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夜とスージーと文学とコミュの少年は嘘をついた。(三島由紀夫『詩を書く少年』)

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三島の『詩を書く少年』という短篇のなかで、主人公はひとりの少年であり、厳密にはその世界には、かれしか存在していない。少年にとって世界がそのようにあるということはめずらしくないけれど、ただし・・・、いや、結論づけるのはまだ早い。それは、こんなストーリーだ。




少年は、じぶん自身を、そして詩がかれに与えるよろこびを、こんなふうに語る。「少年が恍惚になると、いつも目の前に比喩的な世界が現出した。毛虫たちは桜の葉をレエスに変え、擲たれた小石は、明るい樫をこえて、海を見に行った。クレーンは曇りの日の海の皺くちゃなシーツをひっかきまわして、その下に溺死者を捜していた」歌うような形容はまだ続く。




だが、世界とたわむれる言葉のよろこびを語るかれの言葉は、やがて転調する。「暖炉のそばの少女の裸体は、もえる薔薇のように見えるのだが、窓に歩み寄ると、それは造花であることが露見して、寒さに鳥肌がたった肌は、けば立った天鵞絨(ビロード)の花の一片に変貌するのであった」




いつになくかなり正直なかれが、そこにいる。そう、ここに一人の、じぶんに恍惚となっている少年がいて。かれは詩を書き、観念を操作しながら、世界をおもうがままに変容させるゲームに夢中になっている。かれの透明で固い自我の向こうに、世界が写る。それは、あくまでも美しい。あるとき、そこに少女が見える。一瞬かれはそれに魅惑も感じはする。だが、かれの書く言葉は、急いで、失望を告げる。その花は造花にすぎない、と。透明な結晶のようなかれの世界は、いささかも壊れない。




かれが、造花という言葉をこのように使う、哀しみと滑稽。かれ自身が造花にほかならないことを、かれ自身は知らず、それを知る日はついに訪れない。いや、少女でなくとも、かれの結晶のような孤独を壊す契機は、すぐ目の前にあるというのに・・・。




小説のなかの少年は、先輩のRと、友人関係を深めてゆく。詩を書く天才同士として。長い手紙のやりとりがある。Rのくれる手紙は分厚かったが、そこには「軽快なもののいっぱい詰まった感じ」が、かれをよろこばせる。だが、やがての文面が曇りと憂愁をおびてくる。




ある日少年は、(やがて訪れるだろうかれとRの決別を予感しながら)Rに、じぶんの見た夢の話をする。あざやかな孔雀が遠くへ連れ去られてゆく姿を、じっと見ていた夢の話を。聞き終わるとRは、「うん」と生半可な返事をする。すでにかれの視野のなかの少年は脇役にすぎない。




そしてためらった後に、Rは、じぶんの恋愛の悩みを、少年に告げる。その告白は、決定的に少年を傷つけたはずだけれど、そのことは書かれていない。そう、少年は傷ついては、いない。そして少年が与える結論は、こうだ。かれの告白には何一つ未知な要素がない。「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」そこから導かれる結論は、こうだ。「この人は、天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの」




この小説には、かなりな程度の正直があるが、決定的なところで、偽りの方向へずれてゆく。まず、この小説にはじゅうぶんには書かれていない要素があって、それは少年のRへの恋慕だ。おそらくそれを認めてしまえば、少年は精神の拮抗を崩してしまうだろう。もはや天才を気取ることもできないだろう。それゆえ、そのような感情は微塵もなかったかのように(!)、小説は書かれてゆく。ここにひとつの哀しみがある。




それにしても、なんて皮肉な言葉だろう、「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」・・・それはRによりも、むしろ書き手、三島由紀夫の生涯にこそふさわしい言葉じゃないか。




どうして、もうひとおもい、少年は正直にならなかったんだろう? どうしてじぶんが壊れてしまうことを怖れない勇気をもたなかったんだろう? なんて臆病な三島由紀夫、と、おもわずにはいられない。水晶のなかに住んでいる孤独な少年がそこにいる。おれはその少年が好きだ、ただし、やがて少年が少年を脱ぎ捨てるとして。だが、少年はやがて少年を脱ぎ捨てただろうか?


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