できるとお考えでしょうか?

東北は一緒だよとツンデレなラブコールを贈られなくとも、方言の差こそあれ言語は共通してますし、古代から中世にはすでに日本に組み込まれていますし、いわゆるエゾに強烈なエスニックアイデンティティを感じるほどにはありませんね。あくまで、古代の大和民族と流れを一にする感覚がない、というだけです。

日本の訓読みのひとつがまた、「やまと」であることを否定はしませんが、「当て字にすぎない」と、表意文字としての漢字表記の「日本」をわい小化して語るセンスは、私にはありません。
>89
しつこいね。

>現代の日本人がエトノスを喪失したとか、なぜ断言できるのでしょうね?

断言はしてないけどなぁw。あんたどう思う?って聞かれたから、俺はこう思うってだけの話。

>何かよほど、明治以降の近代国家としての日本が憎くて憎くてしょうがない人、という印象をうけますが、どうなのでしょう。

明治以降の近代国家日本は大好きですよ。これぞ國體の精華、神武創業の御精神ですがな。

でもまぁ、アジアで唯一、有色人種で唯一の先進文明国家として肩肘張っていた時代に、欧米的な概念で自画像を描かざるを得なかった日本の保守派の民族論−単一民族国家論−。その揚げ足をとって、20世紀後半の民俗学のパラダイムを扇情的な地域対立に結びつけた左翼理論にノせられている、みずばしょうさんには理解できないでしょうね。

>やれネーションだ、エスニシティだ、エトノスだと並べてみたところで、結局だから?という話になれば、日本人は日本人としか言いようがないですね。

日本人と書いて「やまとびと」と読めますね。

>それでは、何が今の日本人に不足なり欠落なりしていて、どのようにそれを補完できるとお考えでしょうか?

何も不足も欠落もしてないし、何も補完する必要ないでしょw。

エトノスとナショナリティとに、相克する要素がある場合、またはEthonosが政治的な闘争の拠り所となってしまった場合、それはとても悲劇的な戦争につながるわけでね。政治的な集団としての帰属心とEthnicな帰属心とが共存する日本社会ってのは、実に西洋近代思想が思い描きつつ、未だ得られていない楽園社会なんですよ、日本人は気がついてないけど。もちろん、もっとブラッシュアップする余地はたくさんあって、それがまた、日本の近未来の可能性を明るく照らしているわけですけれどね。


>あくまで、古代の大和民族と流れを一にする感覚がない、というだけです。

古代に大和民族なんぞ、存在しません。何回も言わすなって。それでも存在するってんならさっさと具体例あげろや!


もしかして東洋的古代王朝の典型でもある大和朝廷が、大和民族の民族自決主義でもって排他的独立国家を形成していたとか、言わんといてくださいね、「歴史を勉強して」るんなら。もちろん「歴史を勉強してるん」なら、現代的にいう「民族」という概念に、「大和」という冠が乗り始めるのが江戸時代以降ってことも、その頃において日本の訓読みが「ヤマト」ってのは既に漢学者や国学者の間で常識であったことも、ついでに勉強しておいてください。


それから、もいっこ。エゾってのは中世以降、すなわち擦文文化圏を根城にした経済共同体がオホーツク文化圏に接収される中世以降の呼び名であって、古代のエミシとはちょっと民族系統が違います。時代的位相も地理的位相も。

>日本の訓読みのひとつがまた、「やまと」であることを否定はしませんが、

じゃ、いいじゃん。狂犬みたいに噛みつくなよw。

>「当て字にすぎない」と、表意文字としての漢字表記の「日本」をわい小化して語るセンスは、私にはありません。

まぁ、なんと自虐的な。外国の表意文字に仮託したアイデンティティのみに拘泥して、本質や真の呼称を小馬鹿にしてるわけでしょ?w

古来、伊弉諾尊、大国主命、饒速日命と神武創業以前からいらっしゃる名だたる神々が(※マルキシスト愛国者のために補足しておくと、神々の祖神様の一柱、日本列島を造り給うた伊弉諾尊を除いて、ここに皇室の祖先神は入っていない。)この大八嶋の国を「ヤマト」と言祝ぎ給うたのを(日本書紀巻三)、否定する方がよほど自虐的だし、アイデンティティ喪失してるし、エトノスを喪失している良い具体例だと俺は思うねw。

ね、現代日本人ってば、その程度なんだってw。いいじゃん、それはそれで。暮らしやすいんだから。(この「暮らしやすいからいい」という言い草も、神武天皇建国の御精神のひとつです。)
>磯城郡士@東奥救国さん
磯城郡士@東奥救国って、旧名『邪馬台国侍』さんですよね?
ご無沙汰したおります。ww

>77
>例えば、僕の生まれ育った地域は、ついに室町幕府に従ったことがない。

室町幕府も鎌倉幕府も大和には守護がおけなかったわけですけど、国司はいましたよね?

>年号も京都の朝廷とは違う、ずっと独自のものを使っていた。

これって、どういう年号を使っていたんですか?
南朝の年号という意味ではないですよね?

>でも、大きな枠では日本というNationの下だったわけで。

つまり、京の支配者集団とは違う独自のエスニックだったということですか?
具体的に言うと、どこが違ったのでしょうか?
磯城郡士@東奥救国さんは大和朝廷なるものは、色んなエスニックの集合体だと言っているように思えるんですが、その理解でいいでしょうか?
どういったエスニックの人たちがいて(それがモノノベとかソガとかナカトミとかですよね?)、それをエスニックのグループであると定義づけるものは何なんですか?
>91
>室町幕府も鎌倉幕府も大和には守護がおけなかったわけですけど、国司はいましたよね?

いましたね。でも幕府が叙任していたわけではないですよ。

>これって、どういう年号を使っていたんですか?
>南朝の年号という意味ではないですよね?

南朝年号の後は、後南朝です。

>>でも、大きな枠では日本というNationの下だったわけで。
>つまり、京の支配者集団とは違う独自のエスニックだったということですか?

一律にそうだとは言えないです、京都の人たちも複数のエスニック集団の混交ですし、こちらもエスニックは混交で、国栖もいれば皇別氏族もいたし。

あそこで言いたかったことは、政治的な対立が必ずしもEthonosの異同によるものではない、ということです。また、独自の独立した政治集団として存在し、室町幕府なる中央政権や北朝天子さま−天皇陛下−に従属していなくても、みずばしょう的反則技を使えば、「俺たちは日本人だ」という意識を持っていたし、日本文明の枠から逸脱するものでもなかったということです。


>大和朝廷なるものは、色んなエスニックの集合体だと言っているように思えるんですが、その理解でいいでしょうか?

はい。

>どういったエスニックの人たちがいて(それがモノノベとかソガとかナカトミとかですよね?

大和国というのは、縄文晩期あたりから非常に長い間、首都機能を担える都市圏であったわけです。現在の東京都民に、中南米出身者から、アジア出身者、東北人や関西人や三河以来の徳川の民、もっと古い土着民が混然一体と暮らしているのと、同じような現象が起こっていたという理解から入りますと、近くなります。そこを掘り下げて検討すると、幾分、史書の読み方が変わってきます。

>それをエスニックのグループであると定義づけるものは何なんですか?

言葉や習慣、食べ物、宗教が違います。特にわかりやすいのが、食べ物や習慣のタブーが異なる点ですね。

宗教の違いについては、相続方法の違いなんかにも出てきます。例えば皇室は男系継承ですが、奈良県内には、ずいぶん廃れたとはいえ、女系継承の人たちも存在します。財産は時々の法律に則って長子の男に相続されている場合でも、集落の実質的な決定権は女子相続されていたりする場合もあります。古代皇室のように男系末子相続がなされている場合もあります。

余所の地域からもハッキリ分かるケースとしては、Ethno Historyが違うことでしょう。誰にでもわかる範囲でいけば、日本書紀において一つの神話エピソードを「一書に曰く」と諸説紹介しているのは、さまざまなEthno Historyを採録したためです。これについては、思想の左右問わず、学界の共通見解でしょう。
ソムソムナーさんは、なんだかんだかなりの知識をお持ちだから補足しておくと。

南北朝までは国家のイデオローグや、集団や組織の利害得失で南大和も動いてました。後小松院はともかく、後花園帝の対後南朝政策は素晴らしいものです。

でもやはり、情において忍びないことが起こると、民族の血が騒ぐのです。勝ち負けや利害得失に関係なく、古くから伝わったEthno historyの赴くままに動くのです。はっきり申し上げて室町時代はオカルトです。そのオカルトなテイストは、ある意味、多種多様な民族の最後の徒花でもある。

騙されたと思って、そうした視点で戦国時代を見直してみてください。思考実験としてかなり面白いことになります。織田や今川や武田や上杉が、なぜ天下を伺う大名と評価された理由も、なんとなく見えてきます。
>92
>国栖もいれば皇別氏族もいたし。

国栖とは、神武が東征した際、大和地方にいた先住民のことですか?

>ソムソムナーさんは、なんだかんだかなりの知識をお持ちだから補足しておくと。

こんな人、いないです。

>南北朝までは国家のイデオローグや、集団や組織の利害得失で南大和も動いてました。

南大和というのは吉野を中心とする地域ということですか?
光仁桓武の即位以来、天武系の血が排除されていたことで、反中央の意識が強かったけど、やっぱり、食う方が優先されたという意味ですか?

>後小松院はともかく、後花園帝の対後南朝政策は素晴らしいものです。

話がかなりとんでいるようなので、私の理解が追いつかないのですが...orz
後小松院による南北朝の合一(明徳の和約)の両統迭立をほごにしたことは評価しないが、後花園時代の長禄の変により、後南朝を根絶やしにしたことは評価するということですか?
自天王と忠義王が殺された後、かつぐみこしがなくなったので、自動的に北朝が正統になった(ならざるをえなかった)ということでしょうか?
そういえば、ちなみに、今だにこういうことをしているんですよね。
------quote------
長禄元(1457)年12月2日の夜、赤松の家臣により2つの御所が襲撃され、自天王は18歳の若さでこの世を去り、忠義王は御所で討死、あるいはその場は死地を脱したものの、本村の高原で最期を遂げたと伝えられています。
 この惨事はいちはやく川上郷に伝えられ、郷土たちは、自天王の首と神璽を手に逃走する赤松の郎等を迎え撃ちます。塩谷村(北塩谷)の名うての射手・大西助五郎は、郎等の頭であった中村貞友を見事射止めたと伝承されています。郷士たちは皇子の首と神璽を取り返し、首は金剛寺に手厚く葬られたと伝えられています。しかし1458年、赤松の残党に神璽を奪われ、これによって赤松家はお家再興の悲願を達成します。
 このように後醍醐天皇から始まった南朝の血は絶え、南北朝の動乱は終焉を迎えましたが、川上郷土たちの雄志は代々語り継がれ、毎年2月5日には、自天王を偲び、新年拝賀の儀式として朝拝式が、五百有余年絶えることなく今日まで続いています。
-----unquote-----
http://www.vill.kawakami.nara.jp/n/j-03a/j-03a-01.htm

こういう集団がエスニックの一つということなんでしょうか?

>でもやはり、情において忍びないことが起こると、民族の血が騒ぐのです。

南朝・後南朝が卑劣な手段で滅亡させられてということですか?

>勝ち負けや利害得失に関係なく、古くから伝わったEthno historyの赴くままに動くのです。はっきり申し上げて室町時代はオカルトです。そのオカルトなテイストは、ある意味、多種多様な民族の最後の徒花でもある。

ごめんなさい。
オカルトが何を意味しているのか分からないです。

>騙されたと思って、そうした視点で戦国時代を見直してみてください。思考実験としてかなり面白いことになります。織田や今川や武田や上杉が、なぜ天下を伺う大名と評価された理由も、なんとなく見えてきます。

エスニックを超えて、ナショナリティとしての日本を成立させようとしたことなんですか?
示唆的な文章だと、頭がよろしくない我々にはきちんと伝わらないです。
>96
>国栖とは、神武が東征した際、大和地方にいた先住民のことですか?

それでよろしいかと。

>こんな人、いないです。

失礼しました。打ち間違いです。

>光仁桓武の即位以来、天武系の血が排除されていたことで、反中央の意識が強かったけど、

そういう人らもおったし、そうでない人らもいましたよ。もっと多彩です。

>やっぱり、食う方が優先されたという意味ですか?

簡潔にいえば、血縁より地縁が優先されたと言うことです。

>後花園時代の長禄の変により、後南朝を根絶やしにしたことは評価するということですか?

長禄の変は、幕府が赤松をそそのかして起こしたものであって、後花園帝【が】起こしたものではないです。後花園帝の南朝政策は、南朝宮家創立をはじめとする融和的なものでした。

>こういう集団がエスニックの一つということなんでしょうか?

引用の仕方になんか、ものすごい悪意というか偏見を感じるのですが、気のせいでしょうか?

>>でもやはり、情において忍びないことが起こると、民族の血が騒ぐのです。
>南朝・後南朝が卑劣な手段で滅亡させられてということですか?

そういう近代的でわかりやすいものではないですよ。

>ごめんなさい。
>オカルトが何を意味しているのか分からないです。

分からないなら、結構です。それ以上に伝える筆力は僕にはありません。

>示唆的な文章だと、頭がよろしくない我々にはきちんと伝わらないです。

文字通り、示唆、というか「こういう見方も面白いよ」という提案に過ぎませんから、それは実際にそのような視点で見ていただくしか、理解の方法がありません。即日に理解できるほど簡単な提案をしたつもりもないし、僕自身まだまだ理解が浅いし。僕が伝えたいのは「これこそ正しい見解だ」ではなく、「こういう視点から切り取ると浮かび上がる位相もあるのだ」ということに過ぎません。

〜〜〜〜
1970年代以降に左翼が撒き散らした国家分断のロジックでもって、自分の愛郷心やナショナリズムを構築しているヘンテコな人が多いので、もう一度、君が代の「さざれ石の巌となりて苔の蒸すまで」の歌の意味を確認すべく、日本は多民族国家であり、日本人意識はその多民族が、文明圏や国民国家の成員として融和統合された姿であることを強調したかったまでのことです。
で、その際、大和民族というのは、コダイヤマトチョーテーのシハイカイキュウミンジョクwの呼称ではなく、当初から日本人と同じ意味あいで使用されていたことに、特段の注意を促したいのです。当の大和国が猫の額のような狭い土地にたくさんの民族集団を抱えていた事実を以て。
敵意剥き出しで口汚くののしり呼び捨てにする関西人のいつものパターンには、ただただ、閉口するしかありません。

とはいえ、「やまと」が皇室や大和朝廷と関係を密にした言葉であり、現代の日本の民族を「大和民族」とする場合に、皇室を民族の象徴とし核とするのであれば、私は「大和民族」もありかとは思います。そして、その意味では私もれっきとした、大和民族です。

私が左翼か右翼か戦後教育云々かは解釈にまかせますが。

いまさら古代や中世のエトノスを現代に蘇らせて民族を再構築しようとする人はいないでしょうが、「反天皇制」の日本人は少なからず存在します。彼等「大和民族ではない日本人」をどのように、面子が立つ形で「民族」の中で扱って名前をつけてあげるかが、問題にはなりますけどね。
>95
>引用の仕方になんか、ものすごい悪意というか偏見を感じるのですが、気のせいでしょうか?

まったく、そういうつもりはないです。
『すごい、こういう人たちがいるんだな』とは、初めて知ったときには思いましたけど。
それだけです。
>93
>多種多様な民族の最後の徒花でもある。

ここで言われている民族というのは、室町時代において地縁的な関係の国人衆と呼ばれているグループことなんですか?
それが、室町時代後期から戦国時代にかけて、戦国大名によって国人衆が被官化され他のグループと混ぜ合わされ、エスニックとしてのidを失っていったということでしょうか?

>95
>後花園帝の南朝政策は、南朝宮家創立をはじめとする融和的なものでした。

南朝宮は小倉宮のことですか?
私自身は、後小松院による南朝の正統性の全面破棄は『政治的』には正しかったし、日本という国のためになったと思うんですけど。

南朝の末裔がいる状態は、当時の日本を再び、南北朝の混乱に招くだけだと思うんですが。
もし、応仁の乱までこのそちらかの家系が生き延びていれば、西軍はそれを担ぎ出して、混乱はもっとひどくなったと思います。
ひょっとしたら、今の日本もパレスチナのような状況になったのではないかと。ww

ですから、長禄の変における幕府による自天王の殺害も、幕府のため、国家統治のためということなら、正当性はあると思います。
逆に、南朝融和政策というのは、逆に混乱を招くもとだと思うんです。
「やまとは くにのまほろば たたなづく 青垣 たたなづく あおがき 山隠れる 倭しうるはし やまごもれる やまとしうるはし」のやまとは、やはり奈良を指しているのかな。
>97
>敵意剥き出しで口汚くののしり呼び捨てにする関西人のいつものパターンには、ただただ、閉口するしかありません。

呼び捨てはしておりませんよ。名詞句として使用するときに敬称をつけると変なので、そういう箇所だけ軽傷を省いただけです。敵意むき出しと言うのは、そうですね、例えば

>戦後歴史館がどこの博物館かは存じませんが、
>もう少しお話を聞きたく、そして、トピの最初の質問にご意見いただければ幸いです。

という慇懃無礼で居丈高な物言いとか、他人に見解を求めながら

>このように極端な話題になることには、何の意味もないとは思いますが。

このように結論づけちゃう傲慢さとか、ですか?ねw?

最初に自分から敵意を露わにしておきながら、ちょっと反論のネタなくなったら「関西人」ですか。とーほぐのひとはえげつないのぅwww。

嘘。俺の知る東北の人たちは、非常に寛容でかつ一本筋の通った日本人の鏡となる高い精神性の持ち主ばかりだ。案外に関西人の遊び心なんかは、関東より東北の方が通じやすい。みずばしょうさんに特有の性格を「東北人」に当てはめた失礼は、撤回します。

>皇室を民族の象徴とし核とするのであれば、私は「大和民族」もありかとは思います。そして、その意味では私もれっきとした、大和民族です。

それ以外にNationとしての「日本」は存在しないでしょ。あれだけ抵抗を感じていたのがウソみたいに手のひらを返すのなw。

>、「反天皇制」の日本人は少なからず存在します。彼等「大和民族ではない日本人」をどのように、面子が立つ形で「民族」の中で扱って名前をつけてあげるかが、問題にはなりますけどね。

Anti-Nationalismは所詮、Nationalismの派生形でしょ。Inter-nationalismが結局は世界政府全体主義という国家主義の怪物に過ぎなかったのと同じ事情で、ともにnationalismの影響下です。彼らが天皇を忌避することで、外国に帰属しようとしているのならともかく、日本の体制変革を試みている限りにおいては、天皇陛下を戴く日本という政治的文化集団の一員から脱し得ていません。もちろん、アイヌや沖縄が今よりも政治的集団となると、そこは微妙になってくるでしょうね。

>98
基本的に、祭儀祭礼って1000年単位で存続するものですから、「今だに」「こんなこと」という言葉にちょっと不快を感じました。僕の誤解であればそれでいいです。

彼ら川上村の住民が、鄙びた山奥の未開の人々と思われるとそれはそれで問題なので、ちょっと余談を話しますと、この川上村から、幕末から明治中期にかけて、土倉庄三郎という大山林王が輩出します。奈良県で小学校を過ごした人なら、社会科の時間で習うでしょう。

彼は伝統的植林方法を近代的な商業ベースにのせることに成功した、日本林業史に特筆される人物ですが、それだけでなく、資金援助した思想家に、板垣退助、金玉均がおり、また新島襄の同志社開学にもスポンサーをしています。台湾での植林事業を通じて高砂族との融和に努めたり、と、近代日本明治。の、新しい思潮に積極的に関与した篤志家でもあります。結局、巨万の富はほとんど、他人への投資に使い果たしてしまったという、いかにも明治人らしい、そんな人を輩出した里でもあります
>99
>後小松院による南朝の正統性の全面破棄は『政治的』には正しかったし、日本という国のためになったと思うんですけど。

その時点ではベストの選択だった、とは言えると思いますが、結果として応仁の乱に結びついたのは確かです。

>もし、応仁の乱までこのそちらかの家系が生き延びていれば、西軍はそれを担ぎ出して、混乱はもっとひどくなったと思います。

いや、西陣南帝と呼ばれる、小倉宮統の皇子が立たれています。この御方が、系図上どなたに比定されるべきか、あるいはその擁立の実態はどうか、といった史学的な史実の真相を別として、ともかく当時西軍に与力した国人衆のうちには、後南朝の旗印がなければ有り得ないと思われる方々も多いのです。そこから応仁の乱が深刻になっていきます。

結局、松永弾正が信長に打ち滅ぼされるまで、あるいは豊臣秀長の大和郡山城入城まで、南北朝のときに形成された対立関係は解消されませんでした。悪感情は未だにくすぶってもいます。(タブーや心霊現象を伝える、昔話や民話のネタに、松永久秀が出てくるんだわw。これは、まぁ近所の教育委員会がweb上で公表してることなんで、話してもよいと思うw)

で、なぜ南北朝の話になったかと言えば、青森から秋田にかけての地方が室町幕府の奥州探題の支配下にはなく、南朝側勢力がそのまま成長した地方政権であり、室町幕府以外の武家政権で有り得たこととパラレルなんですよ。このときその東北の武将が名乗ったのが「日ノ本大将軍」なんです。ちなみにこの日ノ本大将軍は、南北朝が融和的であったころに、後花園天皇の命令に従い福井県の港の造成をしています。
俺、凄く思うのだが、



倭民族(大和・日本同様)・日本人・日本国籍は別々の考え方だと思うよ。

例えば、
レンホウは中国大陸系漢民族系の台湾人で現在日本国籍ですが、
所詮は中国人です。

(台湾人口の約97%が中国大陸系漢民族で、約3%しか台湾原住民族がいないです。ということは、純粋な台湾人はほとんどいないですねうれしい顔

(またレンホウの祖父・父親は中国共産労働党のメンバーでしたね。レンホウ自身も中国共産労働党のスパイで、そのレンホウの夫は何やら怪しい人物です。)



※倭民族≠日本人
※日本人≠日本国籍

例えば、
母親が生粋の日本国籍の日本人であっても、
父親が外国人だったら、
その子供やその子孫は外国人のままです。
(国籍が日本国籍であっても日本人ではない。)



しかし、日本特有文化である「帰化」すれば、
「日本人」として名乗れると思います。

(帰化とは、今まで使用していた名前を捨てて、日本の名前にしたことを意味します。)

(在日系がよく使用する「通り名」としての日本人名を使用し、旧名を捨てない限りは日本人とは言えないですね。)

(元々の帰化とは、一度祖先を捨てることで生まれ変わり、逆に還ることを意味します。逆輸入的な考え方です。)



だけど、不思議なのは海外で結婚した日本国籍の日本人女性が、海外国籍で海外男性との間に誕生した子供やその子孫を日本人として「帰化」させることは正当とは思わないですね。

(例えば、年金でもそうだが、海外で年金生活している老人達に、本当に日本から年金を与えても良いものかと思いますし、日本人とも思えないです。)

(また「帰化」でも、その日本の地に住んで3代が過ぎ誕生した子孫4代目から帰化させることで「日本人」とすべきだと思います。)

>103
>基本的に、祭儀祭礼って1000年単位で存続するものですから、「今だに」「こんなこと」という言葉にちょっと不快を感じました。僕の誤解であればそれでいいです。

確かに祭儀祭礼は1000年単位で存続するものですけど、それが子孫でもない人たちによって、主君であったとはいえ故人を偲ぶというような儀式が500年以上も継続しているのは極めて珍しいのではないかと思うんです。
自天王神社が建立され、その祭儀として行われているなら、それほどの驚きはなかったと思います。
ゴルゴ13さん

>例えば、
母親が生粋の日本国籍の日本人であっても、
父親が外国人だったら、
その子供やその子孫は外国人のままです。
(国籍が日本国籍であっても日本人ではない。)


 あなた自分が何を主張しているのか本当に理解してます?実態を把握していないんからこんな主張が出来るんでしょうけど。

 日本で、国や地域が金をかけて育てた自国の女性を手放すということですよ。そして母親の影響を強く受けた、確実に“日本女性の産んだ子女(種の出所なんて世の中そんなにつきとめないものです。)”をも手放すこといなります。これは労働力としても(日本の教育レベルはなんだかんだいって世界では高いほうだし、国際結婚に至った人は外国語ができる人も少なくないし)大きな損失です。

 実際に以前は日本も国際結婚に対しても父系をあてはめ、外国人の配偶者が男性の場合にビザを発給しなかったようなんですけど、その場合外国に嫁いだ日本人女性が、DV等にあったりしても、離婚して日本に帰るのが難しかったりした例があるようです。これらの問題を解決してきたので、日本での国際結婚に対する取り決めが今の状態になったんですよ。
 一度国際結婚をしたからといって自国で育った婦女子を保護できない状態にしていまうというのもどうかと思いますけどね。

 また実際、国際結婚は破綻することも少なくない。離婚後日本に帰国して子どもを育てる女性多いし、その後日本人女性が日本人男性と再婚して“日本人の子供”を産むこともあります。本当に魅力のある人というのは結婚の回数も多いと聞きますし。
 最近日本も“ハーグ条約”に加盟することになりましたが、実際日本では離婚した場合、まだまだ女性に子供がついていくことが多いです。日本社会は実質欧米等に比べると“母系社会”なんですよ。
 
 それにわざわざ国から“女性”の数を減らすことは国の発展に繋がるとは思えませんが。それ以上に海外から“輸入”しようというのも無理な話ですし。まぁ、このような考え方は女性を“財産”と考える前近代的な発想に基づいているので、現代に適用するのは“個人の意志”を無視したものですよね。

 あと動物行動学的に言うと、戦争の多い時代はオスの間で“メスを平等に分配しよう”という本能が働き、男女ともに結婚の回数が減りますが、今の時代そうじゃない。国際結婚したからといって自国で育てた女性から日本国籍を剥奪するのは日本にとっての損失以外の何ものでもないと思いますけどね。私個人も将来的に日本人と再婚して日本人の子供を生む可能性もないわけではありませんし。


 まぁ、国際結婚といってもうちの家庭の話なんかしますと、息子たち二人とも外見も十分日本人だし(オスは母親の遺伝子を継ぐパーセンテージが高いのもその理由とされています)、ベドウィンの家系の主人は仕事の関係もあって同居婚は難しいので、結婚後はずっと別居なんで、私が日本の実家の近くで育てている息子は日本語しかしゃべれません。

 現在私と子供たちは一時的に海外で生活していますが(もちろん別居のまま)、現地の食事に馴染めない息子たちは“ゲームやレンジャーもののある”日本に帰りたがっています。あれを今さら日本人にするなと言われても今の時点では日本人以外の何者になれというんだという感じです。そういうことがあるから“帰化”に関する条件に、その個人の文化的背景や日本語のレベルが問われるのだと思うのですが。


 勝手に関東式の“嫁入り婚”なんぞあてはめられても、現在の日本でさえ、婿入り婚が流行っている(婿は仕事でほとんど家におらず、嫁姑問題もなくなるためメリットが大きい)と言われるのに、国際結婚になるとさらにそれが当てはまらないのは当然だと思いますけどね。第一それに対処できなくてどう先進国だって話だとも思いますし。


 いまの日本の国際結婚のあり方は十分じゃないにしても、できるだけの対応をしてきて今の形になったんだと思います。国際結婚にしても、帰化にしても人が集まって来るというのは日本が豊かな証拠なんだと思いますよ。
>104
>例えば、年金でもそうだが、海外で年金生活している老人達に、本当に日本から年金を与えても良いものかと思いますし、日本人とも思えないです

若い頃、日本(社保庁)に義務的に払い込んでたら、海外で生活していても年金受け取る権利はあるでしょう。生活保護かなんかと勘違いしているのかな。
> ゴルゴ13さん

そうですね。
古代・中世の日本人と現代の日本人はイコールではない。そして、日本国籍と日本人は、違う。

国際結婚の子どもは、自分の民族を自分で決めて良いと思います。もっとも、一方の親の民族を否定する必要もないですが。

しかしながら。

たとえば私がモンゴルの女性と結婚し、息子をモンゴル人として育てたとします。
その息子たちが、モンゴル人がモンゴル人として大切にしている物事を踏みにじるような言動をし、俺達は新しいモンゴル人だと主張したとしたら。
私は息子たちにどう教育するべきでしょうか?
あえて「日本人」でなく、「モンゴル人」のたとえにしてみました。

自分達の民族や相手の民族を変えていく存在であることの自覚と責任は、国際結婚カップルもその子どもも、必要になりますね。
> 磯城郡士@東奥救国 さん

> アイヌや沖縄が今よりも政治的集団となると、そこは微妙になってくるでしょうね。

そうなんですよね。問題のひとつは、はまさにここにあります。
悲しいかなアイヌや琉球の当事者の意思とは関係なく、政治的・思想的な集団のミコシにされてきたとも言えます。もっともそうした人たちの努力も成果もあって、民族としての琉球やアイヌの再評価なり復権なりがあったりもするのですが。


119>たとえば私がモンゴルの女性と結婚し、息子をモンゴル人として育てたとします。
その息子たちが、モンゴル人がモンゴル人として大切にしている物事を踏みにじるような言動をし、俺達は新しいモンゴル人だと主張したとしたら。
私は息子たちにどう教育するべきでしょうか?


 子供といえども“個人”です。他人の意志にどうしてそれほどまでに自分の思いを押しつけたいのか理解できません。

 大切にされるべきもの文化であれ、それ以外であれ価値が認められれば自然と大切にされますが、価値がないと見なされれば廃れるのみです。それらはおそらく時代によって変化するでしょうし。

 だいたい、たとえ“息子たちにどう教えるべきか”という模範があったとしても、子供というのはそれの通りにも育てられないことがほとんどです。それに娘しか生まれない場合もあるでしょうし。それよりも先に理想とする子育てに協力的なお嫁さんを見つけられるかどうかの問題だと思いますが。

 まぁ、どちらにしても結婚後に子育てに協力的なパパになりたいというのはいいことだと思いますけどねー。
 そう思えば、思う相手と結婚して、たくさん子供を産んで育てて、思うだけの教育を施すようすれば夢が実現するんじゃないですか?まぁ、それでも子供たちがその意志を継ぐかどうかは疑問ですけどねー。

>> あるふぁ子さん

> 子供といえども“個人”です。

その通りだと思いますし、それゆえに、「国際結婚の子どもは、自分の民族を自分で決めて良いと思います。」と書いた次第です。そして何人であろうと、教育はとても大事です。教育は押しつけではありません。なぜ子どもに「日本人であること」や「モンゴル人であること」を教えることが、押しつけになるのでしょうか?

「何かを廃れさせたい」というベクトルで日本人を形成する教育は、戦争への加害者意識、皇室の存在の矮小化、皇民教育への絶対悪のイメージを強化した戦後教育に特に顕著ではありますが。まあ、今後の教育に関する議論や話題は、また別のトピックでいいような気がします。

結婚しろとか子どもを生めとかについては、あるふぁ子さんもよく知る女性研究者に対してかけられた言葉を思い出しました。不妊に悩む人が読んだら、どう思うでしょうね?
(もっとも、こんなことで感情対立してもまったくもって無意味なので、今回はあなたを赦します。)
みずばしょうさん

 おそらくあなたが遭遇していないのかもしれないのですが、長年に渡って温存されてきた“忌むべき慣習”は保守的な社会において多く存在します。

 >なぜ子どもに「日本人であること」や「モンゴル人であること」を教えることが、押しつけになるのでしょうか?

 教えるのが悪いとは思いませんが、私にはその中の一部に妙な自尊心やら、それこそ“踏みにじって”いいと思うものも存在するなと感じることがあるのです。
 実際海外でビジネスしてる日本人見てても、日本のやり方を通して失敗している人をよく見かけます。これは現地人のやり方や考えをくみ取らず、協調性を持たない場合に起こることです。現地人の考えを理解したうえで、現地の人が考え付かない、日本人が提供できるサービスを行うという風にやっていかないとうまくいかないんですよ。
 日本人に限らず、主張と協調性それぞれ持たないと成功できないのが事実なのすけどね。そのときに「日本人であること」は個人の中で変化し、また形成されるので別に教えようが教えまいが一緒なのですが、ただもはや考え方を変えられない年配の日本人が上司になって変に「日本」を強調され私と同じ世代の方が困っているのをよく見かけます。
 まぁ、どちらにしても「日本人であること」の定義も人によって変わってくるんですよ。
 

 また例えば、四川省の地震でカザフ族が漢族と思われる孤児を引き取ったという記事を見ましたが、その子供たちが戸籍は別として“カザフ族”として育つことは明らかです。“産みの親より育ての親”ってやつです。
 実際、カザフ族の中に金髪で青い目の子をよく見かけるんですよ。そんなに代が遡らないうちにロシア系が混ざってると思われるのですが、そんなことは関係なく、馬に乗って草原で育てばやっぱりそれは“カザフ族”なんです。そこには血統なんて重んじない“共同体(これが国だの部族だの民族だのになるんでしょうが)”があるわけです。私はそのような様々な人々を包括する共同体こそ発展するのだと確信しているので日本にもそのようであってほしいと思っているのです。

 だから私にはみずばしょうさんの“たとえば私が○○人と結婚すれば〜”っていうのが、“だからなんだ?”としか思えないんですよね。まぁ、これは個人個人がどのような社会環境に身を置いて過ごしてきたかでその感じ方も異なるというだけにすぎないのでしょうが。



 >「何かを廃れさせたい」というベクトルで日本人を形成する教育は、戦争への加害者意識、皇室の存在の矮小化、皇民教育への絶対悪のイメージを強化した戦後教育に特に顕著ではありますが。

 今日廃れていないということは十分その価値が評価されているということだと思います。これはたとえ一部の人が何かに対して「廃れさせたい」と思い行動したとしても多くの人に価値が認められているものはそう簡単にはなくならないという証拠ですよね。


 >結婚しろとか子どもを生めとかについては、あるふぁ子さんもよく知る女性研究者に対してかけられた言葉を思い出しました。不妊に悩む人が読んだら、どう思うでしょうね?

 私はどちらかというと差異派フェミニストで、一般のフェミニストの方の意見には反対するところも多いので(あと私の読む女性研究は男性研究者のものが多いのですが、なぜそう思われたのか疑問です。)、そういう観点の方が私の意見を見て不快に思えばそれは申し訳がないとは思いますが、私はただみずばしょうさんの“子育てに協力的なパパになりたい”という点を評価しただけですよ。
> あるふぁ子さん

日本人が有する「忌むべき慣習」については、いろいろな国や民族との交流の中で見える化し、議論し、改善していきたいものですね。

肌の色で言えば、戦後、アメリカ進駐軍との間に生まれた肌の色が異なる、シングルマザーの子どもへの陰湿な差別の例があったりしますね。

カザフの例は地理的なものもありますが。たとえば、日本人夫婦が養子をもらう場合、ことさらに白人の乳児を選ぶムーブメントが起きたら、それはそれで新しい日本人の潮流として、受容できるでしょうか。実際、ウクライナやベラルーシの貧しい家の白人美女の結婚斡旋は今も存在します。(国際結婚するなら白人とするのが勝ち組、という白人コンプレックスが、日本人にはどうしても否定できないことは残念ですが。)

いずれも極端な例ではありますが、民族は人種ではありませんから、時代を通してのゆるやかな移行は続きますし、日本が移民社会になれば、より急速なものにもなるでしょう。
みずばしょうさん

 >日本人夫婦が養子をもらう場合、ことさらに白人の乳児を選ぶムーブメントが起きたら、それはそれで新しい日本人の潮流として、受容できるでしょうか。
 
 人種間を超えた養子は特に乳幼児の場合には稀だと思いますよ。人種が同じな場合、子供が小さいうちは本当の子供ということにして十分育てられますから。異人種の子供を養子にもらうのはよほどの信念がある場合だと思われます。そんな簡単に他人の子を育てられませんよ。

>実際、ウクライナやベラルーシの貧しい家の白人美女の結婚斡旋は今も存在します。(国際結婚するなら白人とするのが勝ち組、という白人コンプレックスが、日本人にはどうしても否定できないことは残念ですが。)

 でもこれ少数派でしょ?なんだかんだ言って、実際には中国とかフィリピンとかアジア系の女性を娶る日本人男性のほうが多いと思いますよ。男性自体も異人種に対して抵抗があるとケースが多いと思いますし、日本人として育てるのなら身体的特徴がない方が便利です。それに異人種との混血との結婚は日本人らしからぬ容貌を持つ可能性が高く、仲介業者を通してお見合いする場合、反対する親も少なくないと思います。そこで生まれた子供は後継ぎになるわけですから。
 また東欧じゃ、お嫁さんが実家に帰るのも大変ですしね。お見合いとしてはあまり妥当だとは思いません。
 

 そういう意味ではどの民族の出自かなんて環境でどうにでもなるわけですが、人種の場合は難しいなと思う点がありますね。

 
所謂、アメラジアンと呼ばれる子供たちは、沖縄の人からは差別されているそうです。中々一筋縄にはいきませんのう・・・
いわゆる日本人も、風雪数千年の間に、何度かコーカソイドと混血している。
私は国際結婚自体がパーセンテージで言えばまだまだ少ないものなので、より一般的な話題としてオープンに語られるのは、もう少し先だと考えています。恋愛結婚万歳の視点でいけば、恋愛結婚は本当に相手次第運命次第ですね。

>>miz-P さん
差別はよくないですよね。本当に。。。
人種差別ではないですが、

黒人系男性と日本人女性の間に生まれる子供は黒人系です。

アジア系は絶対と言っていいほど生まれてこないですね。

例え日本人男性と黒人系女性であっても生まれてくる子供は黒人系です。



要は、男女関係なく黒人系の血縁が関わってくると黒人系しか生まれてこないです。

(1/2〜1/4〜1/8であっても黒人系しか生まれてこない。)



(遺伝的にアジア系とくに日本人系はすぐに消えてしまいます。)

(男性が放射する精子数だけでも、黒人系>白人系>トルコ・アラブ系>アジア系>日本人系の比率くらい違いがあります。)

(お隣の中国・北朝鮮・韓国やインド〜東南アジアの男性が放射する精子数でも日本人系よりも多いと言われています。)

>> 棗 麻紀さん
日本人には日本国籍と、民族の両方の意味があります。

最近は、行政上の民族と民族学上の民族と一般用語の民族が混乱しています。

・アイヌは先住民族ではない。、民族ですらない。部族である。
・日本も中国同様、民族籍を設けるべきだ。
・日本は日本人だけのものではありません。
・日本語や日本文化や日本社会に同化されたら日本民族。
・アイヌと琉球は縄文民族のDNA。アイヌにはアーリア系のDNAも云々。
・日本人は民族名では決してない。
・日本民族は農耕民族。欧米人は狩猟民族。
・大和撫子の大和魂!
・大和民族はシナや朝鮮とは異なる民族なのだ!

などなど。
利権問題から都市伝説レベルまで、何でもありです。
アイヌの民族が否定される一方、シナが民族として語られるあたりは、
本格的に行政や報道ルールの介入が必要になってきたかと考えます。

もっとも行政や学者に国民が丸投げすると、右も左もろくでもない結果が出ることは
火を見るよりも明らかなので、その前に日本人同士の議論が大事になると思います。

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