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太平記コミュコミュの今読んでいます

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吉川英治の私本太平記
まさに今読んでいます
4巻に入ったとこです
きっかけは楠木正成についてもっと知りたかったし
吉川文学に触れてみたかったからかな

当時を重層に描いていてよくわかります


まさに今読んでる方いますか?



コメント(32)

もう4〜5回読んでますw
南北朝時代を知るのにちょうど良い長さと内容ですよね^^
ちょっと北朝寄りの視点なのが残念( > ω < )
個人的には楠木正行が好きなので
後半、もっとしっかり書いてほしかったです( > ω < )
> Porcorossoさん
4.5回ですか?
すごいですね

正成と正行の親子の情
これがまさに私が知りたく
読むきっかけとなりました

正成の思いを受け継ぎ闘った正行

立派だと思います


>Porcorosso さん

凄いですね、私は「真説 南北朝」という様な本を読んでいまして太平記を軸に
足利尊氏こそ大悪党という著者の視点から捉えた内容で面白くて読んでます。
今は、高家一族が武庫川の畔で討たれるところまでです。湯のみ

>こうちゃん さん

私も、昔は楠木正成公が唯一無二で大好きでした。
今も大好きですが、数年前から赤松円心則村・範資・貞範・則祐・氏範親子に嵌り赤松氏に偏り注目していろんな本を読んでいます。

楠木が千早・赤坂に篭城戦を展開する前から大塔宮護良親王の側近として仕えた赤松律師則祐は円心の三男で従う小寺相模守も赤松一族。
楠木に呼応し播磨で挙兵し山陽道と山陰道を封鎖し摩耶山にて六波羅を討ち京都で小勢ながら山崎からは一歩も引かず時折、討って出て奮戦し鎌倉大手軍大将 名越高家を討ち取りながらも今の「小者」扱いが悲しいんですよね。

楠木と赤松は縁組もし縁者でもあり、山岳戦にはその強みを発揮し南北朝に分かれてからは敵とはいえ、方や南朝に忠義を尽くし、方や足利尊氏に忠義を尽くし
大阪を舞台に2代に渡り剣を交え良い好敵手でした。

赤松円心の本拠地、兵庫県上郡の「赤松」という地名の近くに「楠」という地名があり楠木一族の方が、住まれた地といわれておりますよ。
> クリリンJrさん

コメントありがとう ごさいます

正成と則村は 義兄弟になるのですね

則村は何故 足利氏についたのか など 興味がさらに広がりました
頑張って読んでいきます
>こうちゃん さん

ぜひ、読んで見てください。
あまりに、過小評価の赤松ですがその武勇譚は太平記の本を読めば分かります。
小勢でも引かない。ここを最後の戦を数々展開し政局を度々変えております。
また、足利尊氏・義詮・義満を懸命に支えています。
NHK大河ドラマでは、赤松円心は薄汚れた着物で軍団も野武士以下の軍装などと播磨を知らない監督が勝手にイメ−ジされており腹が立ちます。
朝廷から戴いた正式な官職の「播磨守」に就いた有名人は絶頂期の平清盛や源義朝が就いたりしています。
つまり、播磨は、畿内に接する畿外ですが国力は豊かだったみたいです。

>則村は何故 足利氏についたのか

これは、万里小路 藤房 卿が語ってられます。
後醍醐天皇の側近として仕えて、鎌倉幕府倒幕計画に参加し楠木正成の起用を勧めた人物とも言われてますが彼は、天皇の側近重用政治を何度も何度も諫めるとだんだん疎まれて聞き入れなかったため、新政権に失望して出家され行方不明になられました人です。
その彼が、後醍醐帝を諌める話の中で例として都人すべてが事実として知っている大功ある赤松の場合を引用してその新政の非を説かれた様です。
仕方の無い事だと思います。

赤松は、まぎれもなく大塔宮の主力軍であり後醍醐帝がせっかく北条倒れ
都に戻るも比叡山で兵を解かない大塔宮(この時、赤松も叡山に)と足利の間に挟まれ穏やかならぬを鎮める為に宮に征夷大将軍を与えとりあえず治めるも
足利が、手を打って宮は、後醍醐帝の命により囚われ大塔宮軍は解体。
足利は、宮方軍の将達を数人暗殺したという文章もみましたが
赤松は、久我畷の戦いのおり足利はこれを討つ為の搦め手大将として大手の北条一門名越高家が討たれ大軍の大手軍を崩壊させた赤松の強さを知っており
味方につける為に、不遇された赤松に近寄ります。
そして、鎌倉にて北条時行の乱を鎮圧する為の東征軍に円心の子息を所望し次男貞範が精兵を連れて従軍します。
ここでも、活躍しております。
その後、足利と新田の争いに巻き込まれ播磨守を取られた新田に組するではなく
そのまま、足利氏に命運を賭けます。
ゆえに、箱根の合戦でも大功を挙げております。
これらは、読まないと理解してもらえないと思いますのでちょっとだけでも赤松を意識して新しい視点で読んで見て下さい
ウッシッシ
> クリリンJrさん
なるほど なるほど
今読んでるところは後醍醐天皇が隠岐にいて脱出の機をうかがっているところです

そこにちょうど則村のことがでてきました
播磨で則村が宮方として活躍しているといううわさがここ隠岐にも届いているといった内容です

赤松家には クリリンJrさんが思いいれるほど光が当たってないのですね

史実は史実としながらも 作家が何を視点に何をどう描くかによって一般の評価って大分変わるように思いますがいかがでしょうか

たとえば龍馬人気なんかは司馬遼の 龍馬がゆくがその加速度を強めていませんか?

また 最近人気の上杉鷹山 とか直江兼続なども小説からその人物が見直され その人物の行ったことや考え方が人々に影響を与え社会のありかたまで見直されるような気がしますがどうでしょうか?

そういう点から今後 赤松則村にも光があたるといいどすね

いずれにしても太平記今後の展開が楽しみです




>こうちゃんさん

まず、私もそうでしたが入り口がドラマや映画(最近はゲ−ムも)って人がほとんどだと思います。
そこから、小説でも現代作家じゃなく当時書かれたものの現代語訳などなら
深く知る事ができると思うのですがそこまでハマる人は少ないですよね。
だから、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・武田信玄・上杉謙信・伊達政宗という
よく描かれる機会のある人ばかりが多くの日本人の好むところとなるのでしょうね。ご先祖が上記の者に反抗した勢力の中にいて殺されていながら実は、知らず知らずのうちに敵が大好きになって敵対勢力を小バカにしている人も多いと思いますね湯のみ
後で判明すると、絶対に大嫌いになるとは思いますけどねあせあせ

おっしゃるとおりだと思いますよ。
司馬遼さんは、私は小説家としては好きですがこれほどの方が書かれた優れた文章を多くの人に読まれ「史実」として捉えられるのを嫌ってます。
「播磨灘物語」「雑賀の船鉄砲」と書かれた内容は当時の播磨の情景と合致しない部分が多く創作が多いと思います。
この方のご先祖は、播州三木城篭城戦の篭城兵でその子孫なのに大阪で生まれ育ったからかもっとちゃんと情景を描いて欲しかったですね。

宮本武蔵 彼も、赤松流の人で五輪書に生国 播磨とありますが
美作が吉川英治さんの秀作の為に、ここだと論争が続いております。
養子先の新免家(赤松幕下)は美作で藤原流で養子に行く前の田原家が村上源氏赤松流ですから武蔵が宮本武蔵藤原玄信と書いて養子の伊織が村上源氏だと言っても偽りではなく血の筋目か家の筋目を言ったのかだけです。
しかし、小説が優れているから史実がぼやけてしまってますね。

優秀な小説家は、多くの人を楽しませるが歴史を描く際は多くの物語に関係した方の子孫を複雑な思いにさせてますよ。考えてる顔
史跡巡りに行けば、たまにお話を聞かせてくれる方もおり地元の伝承はしっかりと守られている所があります。
いかに、最後の主君の治世が良かったかうかがい知れますよわーい(嬉しい顔)
> クリリンJrさん
久方振りです
四月から少し環境がかわり読書の時間がとれずようやく4巻中間まできました

新しい環境にも徐々にになれこれからは時間も取れると思いますので頑張って読むつもりです

クリリンJrさんのコメントで史実 小説の裏側を垣間見た思いです

それから円心は後醍醐天皇が隠岐から脱出している間にも 粘り強い働きをしたのですね
もしその活躍がなければ帝の行く末も変わっていたでしょうか?



>こうちゃん さん

今、京都国立博物館で妙心寺展をやっており他に大徳寺や龍安寺の所蔵品が多数
展示されておりました。わーい(嬉しい顔)

一見、南北朝とは関係なさそうなんですが実は開山の時期がけっこうリンクしておりまして南北朝期の人物像を知る資料的な文も残っております。
今回、花園法皇と大徳寺開山 
宗峰妙超こと大橙国師の間でやりとりされた手紙が出ておりました。
そこには薄墨で、とても、天皇と仰がれた事のある御方とは思えぬほど素直な気持ちで日々の迷いや思いを大橙国師に示され、大橙国師は濃い墨で法皇に応えられておりまるで師と弟子の禅問答の様なやりとりの内容みたいでした。
出家されて慎ましやかな生活をおくられ熱心に修行されていた様ですよ。

また、花園法皇は甥である光厳天皇に天皇としての政務を携るにあたり熱心に「徳」を持つ様に良き君主としての道を書かれた手紙も展示されておりました。
一番、苦労なされた光厳上皇はその最期は京の都から一つ山を隔てた現在の常照皇寺が建てられる前の小さな庵に住まわれ僅かな従者とだけで極めて質素に暮らされて移られてから早くに亡くなっておられます。
その他の上皇も出家されたり北朝の天皇になられた方はとても大人しい方が多く
とても苦労されて可哀相な気もしました。
南朝の帝は戦闘的にも思えますが、北朝の帝は決して悪役ではなくむしろ、善の方だと私は思いました。ウッシッシ物語では悪役か名も無い役者が演じる程度の扱いになってますが・・・がまん顔
取り巻きは、南北共に最悪だったでしょうけどね。
唯一まだ、「万里小路藤房卿」この方だけが公家でありながら万人に対し良き政を考えられる方だったのでしょうねもうやだ〜(悲しい顔)

クローバーあと一つ、龍安寺は細川家の菩提寺です。細川家歴代(初期)と勝元の肖像画も出てました。
花園法皇の綸旨も出展されてました。
綸旨って、薄っすらと藍色に染まった紙にて書かれていたみたいですね。
ちなみに、戦関係とは関係の無い内容でしたコーヒー
> クリリンJrさん
天皇といえども やはり同じ人間 迷いもあり葛藤もあったのでしょうね
民の幸福を願い 道を求めた帝もいたことでしょう
いろんな視点で当時を考え、また それを今にいかしていく
歴史をさらに深く見ていけるようなコメントありがとうございます
> 竜華@?さん
コメントありがとうございます
「難太平記」とは誰の作品でしょうか? 教えて下さい
歴史の出来事は偶然また突然起こるのではないのでしょうね。
それには 様々布石があり原因の積み重なりによって 起こるべきして起こるのでしょうね
そこらあたり 深く読んで行きたいと思っています。
>竜華@? さん

難太平記ですか、私はまだその本は出合った事も無く見た事もありませんが
書かれた方からすると凄く興味ありますね。
確かに違った視点から見てみたいですね。
今でもよく、大学教授や郷土史家など多種多様な方が書かれている同じ人物をテ−マにした本を読んでると一番最後にある参考資料などは似通ってるがそれぞれが解釈が違うのか視点が違うのか同じ事象に対して書かれ方が違うと困惑する場合もありますがしかし、見えなかった部分に出会えるかもしれないから面白いですねムード

>足利氏は鎌倉時代から着々と布石を打っており、新田氏が不利になるのも当然と想います。新田氏一門の山名氏を取り込み一門にして、平家の有力者畠山氏を乗っ取る部分には凄みを感じます。

そういう部分が面白そうですね。
でも、その山名氏に足利尊氏と義詮はけっこう苦しめられましたねあせあせ
そして、神南合戦exclamation ×2赤松家の宿命の相手山名家との決定的な因縁戦勃発ですかげっそり
どちらも、結局は本拠は兵庫県・・・仲良くしましょうって事であの有名な但馬竹田城址の駐車場近くにある両家の戦没者供養碑を両家の子孫の方々が建てられ晴れて和睦ですわーい(嬉しい顔)
歴史は現代にも脈々と繋がってると思うとまた面白いですねぇ。
山名氏の本も読んで見たいです。ウッシッシ
カメラは山名氏重臣 太田垣氏が建てて赤松広秀が改築した城です

>こうちゃんさん

要約したものでもなさそうですがこういうのがありましたよ。
http://homepage1.nifty.com/sira/nantaiheiki/index.html
ようやく4巻読了しました

いよいよ尊氏は幕命をうけ出陣
これに先立って道誉は尊氏を監視するため出発していた

そうこうするうちに
尊氏は一対一で道誉と
密談が成立し
ともに討幕へと動いていく…

吉川氏がそう描いている感もあるが
尊氏の予想だにしない行動
思慮の深さ等
天下人になるべくしてなったのか?

一対一の誠実な対話によって相手を味方に変えていく
ハードパワーでなくソフトパワーで連帯を強めていく 尊氏のそんなとこが魅力なのかもしれない
また 女性や子供に対しての不器用さもそれに輪をかけているのか
いずれにせよ今後の展開が楽しみです
第5巻に入って 吉川氏は戦場の悲惨さを赤裸々に描きだした
あらためて「平和」の尊さも噛み締めながら1ページ 1ページをめくっています
> クリリンJrさん
難太平記についていろいろと教えていただきありがとうございます
太平記も奥が深いですね
>こうちゃん

今は、どの辺りのお話でしょうか?
漫画やドラマでは足利尊氏が亡くなって終わりですが太平記はそれからも続くんですよね。私も知ってからどこまでもぐちゃぐちゃな時代だったんだなと目からうろこ状態でしたあせあせ

何も無く、平和に過ぎたからあまり興味を持たれない時代なのかなと思ってましたがぐちゃぐちゃに複雑すぎて分かり難いからなんでしょうか・・・?
それでも、読めば織・豊期に負けぬくらいに面白いですよねわーい(嬉しい顔)
> クリリンJrさん
私本太平記第5巻
新田義貞が鎌倉幕府を倒し
後醍醐天皇中心に公家の政治が始まろうとしています
討幕に対して論功こうしょうを始めますが武士たちは不平をおこしはじめました
クリリンjrさんが述べてたとうり赤松に対してはひどいものがありました
尊氏は新しい動きを見せますが大塔宮は早くも警戒をしています…
これから九州 四国 東北も舞台になってくるのですよね?

日本全土を巻き込んだ本格的な武家政治を産むための難産の時代と言えばいいすぎかな
>こうちゃん さん

以前、読んだ本で足利尊氏が大・大・大嫌いって感じの著者の本を読んだ事があります。その方は、自らの著書が出来上がる前にお亡くなりになられたそうですが本を読む限り昭和初期の教育を受けてこられた方らしくバリバリの南朝正統論者ってヒシヒシと感じましたがこの論功行賞には赤松に対し同情されてましたあせあせ

大塔宮が足利尊氏を警戒し信貴山に篭った際も、赤松は主力軍でした。
しかし、例の宮が騙されて上洛し捕縛された事件で赤松のすべての血と汗と涙の
努力が水泡にきしたんですね。
ん〜語りたいが邪魔はいかんいかんあせあせ

宮が吉野蔵王堂に陣取り幕府軍と戦い多勢に無勢で討ち死にを覚悟された時に
赤松律師則祐と共にいた小寺相模守頼季も赤松族ですよ。
あと、仁王門前で宮の変装し壮絶な切腹をして果てた村上彦四郎義光は有名ですが、彼も、我が子は宮と共に落ち延びさせようとするもその息子も宮を逃がす為に追撃軍に取って返し取って返しして討ち死にされたみたいですね。
この時代の中で見られる、自分の信ずる武門の生き様に殉じる姿は本を読む度に感動させられています泣き顔

>日本全土を巻き込んだ本格的な武家政治を産むための難産の時代と言えばいいすぎかな

深いですねわーい(嬉しい顔)
> クリリンJrさん
いつもいつも幅広いコメントありがとうございます

後醍醐天皇と大塔宮のそりの悪さがこの時代を一層複雑なものにしたように思いますがいかがでしょうか?

また、尊氏にはもともと権力欲はあったとは思いますが 大塔宮の存在が尊氏を尊氏たらしめたと感じますがいかがでしょうか?

それにしても 太平記の時代は様々興味深い時代ですが 今時にあっては少しマイナー いや、メジャー過ぎてマイナーと思いますがどうですか?



>こうちゃんさん

>後醍醐天皇と大塔宮のそりの悪さがこの時代を一層複雑なものにしたように思いますがいかがでしょうか?

阿野廉子と大塔宮でしょうか?結局、跡目問題なのかなぁとも思うのです。
大塔宮には朝廷サイドの中で誰よりも、鎌倉幕府打倒に貢献したという自負がありますよね。その通りだし。その延長線上で後醍醐天皇とも反りが悪くなったのでしょうか。
面白いのは大塔宮の宮が後村上帝の前に現れ、南朝の将軍になり兵を率い
いざ、京奪還戦かと思いきやその兵をもって南朝を攻ようとし軍内混乱しながら
南朝と交戦したそうです。大塔宮の宮の剣先は後醍醐天皇の宮に向けられたそうです。この戦で混乱しながらも終始大塔宮の宮に戸惑いつつも従ったのが赤松円心の四男氏範公で散々暴れたそうです。結局捕まっても考えられない事態と日頃の氏範公の忠にたいした罪はなかったそうです。
赤松一族で最後まで、南朝に味方したのがこの氏範公なんです。

>また、尊氏にはもともと権力欲はあったとは思いますが 大塔宮の存在が尊氏を尊氏たらしめたと感じますがいかがでしょうか?

そうですね、私も同感です。わーい(嬉しい顔)

>それにしても 太平記の時代は様々興味深い時代ですが 今時にあっては少しマイナー いや、メジャー過ぎてマイナーと思いますがどうですか?

私もそう思います。こんなに面白いのにどうしてマイナ−なんでしょうかふらふら
また、原因は、メディアだと思います。
映画・ドラマ・漫画・小説すべて偏ったものが多いですよね。
特に戦国モノは、描き方を変えるだけで主人公が偏ってますね。
とにかく、よく目にするので入り口が身近ですよね。

源平も幕末モノもまだマシですね。
なんとか、もっとメジヤ−になって欲しいですね。
登場人物は個性の強い人が多くてたまらないと思うんですけどね。
また、「物語」でも今まで目にする事がほとんど無かったので調べる度に一人アハッ体験しておりまする。

ここには、いっぱい居るんだと喜んで来ましたので皆さんよろしくです。

カメラは、赤松円心の子で最後まで南朝に尽くした忠臣 氏範公の憤死地である
播州清水寺にある石碑です。この地に城を築き、西国からの物資を阻止する為に
北朝方に大いに抵抗されてました。
第1回目
山名氏清1500騎で攻めても打ち破られ
第2回目
細川頼元の2000騎で攻めても攻めきれず
第3回目
細川頼元に赤松一族も加え攻めても攻めきれず失敗。
第4回目
増援を加えて兵糧攻めにより一族郎党137人全員自害された地ですよ。

寺の開基は古く坂上田村麻呂奉納の剣もあるお寺です。
> 夏氏(なつうじ)さんコメントありがとう
6巻途中でしばらく休憩してました
また読み始めたいと思います
鎌倉に行っての妄想もなんだか面白そうですね
また聞かせて下さい
こうちゃんさん&夏氏さん

頑張って読破して下さいね。指でOK
しっかり、読んでからその舞台となった場所に行くと楽しさ倍増ですもんねわーい(嬉しい顔)
稲村ヶ崎なんて行ったら「南無八幡大菩薩グッド(上向き矢印)」って言ってしまいそうですウッシッシ
夏氏さん

>北条仲時以下432人の自害の場面で
泣いてしまいました

分かりますよグッド(上向き矢印)
いかに、主従の繋がりが良かったかを表してますよね。
現代人からすると、真似できないけど
とても哀しい事だけど、武士として美しい最後だと思ってしまいます
ウッシッシ

ただ、私は臆病ですので播州清水寺に赤松氏範公と一族郎党142名が自刃された地に行きましたが怖くてあまり近づけませんでしたふらふら
基本的に、臆病ですのであせあせ(飛び散る汗)
ですから、蓮華寺はもっと無理でしょうね冷や汗
夏氏さん

最近知ったのですが(遅すぎでしょうねあせあせ)墓参ラ−とかいう有名人のお墓に参りカメラで撮影するのが好きな人達がいるとか・・・。

お彼岸に、高野山に行った際に奥の院に参りに行った時に初めて見ました。
さすがに、奥の院は弘法大師が居られる聖地ゆえ私でも怖くはありませんが
そこに眠られていると思うとやはり遠慮して撮影はできませんね。

ましてや、無念の最期を遂げた人の墓や塚は撮影は怖いですふらふら
仮に写す時は、それが近くにあると感じさせられる景色や墓石を避けて写すとか
してしまいます。あれだけ、どうどうと撮影されている人を見ると凄いなぁと
思ってしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

ほんとは、興味がある人には紹介したいのにいつもつまらない写真ばかりになってしまいますあせあせ
のんきホーテさん

私は昔、播州清水寺の近くに住んでましたよ。何度か行ったことありますよ。本堂の内部の裏が宝物庫になってました。そこに赤松一族の血判書がありました。近くに光明寺合戦の光明寺もありますよね。

私は今、北方謙三の破軍の星を読んでます。北畠顕家についていろいろ知れて面白いです。武王の門、悪党の裔、道誉なりは読みました。
いまさらですが、難太平記をかいたのは今川了俊ですよ。今川家は足利家の連枝にあたる名門です。北方謙三の武王の門に懐良親王と菊池武光に対抗する九州探題として出てきます。太平記には今川家の武勲が正当に書かれていないということで難太平記を書いたようです。

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