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夜とスージーと文学とコミュのわたしはあなたの仔犬になりたい−松浦理英子『犬身(けんしん)』

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わたしがわたし自身である、ただそれだけのことに、なんとも居心地の悪さを感じる。なろうことならば、自分ならざる存在に、変身してしまいたい。なんとか変身できないものだろうか? たとえばコドモの頃には人は誰もそんなことをおもったでしょう。この小説のヒロインは、犬が好きで好きでたまらず、ほんらい自分は犬であったはずなのにそれがなにかの間違いで、(罰で?)、いま人間として生きているのではないか、とさえおもっています。なろうことなら自分は犬になりたい。そんな彼女のおもいは、成人しても変ることなく、そんなことを願い続けていたあるとき、謎の男と出会い、契約を交わし、念願叶って仔犬になることができるんです。しかも愛する人間の女性とともに暮らし始めることができる。彼女は(飼い主の)彼女を慰め、励まし、安らぎを与えてあげたい、と強く願います。ところが幸福な暮らしが始まったのもつかのま、飼い主であるあこがれの彼女は、なんと囚われの身として、おもいがけない抑圧を受けていることを知って。仔犬になった彼女は驚き、怯え、憤りを感じ、そしておもいます、なんとかして彼女を救いたい、救い出したい! でもでも自分は無力な仔犬。さぁ、いったい仔犬になった彼女は、囚われの彼女を救い出すことができるでしょうか? どうやって? ところで、この物語は、いったいなにについて語っているのでしょうか?



以下の文章は、小説を読み終わってから読んだほうがよりいっそうおもしろいでしょう。
とりわけ、自分がこの小説の読者ではないかとおもわれる人は、
なるべく小説を読み終わってから以下の文章を読むことをオススメします。









ヒロインは物語の始めの方(p23)で、種同一性障害、という造語で自分の、犬化願望を分析します。そう、性同一障害になぞらえて。ここでヒロインはツッコミを入れられます、「種同一生涯と言ったって、じゃあ、おまえは犬とセックスできるのか? できないだろう? でっちあげだろう、そんな病気。」
ヒロインは抗弁します、「いや、体の種と魂の種が違っているから、犬と人間と、どっちの種に対しても性的に不能なんじゃないかな。」
「よし、そこまで言うんなら一生言い続けるんだぞ、種同一障害とやらだって。後になって『やっぱり違ってた』なんて言ったら怒るからな」


この会話は、この物語の最後まで、エコーのように響き続けます。




さて、もうひとつ興味深いことは、ヒロインは(謎の契約を結び、仔犬になった後)、自分がオス犬にされていたことに気づき、狼狽します。(p161)怒ります。ヒロインは苦情を言います、「オス犬といえば、そこいらにマーキングしたり、犬同士序列を作ったり、そんな疲れる生き方は嫌なの。どうしてメスになるかオスになるか選ばしてくれなかったの?」 どうやらオス犬にされてしまったことが、物語の、おもいがけないツイストになっているようです。罪を犯してもいないのに、罰せられたとでも言うように。しかもその後、去勢されてしまう。(去勢という言葉は、著者のキーワードのひとつ。)









一方に、性的関係よりはむしろ触れ合いを愛する房江さんがいて、他方に魂にのみ関心を持つ朱尾がいます。
一方にわがままで身勝手で抑圧的な彬がいて、他方にその彬から逃れられない、囚われの女、梓さんがいます。
一方に梓さんに愛され、梓さんを微笑ませたり慰めたりするため仔犬のフサになった房江さんがいて、
他方に、囚われの女、梓さんがいます。
一方に、動物はおろか人間との美しい関係さえ夢見たことのない朱尾がいて、他方に、(同様に)人間相手にはまず夢なんか見ない梓さんがいます。
物語は、この4組の運動の交点で、ドライヴしてゆきます。


むかしむかしのそのむかしから変身譚というものは飽きることなく語り継がれてきました。ただしその多くは、人間がなにかの罪を犯しその罰として獣に転落する、あるいは、人間がなんらかの昏いパッションとともに人間を「超えた」獣性を手に入れなにものかに復讐をする、といったふたつのパターンが多いんじゃないかしら。しかしこの松浦理英子さんの『犬身(けんしん)』においては、主人公は犬になりたくてなりたくてたまらなくその願いが叶って犬になるという点で特異です。


動物であることの意味が、大島弓子さんのマンガ『綿の国星』に通じるファンタジックな性格を「半ば」有しています、もっとも『綿の国星』は物語の最初から仔猫の物語ですから、変身譚ではないけれど・・・。しかも『綿の国星』が100%のファンタジーであるのとは異なって、松浦理英子さんの『犬身』は、実はファンタジーの部分は口実に過ぎず、むしろ「男根的な性の抑圧 対 友愛的、ドッグセクシャルな性のファンタズム」という図式の葛藤と闘いこそが見せ場になっています。え、ドッグセクシュアル?


そうです、この作品のキーワードは、(房江さんの造語)ドッグセクシュアルです。「ホモセクシュアルでもヘテロセクシュアルでもなく、好きな人間に、犬を可愛がるように可愛がってもらえれば、天国にいるような心地になるっていう、そんなセクシュアリティ。」 しかしそのドッグセクシュアリティには、「男根的な性の抑圧」という不倶戴天の大敵がいます、そこで著者はその抑圧をなんとかして解き、相対化してゆかんとして、この大著500ページを賭けて試みるのです。そう、この物語は、房江さんが仔犬に変身する変身譚であるのみならず、男根的な性の抑圧によって傷つけられた梓さんを、仔犬のフサがそのドッグセクシュアルな世界に拠って、救済しようと奮闘する物語でもあるのです。




おれは平凡なヘテロ男だけれど、この作品を愉しんで読んだ。後半がかなりどろどろの修羅場ながら、最後はいちおうハッピーエンドだし、著者の独自の思弁と構成力に舌を巻きました。







松浦理英子『犬身(けんしん)』 朝日新聞社刊2007年 2000円+外税





(まつうら りえこ 1958年- )小説家。代表作、『葬儀の日』『セバスチャン』『ナチュラル・ウーマン』、 そして『親指Pの修業時代』で女流文学賞受賞。『犬身(けんしん)』は、14年ぶりの新作。

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