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夜とスージーと文学とコミュの『キムチ』なんてタイトルだからエンターテインメントかとおもったら、在日韓国人2世として生まれ、3歳からカナダで育った著者が、自分を再生させるべく、横浜や大阪をさまよう、シリアスな半自伝小説だった。

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「僕」は30歳、生まれたのは横浜、両親は韓国人、3歳のとき両親とともにカナダへ移住した。(ただし、両親は渡航時に3歳児未満のリストに加えるべく、僕を1歳若返らせた。しかも「僕」の生まれた病院はその後火事で焼け、僕に出世時を法的に証明する書類の一切は失われてしまった。したがって「僕」はふたつの誕生日を持つ)。「僕」はいま自分の名前を韓国名を欧文表記で書いているけれど、しかし日本にいるときは、ノボルだった。「僕」は英語とフランス語を話し、韓国語は読めない。そんな「僕」が、横浜港に降り立つ、クリスマスの日に。




「僕」が横浜を訪ねたのは、たんに自分のルーツを探すのではなく、むしろ「僕」の再生なのだ。「2000年を目前にしたクリスマスの今日、僕は幼年期の最初の朝を迎えようとしている。ガラスのように透明な日がある。満ちあふれる光が人生全体をときほぐしていくような日がある・・・・・・。溺死者は、最後の瞬間、人生の時間が、すべて結びのロープのように首のまわりでだんだん狭まっていくとき、同じような感覚に教われるだろう。」




小説の冒頭にこれだけの屈曲がある。とりわけ異様なのは、自分の再生を祝そうとする記述がそのまま溺死の瞬間の隠喩へ繋がってゆくこと。記述はこの先どういう展開をしてゆくだろう、まったく見当がつかない。なぜ、横浜が、韓国系カナダ人のかれにとって、再生の場所になるだろう? ただの出生の場所に過ぎず、かれの記憶にも残っていない、横浜が。




かれはRomaine BROOKSの言葉をおもいだす、(そう、19世紀末のローマに生まれ、20世紀芸術様式と無関係に生きた、アメリカの肖像画家。彼女の絵は、灰色のトーンで覆われている、ただしこの要約は書評者に拠るものだ)、画家ロメーヌ・ブルックスは言った、「わたしたちは逆巻く水へ飛び込む。まえにいた場所より、高いところへと、波が返してくれたものは幸いである。」「潮に浸された目のなかで、光はミルクのように震えている。自分を洗う海の青、空のパステルブルー、泣き交わすカモメの白い斑点、見るものすべてに白があふれ・・・それらが自分の手に戻ってきた。」かれはその言葉を引き取る、「そうだ、すべてを取り戻したのだ、冬の日本で雪を見たことがないのを残念がっていた僕が、このミレニウム最後のクリスマスを僕の”ユキ”と一緒に過ごしている。彼女はまるで粉雪のように、魔法の風に舞う雪の蝶のように、横浜の中華街を軽やかに横切りながら、僕を案内してくれる。」




なんて奇妙な記述だろう、希望についての記述が絶望を手繰り寄せ、絶望についての記述がいつのまにか希望へ繋がる。ユキだって? どこで知り合ったんだい? おめでとう! 読者はかれのために祝福するだろう。そしてその読者からの祝福に照れるように、韓国系カナダ人のかれは注釈を入れる、「僕はアジア人の顔の美しさに目がない。」読者は、その言葉がまるでエキゾティシズムのように聞こえることに異様を感じるだろう、あんただってアジア系じゃないか。むろんかれ自身、それが異様におもわれかねないことを自覚している。カナダ育ちのかれは告白する、「長いあいだ、僕の想像力は、テレビ、ラジオで見聞きし、小学校の教科書で読んだ、白人の顔に支配されていた。たとえば通りでベトナム女性とすれ違っても、まるで彼女と僕のあいだに近親相姦のタブーがあるかのように、何一つ特別な感情は抱かなかった。(・・・)文化人類学で言うところの”刷り込み”作用、アヒルの子に誰でも最初に見た者を母鳥だと思わせ、世界の果てまで追わせる、そんな作用が、僕の場合逆転して働いていたということだった。」




「やがて僕は、世界中のどんな都市を旅しても、しばらく滞在すると中華街を訪ねずにはいられなくなった。そこへ行けば僕は”アトホームな”気分になって、僕と同じ黒髪で目のつりあがった人々が通り過ぎてゆくのを、コーヒーを啜りながら眺めたものだ。彼らを主人公にちょっとした物語をこしらえ、自分も物語に参加してみたり・・・・・・。」











不思議な小説だ。書かれている内容は重いのに、語り口は軽い。ただし、その記述は、(原文がフランス語で書かれているせいもあって)フランス小説を読み込んできた人のどくとくのスタイルがある。そしてその記述に拠って著者は、一方で、過去の時間のなかから、主人公の、在日韓国系である両親を浮かび上がらせ、他方で、かれ自身の出自とアイデンティティにまつわる思弁を深め、強迫観念との葛藤と解放の劇を演じてゆく。




序章 チャイナタウン
第1部 キムチ
第2部 雨の幽霊
第3部 三つの月
エピローグ 雪の幽霊






著者は、Ook Chung ウーク・チャング、1963年在日韓国2世として横浜に生まれ、2歳のときに両親ともどもカナダに移住して、ケベック州モントリオールで育つ。教育を受け、コンコルディア大学で、そして、マギル大学でフランス文学を専攻し、ル・クレジオに関する論文で博士号。フランス語で小説を書くかたわら、カナダの職業教育学校で文学を教える。この小説『キムチ』(岩津 航 訳 青土社刊2007年)は2001年パリで出版されたかれの長編第一作で、自伝的色彩が濃い。




1994 : Nouvelles orientales et désorientées, Montréal, L’Hexagone.
2001 : Le Clézio une écriture prophétique, Paris, Imago.
2001 : Kimchi, 『キムチ』 Paris, Le Serpent à plumes.
2003 : L'expérience interdite, Montréal, Boréal.

コメント(3)

母語-執筆言語、民族-取得国籍、出生国-居住国の3つのカテゴリーに、ねじれがある作家としておもい浮かぶのは、サルマン・ラシュディ、ダイ・シージエ、ラッタウット・ラープチャルーンサップ、V.S.ナイポール、多和田葉子、リービ英雄、小泉八雲、在日韓国人作家たち、そして微妙にカフカ。


こういう作家はいま増えていて、たとえば中国人作家の数人は、アメリカで英語で、あるいはフランスでフランス語で、書いている。どういうわけか、(ぼくは)この種の作家に惹かれる作家が多い。
ナイポールやラシュディはねじれじゃないと思う。英語以外では書き言葉はできないでしょう?
で付け加えるに、古典的にはコンラッドとかなんでしょうね。
あと韓国系のアメリカ人作家で有名な人が何人かいましたよね。Native Speakerとか。
それから中国人のフランス語作家とか英語作家とかいますよね。
大事なことを書き忘れた。

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