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日本文化を世界に伝えたい!コミュのトピックを作成するまでもない質問・雑談トピック

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気軽に質問・雑談をするためのトピックです。

(トピの乱立をふせぐため、こちらにまとめてください。)

コメント(23)

ほとんど独り言に近いのですが、
作務衣を和服と言われると、何か違和感を感じます。
まして、作務衣を着て公式の場でウロウロされると
例えそこが外国であっても、さすがにイラつきます。

自称日本文化通の外人の方に多いようなのですが、作務衣が和服であったとしても、
作務衣=作業着であって、本来公式の場で着てよいものではないと思うわけでして、
この感覚は私だけなのでしょうか。
質問があります。

日本の正月に飾る門松には、松竹梅が入ってますが、なぜ名称には竹・梅という単語が入っていないのでしょうか?
門松竹梅や門竹、門梅というのは、ないのでしょうか?

と言いますのも、先日、留学生から質問をされましたが答えられなかったため、その理由を伝えたいと思いました。
どなたか教えていただければ幸いです。
質問があります。

日本の正月に飾る門松には、松竹梅が入ってますが、なぜ名称には竹・梅という単語が入っていないのでしょうか?
門松竹梅や門竹、門梅というのは、ないのでしょうか?

と言いますのも、先日、留学生から質問をされましたが答えられなかったため、その理由を伝えたいと思いました。
どなたか教えていただければ幸いです。
ウィキペディアによりますと

「現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり松である。 もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られる。」

だそうです。本体は松なんですね。
>NGOMA(ンゴマ)さん

参考になりました。
ありがとうございます!
どうして日本は、昔ながらの街並みだったりを守ろうとしないのでしょうか?新しくできる物は近代的な建物ばかり。修学旅行で初めて京都にいったとき、ガッカリしたのを思い出します。
すまいりいまいりさん

一つには木造だから保存が難しいというのがあると思います。
石造りだったら数百年持つみたいですね。
木と紙で作った建物はやっぱり傷みやすいですよね。虫も食いやすいだろうし。

あとは、新しいものをよしとする文化もあるんでしょうね。
この価値観は木造建築の文化と関係がありそうな気がします。

あと、ヨーロッパに比べると街並みを保護するという意識が無いですよね。
昔の美しい街並みが保存されているところは、
個人の自由より街並みを守る方が重視されて、自分の家でも法律で規制されていて、壁の色や屋根の色まで決められているようです。
> Capriさん
回答ありがとうございます!
日本から瓦屋根や木造建築が無くなる日は近いですね。お偉いさん達は伝統などには無関心ですし、日本人として誇れる事が消えてゆくのは辛いです。
日本の瓦に鬼瓦がありますが、

何故鬼瓦の存在が出来上がったのか知っている人達いますか



ウッシッシ俺は知っているけどね。



幾つかの理由でですが、
その一つが有名な邪気祓いです。

さて、如何なる理由で出来上がったのか知っているかな


鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから、



答え:

古代ギリシャ・古代ローマ時代では他民族による侵略が多々あり、
当時の他国西洋人が強かったことで、
その他国西洋人の姿を銅像やら壁のモチーフにし、
それを魔除けにしたことから始まる。

それがトルコ方面やエジプト方面に広がり、
さらには北欧やシルクロードを渡り、
インド・東南アジア・中国・朝鮮半島にまで広がることで、

後々には日本列島にまで広まったときには鬼瓦として伝統的魔除けになっています。

(同様に神社などの狛犬もエジプトのスウィンクスからの伝承ですね。)



鬼自体に、
赤鬼・青鬼・黒鬼がいますが、
アジア方面に入ったことで、
西洋人の強さと虎の強さを合わせたことで、
鬼は虎柄のパンツを着付けているイメージになったようです。



鬼門に鬼瓦を置く習慣は、
邪気(強い侵略)から強い魔除けで撃退させようとする陰陽道の表れですね。

>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>鬼瓦の発祥を誰も知らないようだから
>新しくできる物は近代的な建物ばかり

同志社大学寒梅館は、周囲にあるそれ以前の建築物と調和するように造られていますよ。

>修学旅行で初めて京都にいったとき、ガッカリしたのを思い出します

京都1200年の歴史のちょうど真ん中で応仁の乱が起こり、それ以前の建築物はあらかた失われました。それ以前から残っているものは、東寺の石段だけと言われています。
つまり応仁の乱を境に前期・後期に分けると、前期からあるものは東寺の石段以外はなく、それ以外のものはことごとく新しいものです。
二条城が神泉苑の大部分を埋め立てて建設されたことは、京都では多少知られています。神泉苑はもともと天皇の庭園であり、祇園祭のとき山鉾が入り、清める場所でもあります。源義経と静御前が出会った地という伝承もあります。これをつぶしたのは環境破壊・伝統破壊そのものであり、修学旅行で京都に来られる方は、二条城を見てガッカリなさって下さい。
御所の向かいに耶蘇教の学校を建てた行為についても、ガッカリなさって下さい。そこはもと薩摩藩邸だったところで、薩長同盟が締結された地と考えられています。
京都で町家が建設されるようになったのは江戸時代中期からで、その多くは1864年の蛤御門の変で焼失しました。現存する町家はほとんど明治以降のものであり、非常に新しいものです。平安時代から続く町屋など、あらしまへん。
ちなみに京都は、町屋は持ち主であっても勝手に壊すことはできません。だったら固定資産税は免除したらどうかと思うのですが。

>日本から瓦屋根や木造建築が無くなる日は近いですね

宮大工がいて、神社仏閣がある限り、瓦屋根や木造建築がなくなることは考えられません。
とりあえずご自分の家だけは、瓦屋根の木造建築にしておきましょう。
他人が近代建築に暮らすのが許せない人は、自宅の離れのボットン便所でウンコして、自分で汲み取って畑に撒いて下さい。


写真左:南禅寺境内の水路閣。
写真右:ジョン・ハンコック・タワー(右)とトリニティ教会(左)。
街並み・景観の保護については、当コミュの別トピでMayさんが興味深い考察をしています。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=87326&id=41411784
12では街並み保護のデメリットによるドーナツ化、14では戦後の日本人がいっせいに新しいものを志向したのは敗戦を忘れたいという心理によるものと指摘しています。
大阪にてあの伝説のイベントが開催!!

チャリティイベントです。
協力お願いします。


http://mixi.jp/view_event.pl?id=66032914&comm_id=1743242&__from=mixi
節分の文化を世界に紹介するべく、鬼(モンスター)になりきって、襲撃してきました。
普段の自分はこんなに怖いことはしません。



日本のカメラ、ビデオカメラは世界一だと思います。
アメリカの電気屋さんで各社比較してみましたが、やはり日本のブランドのやつが優れているのが、
見て取れました。


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