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太平記コミュコミュの雑談トピ

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コメント(22)

最近太平記を読み直しています。それでウィキも見たりするのですが、「この人ってこんなに若かったんだ!」みたいな発見があって面白いです。

例えば児島高徳。だいぶおじさまなイメージがあったのですが(子供の頃に読んだ本の挿し絵がそうだったので)、結構若そうですね。生没年不詳ですが。
児島高徳って、建武の新政の後はどうされたのでしょうね?
私は、赤松円心が好きですので児島高徳は赤松に合流して六波羅を目指したまでは分かってます。
が、後醍醐帝は大将の赤松円心に播磨守護職を与えるもすぐに取り上げ
新田義貞に与え赤松には、元々の佐用の庄の安堵のみ。
同じく一緒に戦った国人や寺社勢力にも大塔宮護良親王の令旨は無効とされ怒りと失意の帰郷となりましたが児島高徳はどうされたのでしょうね。
後醍醐帝が隠岐に流される時の美作 院ノ庄での児島との挿話などは太平記好きには有名と思いますが。

一昨年かに売れてた小説「信長の棺」では明智秀満が児島高徳の末裔の様に書かれていたと思いますが実際はどうなのでしょうね。湯のみ
楠木さんや新田さんもいいですが、もっと知られていない「寛元、保治の乱」に出てくる三浦氏に興味を持ちました。

その辺り、お詳しい方、宜しくお願いします!!
不勉強でお恥ずかしいですが、「寛元、保治の乱」って初めて聞きました。宝治合戦とは違いますよね?それだったら資料豊富で良いんですけどね。

三浦さんは↑の宝治合戦でほぼ壊滅しますから、太平記においてはかなり影が薄いですよね。
こちらに書いて良いかわかりませんが、、

今発売されてる
歴史街道(2012年10月号)が
楠木正成
の特集です。

10月13日〜12月2日まで
兵庫県立歴史博物館において開館プレ30周年記念特別展
「赤松円心 則祐」があります。
展示内容は、父 則村と範資・貞範・則祐・氏範兄弟が活きた時代。
まさに「太平記」ど真ん中の頃の資料展示会と思われます。
展示規模はたぶん期待できないかもしれませんがあまり、この時代を扱う展示会は珍しいと思いますのでお近くで興味がある方はいかがでしょうか?一部、展示品の展示期間については下記HPの右下にあるパンフ右側をクリックすれば見れますよ。
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=%CA%BC%B8%CB%B8%A9%CE%A9%CE%F2%BB%CB%C7%EE%CA%AA%B4%DB&lang=euc&prop=500&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1

場所は、世界遺産 姫路城本丸東側ですウッシッシ
本日兵庫県立博物館に見学に来てます。赤松円心像に圧倒されました。また今日の講演では赤松円心、則祐の活躍ぶりが太平記などを通して紹介され、ややこしいところがより勉強になりました。
のぶさん

今日、私も行って聴講してたんですよ。
どこかですれ違っていたかもですね。
私は講演の方は先着100名に入れず隣室での聴講となりましたが結局180名くらいの方が聴講に来られていたそうですね。則村公・則祐の像は、宝林寺の宝物館で見るより見やすくて良かったですね。講演は時期を駆け抜ける様に進められたから少々ガッカリだったので質問コ−ナ−を設けてくれてたらいくつか質問したい事があったのに残念でした冷や汗

でも、特別展はかなり人が来てましたし書状類も絵画も思った以上にあって楽しかったですね。
もう一回展示換えと講演が合致した日が休みなら行こうと考えてますわーい(嬉しい顔)
>>[8]

ニアミスだったのですね。私は先着100名の中に入れていました。市沢さんの講演、わかりやすくてよかったです。赤松氏の魅力にはまっていきそうです。

質問コーナー。時間もぎりぎりだったのであれが限界だったのかも。私も和歌山県に残る赤松円心伝説をどう考えればいいのか、また聞きたいところでした。
のぶさん

えっ、質問コ−ナ−あったのですかあせあせ(飛び散る汗)
私は、講師の話が終わり司会が話を切り出し始めた時に隣室はぞろぞろ帰りだしたので終わりだと思い退室して特別展見に行きましたふらふら

あの講師の先生は、場所が播磨なだけにかなり後半の締め括り部分(嘉吉⇒禁闕⇒長禄⇒応仁)はオブラ−トに包んだ様な話で流しましたが歴史の「If」を考えるなら「もし、赤松家があの時に存在してなかったら」と思うと「太平記」の流れもしかり、その後の室町時代に該当する時代の流れも大きく変わったものだったかも・・・と思える節もありとにかく面白い一族ですねムード

和歌山に残る赤松円心の伝説とは、知りませんね冷や汗
ぜひ聞いてみたかったですね。
>>[010]

和歌山県日高郡印南町に赤松城という山城があって赤松円心がここにいたという伝説もあるのですが16世紀後半の遺構で全く円心は関係ないと思います。
ただ昨日の話にもありましたように護良親王が紀伊半島潜伏中に則祐が同行していたようですね。
のぶさん

私は、その和歌山に円心が城を造る事は無いと思いますけどねあせあせ
それは、講師の教授から聞いてみたかったですねムード
僅かですが私が読んだ本の中では和歌山に行った事が話あるだろう赤松族らしい人物は、後南朝サイドから書かれた本では禁闕の変(1443)の翌年の文安元年(1444)八月(康富記) に吉野の奥の北山(三ノ公かな?)で南朝の天皇の後胤である円満院円胤(諸説ありますが聖護院宮系が多い)という方が蜂起されます。その時に歴代の南朝忠臣の和田・楠木や十津川や北山・川上などの南方の武士・郷士や河内和泉からも参陣されてますが赤松教祐という名前も参陣した者に記載がありました。名前からして嘉吉の乱の張本人赤松満祐の筋と思われますが読んだ本の中の赤松系図では私はまだ発見できてませんふらふら
この挙兵は、紀州地方を舞台に戦われた模様で紀伊国守護の畠山持国は制圧に動くものの梃子摺り細川出羽守の援兵を得て形勢逆転し南方軍は紀州湯浅城に退き篭り、一度は幕府方畠山持国の軍勢(遊佐・宇都宮)を粉河寺まで退けるも援軍を得て大軍での再度の攻撃に耐え切れず南方の皇胤である円満院円胤は自刃され多くの南方の武士が討ち死にされた様ですが挙兵から盟主の自刃による結末までの時期があるので赤松円心の後裔である教祐という人物の築城だとすると可能性あるかもですねあせあせあと高野山に伝記書物に永亨4年(1432)1月7日にその由縁は明らかでないが赤松満祐の類、赤松丹信という者が軍勢を引き連れ蓮華谷より進入し狼藉を働くので討伐した旨の話が残されてるそうです。もちろん赤松丹信などという名前は見た事ありませんが・・・あせあせ(飛び散る汗)

まぁ、この辺の話は「太平記」のさらに後の時期の顛末の話なんでここではこの辺にしときましょうねあせあせ(飛び散る汗)

則祐は、紀州はどうなんでしょうか?
山岳地帯を、行動していたから少しは入ったかもしれませんね。
「太平記」だと十津川の有名な橋である谷瀬の吊橋を国道から渡った対岸に大塔宮が一時住まわれた戸野兵衛達が建てた黒木御所跡がありますがそこから不穏な気配を感じて高野山に逃れようとした際にあった話があの講師の説話ですがあの後は大塔宮は西を諦められた吉野方面に行かれ金峰山寺での挙兵になり、村上親子らの犠牲をもって二階堂ら鎌倉幕府軍に追われるも高野山に無事に逃げ込まれた様ですから・・・則祐はあの講師のお話ではあの則祐の手から円心に届けられた令旨は宮が吉野で戦われている時とおっしゃってましたので行かれてないかもですね。

苔縄での挙兵から摩耶山合戦までは円心と長男範資と次男貞範の名前はよく出ますが三男則祐は桂川渡河の挿話からに見えますが挙兵時から居たと思うのですががく〜(落胆した顔)あせあせ(飛び散る汗)
まぁ、射手座吉野合戦の最中の宮の傍には赤松族の小寺相模守頼季はおりましたが。

>>[012]

和歌山県有田郡広川町の法蔵寺を開基した赤松明秀がちょうどかきつの乱直後に播磨から流れてきたという話が広川町史にも書かれていました。

ただ印南町の赤松城はさらに南の日高郡ですし赤松山という山名に引っ張られた伝説かもしれないです。
のぶさん

私も、伝説だろうなと思いますが、後南朝側の資料本からすると南朝皇胤である円満院円胤(義有王)は、後南朝方の征夷大将軍として挙兵してから特に紀伊方面に味方に馳せ参じる様に調略をかけられていた様で吉野の山奥から西に繋がる海のル−トを開け南朝方に心寄せる西国の武士(土居・得能・菊池などなど)を頼みに、今一度、再起を賭ける戦いを目指されていた様で紀伊の西側は特に欲していた模様ですんであながち「赤松明秀」という人物は知りませんが円満院円胤の元に馳せ参じた赤松左馬助教祐という人物も南方に行っておりますので考えられない話ではないし面白い話ですねあせあせ
この時はすでに、小倉宮聖承の要請に応じ幕府に決戦を挑んだ(正長の変)伊勢国司北畠氏は北畠満雅の討ち死の後、赤松満祐の尽力でなんとか息子具教は赦されて存続できて以来、幕府よりなんで東側でなく後南朝は西側を開けたかった様ですし印南町も西側なんで範囲かもしれないと思うと面白いですね天秤座
行って調べてみたいですね。どんな動きをされた人かをムード
今月は、兵庫県下で「太平記」関連イベントが二箇所であります。

11月18日(日)に
今年も、丹波国の石龕寺にてもみじ祭りが行われるそうです。
(リアル太平記の跡 No.28)
当日、会場となる参道には全国でここだけであろう足利義詮の歌ムードが繰り返し流されて例年なら10時前後に足利尊氏・義詮役の方や郎党の武者行列が石龕寺の御堂まで歩かれて祈祷されるまでの「太平記」巻第二十八「将軍ならびに義詮丹州没落の事」のシ−ンが再現されます。
また、足利義詮の爪跡が残る「ててうち栗」も売ってます。
http://event.jr-odekake.net/event/123709.html

11月23日(祝)には、兵庫県上郡町にて白旗城まつりが行われ、「太平記」の国史跡 白旗城訪ねて・・という登山会もあるようです。
http://www.town.kamigori.hyogo.jp/kisha/2012/20121023.pdf

全国で、「太平記」の関連イベントが何処にどれだけあるか知りたいですが
今月は兵庫県下であるので興味のある方はいかがでしょうかわーい(嬉しい顔)
>>[15]
いつも情報をありがとうございます☆
太平記関連のイベント良いですね〜
遠方なので、なかなか行けませんが、
いつか石龕寺のもみじ祭りへ行きたいです!
福丸 さん

各地で歴史絵巻の様なお祭りはあると思いますが、ほとんどが俗に言う戦国時代モノですんで太平記の時代となるとかなり珍しいと思いますもみじ
丹波地方は、黒豆に松茸だけじゃなく冬は猪鍋も美味しいし機会があればぜひ、お勧めします走る人

私も、遠方で行きたい太平記史跡いっぱいありますがなかなか遠くて行けないので辛いですあせあせ
次の日曜日 5月26日
1日だけ神戸市で南北朝時代が甦ります
「楠公祭」
http://www.minatogawajinja.or.jp/festival/parade.html

さすがに、この一文から親房の南朝正統意識を読み取るのは深読みではないでしょうか。
「我が国」=日本
「異朝」=中国など外国
の意で、日本だけは万世一系で皇統が伝えられているけど、
中国その他では易姓革命などで何度も皇統が途絶えている、
ということを言っているのでしょう。

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